-------------------------------------------------- PBeM『VOiCE』第2回リアクション 02-D 知らないほうがいいことなんかないと思った -------------------------------------------------- ●ウェヌスに捧げられた月  待望の水素発電所、本格始動へ  四月末から送電実験スタート 五月末には通常送電に  企業・一般家庭への節電要請、恒久的解除も秒読みか  水素発電が変える、新たなくらし  どこか誇らしげな見出しが、街からのニュースとしてモバイルに公式配信されてきた頃、ふたつの丘にも春が訪れた。  風はまだ冬の冷たさを残しているが、日に日に春の香りが強くなる。やがて木々も芽吹き、あっという間にふたつの丘も緑で彩られるだろう。 「水素は、海水の……海水……あっ、陽兄! これは何て読むんダ?」 「どれどれ……水素は洋上風力発電によって得られたエネルギーを使い、海水を電気分解して生成。その後、必要量は水素発電所に輸送され、余剰分が発生した場合は貯蔵される、か。なんだかずいぶん難しそうなものを読んでるネ。今晩あたり、熱出すヨ」 「出さない! ねえ、大兄、じゃあ次、これは?」  陳宝花は、家業の手伝い──中華料理のデリバリーから帰ってきた長兄をつかまえると、自分が読んでいたテキストの文面を目の前に突き出して見せた。 「どうしたんだい、急に。宿題でも出されたのカ?」  兄──宝陽は妹に尋ねる。 「違う、宝花の自由研究発表会」  なるほどね、と宝陽は自身が末妹と同じ年だった頃を思い出したのか、わずかに遠くを見るような目をした。そして、宝花のタブレットを手に取ると、空いていた席に腰を落ち着けた。 「いいだろう、勉強熱心なのはいいことダ。今日は時間があるから、付き合ってやろうカ」 「ほんと!? やったァ!」  兄と妹の勉強会は、母が夕食に呼ぶまで続いた。 ●熱意の瞳 「顧問ヨ!」  放課後の教室で、威勢のいい声とともに、ジェシー・ジョーンズが勢いよく椅子から立ち上がった。 「顧問……って、何が?」  帰り支度をしつつ、今日も「古代遺跡」へ行こうと話していた探検部の面々──ジズ・フィロソフィア、ビス・エバンス、加藤守住、クロワ・バティーニュが、まじまじとジェシーを見つめる。ちなみに、ニアシュタイナー・シュトライヒリングは、「古代遺跡」に入る前に帰ってしまったため、ジェシーの中では仮入部扱いということになっている。 「決まってるワ! ワタシタチの探検部よ!」 「あー」  なんとなく納得した様子のメンバーたちを尻目に、ジェシーの瞳は熱く燃えていた。 「顧問の先生さえ見つかれば、探検部もれっきとしたクラブ活動として認めてもらえるワ! そうなれば鬼に金属バット、虎に赤牛が翼を授ける!」 「でもぉ、顧問の先生って、誰になってもらうの?」  クロワの問いに、ジェシーは堂々と答える。自信に満ちたジェシーの胸が、勢いよく弾む。ぷるん。 「それはこれから考えるワ!」 「き、決めてないのか」  自信たっぷりのジェシーの様子に、てっきり目星はつけているものと思ったビスは、呆れたように言う。 「そんなわけだから、今日はちょっと行けない。でも、みんな探検部としての自覚を持って、命を大事にネ! 死んで花見はできないもの!」  そう言うと、ジェシーは意気揚々と教室を出ていった。ぷるるんと、その胸が勢いよく弾む。  教室を出たものの、特にアテがあるわけでもない。ジェシーはとりあえず、クラスメートの島田ミズキと陳宝花を探すことにした。顧問獲得という目的がある以上、四月の自由研究発表会で半端なことをやるわけにはいかない。充実した発表で学校の先生の注目が集まれば、それだけ顧問候補の数も増えるはずだ。