鎮守府では、年に一度、慰霊祭が行われる。深海棲艦との戦いで散っていったあまたの魂を慰めるために──というのが名目だが、実際には艦娘たちの慰霊が主たる理由だ。
黙祷する提督たちを見て、艦娘たちは何を思うだろうか。
かつての戦争で、沈んでいった艦。
何事もなければ、今もきっと海の底で眠りについていたことだろう。
だが、深海棲艦という存在は、彼女たちを安らかに眠らせてはくれなかった。
海の底での眠りから呼び戻され、ふたたび戦いに身を投じ、そして再び沈んでいった娘たち。
彼女らがなにを思いながら沈んでいったのか、生きている我々には知る由もない。
だが、戦闘の末での轟沈ならば、あるいはまだ受け入れられるのかもしれない。
彼女たちは戦うために、この世に再び生を受けたのだからー戦って死ぬことは、もしかしたら本望かもしれない。──こういう考え方自体、生きて彼女らを行使する側のおごりにしか過ぎないのだろうが。当の娘たちが、己の立場や命の意味を口にすることはない。
艦娘たちのなかには、戦闘ではなく、ほかの娘のために消えていくものもいる。
近代化改修という名の共食い。
食われる側は、なにを思って逝ったのだろう。
艦娘たちはいわば魂のような存在だ。たとえ同時に、まったく同じ艦娘が二人存在したとしても、記憶を共有するといったことはない。あくまで、彼女たちは同一の個体でありながら、完全に独立した個別の存在なのだ。轟沈していった娘のことを、運用中の同じ娘に聞いてみたところで、答えなどないだろう。同じ艦というだけで、別の存在なのだから。
だが、それも救いなのかもしれない──沈めた恨みを聞くのに耐えられる者ばかりではない。
* * *
慰霊祭の日は、スクランブルがない限り、出撃は可能な限り控えることになっている。必要最低限の哨戒任務だけになるため、一部の兵士たちや軍属の者にとってはある種の祭日ともいえた。慰霊祭への出席は任意ではない。しかし、兵士も下士官も将校も、階級に関係なく出席することが、明言こそされてはいないものの、自ずと義務づけられていた。
だが、その提督──仮にAとしよう──は、慰霊祭を欠席した。
慰霊祭の数日前から体調不良を訴えており、彼の同僚や友人、上官たちの話を聞く限り、ノイローゼのような状態だったのだろう。
彼は、軽巡洋艦の五十鈴を旗艦として艦隊指揮にあたっていたが、戦力増強にあたり、五十鈴を近代化改修の材料にするため、彼女の任を解いた。どうやらその頃から、言動が怪しくなっていたようだ。
「五十鈴の声が聞こえると、何度も言っていました」
変死した提督の同僚は、そう言った。こちらとなかなか目を合わせようとしないのは、憲兵を相手にしているからーというだけでもないようだ。
気にかかることがあるのだろう。おそらくは。それくらいは、さすがにわかる程度には、こちらも経験を積んでいる。
「憲兵隊では、こんな話はしないでしょうね」
しないどころか、珍しくもない。組織内の秩序を保つのが憲兵の役目だ。ささいな噂話も、必要とあらば監視する。
近代化改修の材料になった娘からの恨み言──それは、鎮守府にいる関係者ならば、何度も聞く、定番の怪談話だ。新米提督を怖がらせるために、やたらと尾鰭がついて、たまにとんでもなく荒唐無稽になっている。ばかばかしい、と笑うのは簡単だが、そんな話が生まれなければならなかった理由や背景を、時と場合によっては知らなければならないのだ。提督の心理状態は、そのまま戦況にも影響する。
その提督は、落ちくぼんだ目で遠くを見るような、心ここにあらずといった感じで、こう言ったという。
──勝利に導くと約束したのに、
──どうして、
──わたしをほかの娘に食わせたの?