そのためには、ライバルになりそうなクラスメートの敵情視察をしておく必要がある。万が一、テーマがかぶりでもしたら、評価にかかわりかねない。 「あっ、いた!」  突然、後ろから声が飛んできた。振り返れば、同じクラスの瀬木戸鈴夏だった。 「いたいた、探したんだからー、ジャガーのこと」 「ジャガー?」  どうやらジェシーのことを言っているらしいが、初耳のあだ名である。 「ワタシに何か用なの?」 「うん、あのさ古代遺、」  鈴夏が皆まで言わないうちに、ジェシーの第六感は敏感に反応した。古代遺跡──なんということ、鈴夏もライバルなのね! 「フッ……いいわ、ライバルは多いほど燃えるモノ! 正々堂々と戦いましょう!」 「は?」  ジェシーの激闘開幕宣言に、鈴夏は思わず聞き返すが、ジェシーの耳には届いていない。 「この勝負……負けられない戦いになりそうね」 ●自由研究物語 「ついに、宝花の出番がやってきたナ!」  ホームルームを終えた朝の教室で、意気揚々と拳を振り上げる宝花に、隣の席の片岡春希は首を傾げた。 「そうなの?」 「そうなノ!」  宝花は、今年の自由研究発表会にはかなり入れ込んでいる。他のクラスメートがまだ準備を始めていない頃から、自由研究発表会を意識していたほどだ。 「今年のテーマはずばり! 水素発電!」 「あれ、前は電気の使い方とか言ってなかった?」  ライサ・チュルコヴァが尋ねると、宝花はあっさりと「変えた」と答えた。 「水素発電で停電が解決するんでショ? だったらテーマは水素発電しかないネ!」 「そういうものなの?」 「えへへ、でも水素発電ってすごいよね。停電とかもう気にしなくていいんだもんね」  首を傾げるライサとは対照的に、春希はなんだか嬉しそうだった。それもそのはず、ふたつの丘の電力事情を一気に解消できると評判の水素発電所には、春希の父、音彦が務めているからだ。 「ライサはどうするんダ? 決まってないなら、宝花と春希と一緒にやるカ?」 「そうねぇ……まだこれといってないし、よかったらわたしも混ぜて」 「うん!」  ライサの言葉に、宝花は二つ返事で快諾した。  自由研究発表会では、個人ないしグループでの研究発表のほか、校内に発表用ポスターの掲示を行わなければならない。掲示は一定期間が過ぎれば外されるが、掲示期間中は発表内容について質問されたら答えなければならないというルールがある。個人はともかく、グループで行う場合はグループ内での意思疎通や情報共有がどこまでできているのかも、さり気なく探られてしまうのが厄介な点ではある。 「他の子は、どんなテーマなのかな?」  春希がぽつりと言う。テーマが似通っていたからといって、採点が厳しくなるということはないが、それでもやはり気になるものだ。 「たしか……ミシェーラは街の歴史とか「古代遺跡」がどうのって言ってた気がするわ」 「麻里子は星のことを調べるって言ってたナ。あと鈴夏も歴史がどーのこーのってやってたヨ。なんか大変そうだったケド」  ライサが言うと、たまたまその話題が耳に入ったのだろう、ジェシーがぷるんと横から会話に入ってくる。 「ワタシはね……聞いて驚きナサイ! あの「古代遺跡」のミステリーに迫るワ!」 「ああ、うん、だと思った」  春希の冷静な返しにもめげず──というか、たぶん聞いていない──ジェシーは熱く拳を天に突き上げた。 「そのためにも! まずやらなければナラナイことがあるの! 千里の道ははじめの一歩よ!」 「やらなければならないって……何?」  宝花が聞くが、こちらもまたジェシーの耳には届いていないようだった。びしりと宝花を指さし、言い放つ。 「メンマ! ユーには負けられないわ! 探検部の命運がかかっているの!」 「はァ? なんデ? なんで宝花がそこで出てくるんダ?」 「あとはミズキね……彼女にも負けられないワ……!」  ここにルーチェ・ナーゾがいたら、「おっぱい勝負か?」と聞いてきそうな状況だったが、幸いルーチェは島田ミズキと隣のクラスへ行っている。 「あら、ミズキって「古代遺跡」調べるの?」 「ううん、軍とか言ってたワ」  ライサが聞くと、ジェシーはあっさり言った。 「こ、古代遺跡関係ないじゃないの……てっきり同じテーマで競ってるのかと思っちゃったわ」 「それにしても軍とかって、すごいの調べようとするね」 「ミズキのお父さんが、軍の人なんじゃなかったっケ? そんな話、前に宝花は聞いたことあるゾ」 「……ふぅん」  なぜか冷たい声でライサが言ったが、宝花は気づかない。 「あとはシュリーが人類の歴史とかって。永菜は何か動物だったかナ」 「詳しいんだね」  春希が感心すると、宝花は歳相応にフラットな胸を誇らしげに反らせて笑う。 「敵を知り、己を知れば、百戦危うからズ……父さんがよく言ってるネ」 「そうよ、メンマ! 明日の敵は今日もエネミー!」 「負けないゾ! 宝花には春希もライサもニアもいるからナ!」 「くっ……! 数で押してきたわネ! グループの人数差が勝敗を分かつ絶対条件ではないことを教えてあげるワ!」 「えっ、ニアちゃんもなの……?」 「戦いは数だヨ!」 「待って、なんか今、負けフラグが」 「あの「古代遺跡」はイイものヨ!」  始業のチャイムが鳴るまで、宝花の席の周りはにぎやかだった。 ●あなたの町の委員長  合唱祭は無事──なのかどうかは、人によって評価が分かれる──に終わると、次にやってくるのは自由研究発表会だ。個人でやる者、グループでやる者、誰かのグループに滑り込もうとする者、それぞれだ。 「あーあ、放課後練習がなくなったと思ったら、今度は自由研究かぁ」  そうぼやくのは、HENTAIこと残念なイケメン(候補)ルーチェだった。例年であれば、適当に誰かのグループに入り込んで楽をしようと画策している頃だ。だが今年はミズキとグループを組むことにしたらしく、それほど焦りの色は見られない。 「でも、ぼく、歌よりこっちの方が気楽かなぁ」 「お前はいいよなー。メンマと貧乳コンビがいるから、楽できるじゃん」 「ルーチェくんだって、今年はミズキちゃんとでしょ?」 「んー。あと、何か隣のクラスのフランセットも一緒だって」 「へえ、あの金髪の子だっけ?」 「そ。あんまり胸ないけど、悪い奴じゃなさそう」  女子の評価基準がまず「胸」のルーチェにとっては、胸のサイズは重要な問題らしいのだが、春希は深入りするまいとスルーした。 「何よ、胸がなくても人権はあるって、何度言ったら分かるのかしら」  不意に、ルーチェの背後に立った何者かが、渾身の力を込めてルーチェのこめかみを拳でぐりぐりとえぐる。 「いたたたたたたたっ」 「い、委員長……その辺にしておいてあげなよ……」  春希がそう言って、やんわりと止めようとするものの、委員長──御手留乃歌の一瞥に、ひっと息を飲んで黙りこんでしまった。 「だいたい、彼女たちだってまだ成長の余地があるのよ! 今しか見ないでモノを言うのはおやめなさい!」  橙色の眼鏡のフレームが、放課後の夕日を浴びて、ぎらりと光る。なぜか、春希は「女の敵は女」という言葉を思い出すのだった。 「ああ、そうだわ」  何かを思い出したのか、ぱっとルーチェを解放すると、留乃歌は春希に向き直る。 「そうそう、自由研究発表会で何か困っていることがあったり、悩んでいる子がいたら、私のところへ来るよう言っておいてね」 「え? え、うん、はい」  春希はこくこくと何度も頷く。ついこの間まで、鬼の特訓部長だった留乃歌だが、今は自由研究の鬼と化しているようだった。