──五十鈴が、五十鈴がそう言うんだ、俺に。
軽巡洋艦、五十鈴。
彼女は対潜能力が高く、重宝されている。提督たちにも協力的で、だが、改良後の装備が目当てだという提督も多いため、往々にして改造後は装備だけはがされ、近代化改修の材料にされやすい。口さがない者の間では、慰霊祭とは五十鈴慰霊祭だ、という笑えない笑い話もある。
彼は慰霊祭の日が近づくにつれ、傍目からもわかるほど体調が悪化していったようだ。結局、慰霊祭当日は体調不良を理由に欠席したが、彼の上官もやむなしと判断している。
彼は、慰霊祭の前日、帰り際にこう言ったという。
「声がしても振り向いちゃだめだ」
彼は慰霊祭の翌日、寮の自室で遺体で発見された。
死亡推定時刻は、慰霊祭が行われていた昼頃。
ベッドに横たわる彼の体はずぶ濡れで、シーツの裾からは水滴が滴り落ちるほどだったという。死亡してからだいぶ時間が経っているはずなのに、Aの服にもシーツはたっぷりと水を含んでいた。
死因は、溺死。
浴室も台所も使われた形跡もなく、乾いていた。
室内に争った形跡もなく、ただじっとりと、Aとベッドが濡れていただけだった。
胃や肺からは多量の海水が検出された。
服を濡らしていたのも海水だった。
死体の周りは濃厚な潮の香りに包まれ、海を思い出させた、と発見者の一人が語ったという。
事件の可能性が高いと、鎮守府憲兵隊本部に連絡があったのは、遺体発見からそう間もなかった。
解剖の結果、慰霊祭の日に死亡したのは間違いない。どこかで溺死させてから自室まで運ばれたという線で捜査は進められている。だが、慰霊祭は鎮守府ほぼすべての人間が出席している。ある意味、アリバイは完璧だ。
結局、彼と親しかった者に虱潰しに当たるよりほかにない。
彼の同僚であり友人──Bと仮称する──は、遺体発見者のひとりとして、捜査には協力的だった。
通り一遍の質問を終えると、話題はもうない。世間話や雑談をするのも、どこか不自然でぎこちない空気──こちらが口を開くより先に、Bはずっとうつむきがちだった顔を不意に上げた。
「……首に」
Bは、かすれた声で言った。
「首に、髪が……長い髪が、巻きついていましたよね」
たしかにBの言うとおり、発見された彼の遺体には、長い黒髪がいく束もきつく絡みついていた。
髪は長く、おそらく女性のものだと推定された。
濡れた髪はじっとりと重く、生理的な嫌悪を増長させる。指にからみつく髪の毛。皮膚を這う細い感触──。
その髪はAの死になんらかの影響を及ぼしたわけではないようだった。だが、あまりに強く食い込んでいるため、髪を切り取るのに首にメスを入れる羽目になったという。
「あいつは、言っていました。俺が死ぬときは、五十鈴が迎えにきた時だって」
いまいち要領を得ないBの話を総合するに、五十鈴を近代化改修の材料に使ったあたりから、亡くなったAの言動がおかしくなっていったらしい。
「五十鈴の声がする、と」
──勝利に導くと約束したのに、
──どうして、
──わたしをほかの娘に食わせたの。
轟沈で近代化改修で失った娘の声が聞こえても、決して振り向いてはいけない。
そう、先輩や上官から教わったのに──彼は振り向いてしまったという。
「たばこ、いただけますか」
Bがそう言うので、たばこを一本差し出した。話しづらい話題の前に一服──よくあることだ。
Bは、ふるえる手でぎこちなくマッチをすった。
だが火はつかない。
新しいマッチを取り出すが、やはり火はつかない。一瞬、Bの目に、嫌悪が浮かぶ。Bはマッチ箱を乱暴に投げ捨てた。
「ああ、その……すみません。マッチをいただけますか。自分のは……しけっていたものですから」
もったいないな、と放り投げられたマッチ箱を拾い上げると、たしかに言うとおり、箱全体がじんわりと重く湿っている。これでは火もつくまい。しかし、なんだってこんなに湿っているのだろう。かすかに潮の香りがするほどだ──いや、潮の香りだけではない、重油のにおいも、わずかだが含まれている。
──艦のにおい。
「俺にも」
Bは言った。
「俺にも最近、聞こえるんです──五十鈴の声が」