もともと根が真面目で世話焼きな面があるためか、この手の行事になると何くれとなく、周囲の世話を焼きだすのだ。そんな留乃歌を内心頼りにしている女子も多い。特におとなしい子から見れば、男子相手でも物怖じせずに何でもずばずばと言う留乃歌は、ライサと並んで二大姉御状態だ。 「こんなHENTAIに関わっている場合じゃないよ、ああ忙しい」  そう言うと、留乃歌はこめかみを押さえて呻くルーチェを放り出して、教室を出ていった。 「な、なんかやる気いっぱいだなぁ……」  負けられないな、と思う反面、委員長にだけは負けた方がいいかも……と思う春希だった。 ●どうか love と発音して下さい。  この日、放課後の合唱祭練習が終わるとすぐに、ミシェーラ・ベネットは「古代遺跡」を訪れていた。自由研究発表会の調べ物のためだ。ミシェーラのテーマは『街の歴史からみる古代遺跡』──とはいっても、ジェシーたち探検部のように「古代遺跡」の謎に迫るというより、興味があるのは街の歴史の方だ。  ある程度は図書室の本でも調べられるが、やはり実物を見た方がいいだろう。そう思って、この日学校が終わると、ミシェーラは「古代遺跡」へと向かった。 「いると思ったんだけどな……」  ところが、着いた時間が早すぎただろうか、「古代遺跡」には誰もいなかった。しばらく待っていれば来るだろうか、とミシェーラはちょこんと草むらに腰を下ろす。誰かが植えて育てているのだろうか、明らかに雑草とは違う、芽が何本も芽吹いている。周りはきれいに整えられて、素朴な花壇のようにも見えた。 「あら、あなたも清掃ボランティア?」  ぼんやりと日差しを浴びていると、一人の老婦人に声をかけられた。見上げると、知らない老婦人がいる。なぜかミシェーラは、一瞬誰かを思い出したような気がしたが、それが誰なのかは分からなかった。 「本当に最近の子は偉いのねぇ! いいことだわ」  感心したように、老婦人は何度も頷く。 「あ、あの……」  ミシェーラがおどおどと立ち上がると、老婦人はにこやかに挨拶してくる。 「あら、いけない。わたくしってば。わたくしは、オーガスタ・ジェフリーズ。あなたは?」  ──ジェフリーズ?  一瞬、ミシェーラの脳裏に担任教師の姿がよぎる。 「え、えっと、私はミシェーラ・ベネットです」  どうにか小声ながらも挨拶すると、オーガスタと名乗った老婦人は笑顔で言う。 「そう、ミシェーラちゃんね。みんなでお掃除なんて偉いわ。ここ以外にも、ボランティアはしているの?」 「え? えっと……」  ミシェーラが答えに窮していると、「あっ」という声が聞こえた。思わず見ると、そこには同じクラスで「探検部」のジズ・フィロソフィアが立っていた。老婦人オーダスタとジズはすでに顔見知りらしい。だが、そのわりにジズは、気さくに話しかけてくるオーガスタを警戒しているようだった。 「あら、ごきげんよう。えーっと、そう、ジズくんだったわね」  品の良い笑みを浮かべて挨拶するオーガスタに、ジズは緊張しているような面持ちで受け答える。 「今日も、ここのお掃除なのね。偉いわねぇ」 「え、えっと……」 「今日はまだ他の子たちは来てないようね。ほら、見て、あそこ。つぼみがついてるでしょう? もうじき花が咲くわねぇ」  単に「古代遺跡」について知りたかっただけのミシェーラは、二人の会話に入るべきかどうか、それとも帰るべきか、判断ができなかった。  ──二人とも知合いなら、邪魔しちゃ悪いかしら……?  ミシェーラが迷っていると、唐突にジズが言った。 「あ、あの、今度、ボクたちの学校で自由研究発表会っていうのがあるんです」 「ええ、知ってますよ。そろそろ準備の時期でしょう? がんばってね」 「ボクは、この「古代遺跡」のことを調べて発表しようと思うんです」 「あっ、あの、私も……」  なんだか話題は「古代遺跡」のことになりそうだ。とっさに、消え入りそうな声ではあるが、ミシェーラも言った。 「あらまあ、そうなの? 最近の子は、昔のことに興味を持つのが流行りなのかしら?」 「だから、何か知っていたら、教えてください」  ああそうか、とミシェーラは思った。たしかに、老人──と言ったらオーガスタの機嫌を損ねそうだが──なら、長くこの街に住んでいるのだし、何か知っているかもしれない。ジズとオーガスタには悪いが、いいタイミングだったようだ。 「知っているといってもねぇ……まあ、いいでしょう。興味を持って学ぼうという気持ちは大切です。よければ、おばあちゃんの家へいらっしゃい? ここで立ち話というのも味気ないものね」  そう言うと、オーガスタは二人を促して、自宅へと向かったのだった。 「紅茶はお好き?」 「え、はい」  かしこまって席に着くジズとミシェーラに、オーガスタは穏やかに聞いてくる。 「はい、どうぞ。今日はジズくんとミシェーラちゃんが来てくれたから、おばあちゃんとっておきのアールグレイの紅茶よ。アイスティーに使うタイプは、温かいお茶でいただくには香りが強すぎるのだけど、これはそんなにきつくないでしょう?」  オーガスタは、紅茶のカップを手に話し始めた。 「そうそう、あの遺跡のことね。といっても、おばあちゃんもあまり詳しいことは知らないの。何せ、大昔の機械でしょう? 今となっては、あれを修理することもできないでしょうね。今の機械とはだいぶ違うでしょうから」  どうやら、このまま「古代遺跡」の話になりそうだ。あわててミシェーラはタブレットを取り出すと、メモとして録音アプリを立ちあげた。 「とはいえ、修理する意味もないでしょうけどねぇ」 「意味がない?」  ジズが思わず聞き返すが、ミシェーラには、そもそもオーガスタが何を言っているのかさっぱり分からない。  ──大昔の機械? 修理? 「古代遺跡」って機械なのかしら? 「そうよ。だってもう使わないもの」  オーガスタは紅茶を一口飲むと、ミシェーラの疑問をよそに、こともなげにそう言い切った。 「使わない……んですか?」  ミシェーラの問いに、オーガスタは頷いた。 「そもそも、直してまで使うようなら、わたくしたちのご先祖様は、こんなところまでやってはこないはずですよ」  そう言って、くすくす笑うが、二人には何のことだかさっぱりだ。どうも、「古代遺跡」について、ジズとミシェーラがある程度知っているものだと思っているようで、説明もなしに話し続ける。 「でも壊すにも、お金が必要ですからね。行政予算のことは、もう学校では習っているかしら? 街のお金は無駄遣いしてはいけないわ。他に優先するべきことがたくさんあるから、今の今まで放っておかれているのでしょうね。本当は危ないから、壊してしまうのがいいんでしょうけど」 「そ、それは困ります!」  突然ジズが大声を上げるので、ミシェーラは飲みかけていた紅茶があやうく気管にはいるところだった。当のジズも気まずくなったのか、まだ熱い紅茶のカップに口をつける。その様子を、少し驚いたようにオーガスタは見ていたが、やがて微笑んで言った。 「ええ、ええ、そうですね。ふふふ、みんなあそこで遊んだものねぇ」  何かを思い出すように、遠くを見る目をしてオーガスタは言った。 「昔はうちの孫も、あそこに忍び込んでは遊んでいたものですよ。ある時なんて、何をやったか知りませんけど、怪我をして帰ってきてね。それはもう血がひどくって。どうも金属か何かで切ったようだけど、何にも言わないんですから。……うちの孫は、良い先生かしら、ジズくん、ミシェーラちゃん?」 「んぐっ!?」  オーガスタはいたずらっぽくウィンクして、リビングの棚に飾ってあるデジタルフレームを指さした。そこには、幼い少年の姿が映しだされていた。見ていると、時間を追って映像が変わっていく。デジタルフレームの中で、少年は青年に成長していき、やがてミシェーラがよく知る人物の顔が映し出された──あの人は! 耳まで熱くなっていくのが、ミシェーラ自身にもよくわかった。 「ローマン・ジェフリーズ。おばあちゃんの孫ですよ。本当に昔は、いたずらっ子で聞かん坊だったんですから」  それが今では、わたくしみたいに先生になるだなんてねぇ──目を細めて、オーガスタは言った。 「え、え、じゃあ、あの」  ミシェーラがどもりながら言うと、オーガスタは頷いた。 「時々、みんなのことは話には聞いていたけれど……あの子ったら家では仕事の話はしない、なんて生意気なことを言って……あら、ごめんなさいね」  そう言って、オーガスタはくすくすと少女のように笑う。 「あの子の両親は早くに亡くなってしまったから……わたくしと同じ教師になりたいと言ったときは、嬉しかったものですよ。すっかり一人前になったような顔ですけど、おばあちゃんから見ればまだまだですよ」  ローマンが今の自分と同い年だった頃は、どんな風だったのだろう。先生を目指し始めた時は?──聞きたいことが山ほど頭の中に湧いてくるが、ミシェーラは口に出せずに、ただ黙って紅茶に口をつけることしかできなかった。 ●53ミニッツのインタビュー  三月二十一日──島田優司はいつになく緊張していた。落ち着きなく、リビングのソファーに座ったり、腰掛けたりを繰り返していると思えば、意味もなく玄関からリビングの間を何往復もしている。 「あなた、落ち着いてくださいな」  妻、リンがそう言って諌めるが、優司は耳を貸さない。 「これが落ち着いていられるかね。ミズキはまだ十歳なんだぞ」  そう言うと、今度はぐるぐるとリビングの中を歩き始める。 「まったくもう……自由研究発表会のことじゃありませんか」 「何を言うか、最初が自由研究発表会というだけじゃないかね」 「心配しすぎですよ、それも明後日の方向に」 「科学にインスピレーションは意外と重要なのだよ」 「あのぉ……」  優司とリンは、不意にかけられた声に振り向いた。見れば、彼らの娘──ミズキが、呆れたような顔でリビングのドア付近に立っている。 「入ってもいい? もう来たんだけど」 「なっ、なっなななな」 「あら、早いわね。入ってもらって」 「はーい」 「り、りりりりりリン、何をそんなに落ち着いているんだね!」 「気にしないでいいわよ」 「知ってる」  リンの言葉に、ミズキは冷静に頷いた。  ミズキがこの日、自宅へ招いたのは同じクラスのルーチェ・ナーゾと、隣のクラスのフランセット・ドゥグルターニュの二人だ。最初は友達を招いて、自由研究発表会のために父に話を聞きたいと言ってきたときは、優司は喜んで二つ返事で返したものだ──片方が男と知るまでは。  たとえ十歳といえども、相手にとって不足はない。  優司は花嫁の父としてルーチェに挑む覚悟を決めたのだった。 「気にしないでね」  ミズキの言葉に、フランセットはウィンクして答える。 「まあね、あんなものよ。男親って」 「何の話してるんだ?」 「少しは静かになさい、諸悪の根源」  ルーチェが二人の会話に入ろうとするが、フランセットは素っ気なく返すだけだ。 「お呼ばれしてるんだから、礼儀正しくしなさいよHENTAI」 「なんだよー」  面白くなさそうなルーチェをなだめつつ、ミズキは父に聞きたいことをまとめたリストを再度確認する。  ミズキの父は軍属の研究者である。その所属が所属だけに、仕事の話を父の口から聞いたことはほとんどないし、家庭内で話題になることもない。だからこそ、かえって自由研究発表会の題材としてはふさわしいような気がしたのだ。父の職業に興味があるのも、もちろん動機のひとつだが。  ぶちぶちと文句を言うルーチェだったが、実際に優司を目の前にすると、さすがに真剣な面持ちになる。黙っていればイケメン(候補)だけあって、パッと見た感じだけなら真面目な少年にも見える。 「君がルーチェくんかね」  詰問するような口調にも、ルーチェは怯むことなく、礼儀正しく返事をする。その様子に、ミズキは内心驚いていた──なんだ、ちゃんとやればできるんじゃないの。 「娘のミズキとはどういう……?」  優司が口にしかけた問いを、リンは思いっきり足を踏むことによって阻止した。 「同じクラスのお友達よね、はいどうぞ、お砂糖は自由にね」  笑顔で紅茶を置いていくリンとは、対照的に優司は悶絶している。 「えっとね、お父さん。私たち、自由研究発表会で軍のことについて発表しようと思ってるの」  私、この人と結婚しようと思うの──とでも聞き間違えたのか、優司は眉をひそめたが、再度リンに足を踏まれて、諦めたようにソファーに座り直した。 「軍……ねぇ。しかしミズキ、お前が知っているようにお父さんは軍人ではない、軍属だ。だからといって、軍のことを何でもお前たちに話すわけにはいかない」 「守秘義務っていうやつですか?」  フランセットがそう尋ねると、優司は頷いた。 「そう思ってくれれば、おおむね間違いではないね。君はフランセットくんだったか……娘と仲良くしてくれているようでありがとう。礼を言うよ」 「もうお父さん……そういうのはいいでしょ。まずは、ふたつの丘の軍についてよ。一応、図書室とかでは調べたんだけど」 「それなら、ある程度は分かっていると思っていいのかね。ミズキも調べたとおり、軍といっても、映画や小説に出てくるようなものではないよ。軍警察や国家憲兵といった方が正確だろう」  聞き慣れない言葉に、三人は顔を見合わせたが、意味を調べるのは後回しとばかりに、優司の話に耳を傾ける。 「もともと、ふたつの丘を始めとする各都市には、軍と呼ばれるものは存在するが、本来の軍という定義からは幾分変質しているだろう……おそらくね」 「それはどうしてですか?」  ルーチェの問いに、一瞬顔をしかめたものの、優司は言った。 「軍とは何のためにある?」 「あなた、質問で質問で返すんですの?」  横からリンに言われて、優司はため息をつく。 「まったく……。軍事とはそもそも政治の一部だ。いずれこの言葉の意味は、学校で習うだろう。分かりやすくいえば、軍隊といえば敵の攻撃から人々を守るのが仕事だといえる。それこそ、映画や小説のようにね。だが、各都市は独立しているとはいえ、政治的にも地理的にも非常に緊密で親密だし、どこかが「敵」となってどこかの街に攻めこむようなことには、まずならないだろう。つまり、軍はあっても本来の役目を果たすようなことにならないということだ」 「軍はあっても、ないようなもの。戦うべき「敵」はいないということでいいのかしら」  フランセットが問うと、優司は落ち着いた様子で頷いた。 「今では、軍の出動もほとんどない。十二……いや十三年前だったか、大規模な火災事故が起こったが、それが正式な命令としては最後だね」  私が知るかぎり、と優司は声に出さずに付け足した。 「ふぅん……ところで、お父さんは何の研究をしているの? 軍と関係があるのよね、やっぱり」  ミズキが問うと、優司は首を横に振った。 「それは言えない。たとえ家族であっても、詳しく話せないことはあるんだよ、ミズキ」  この場の雰囲気で聞き出せないものか、と思ったが、そうはいかないようだ。  堅苦しいインタビューが終わって優司が部屋を出ていくと同時に、三人の少年少女たちの間にほっとした空気が流れる。 「ニュータイプの父ちゃん、なんかおっかないな。あー緊張した」  早速、いつもどおりの雰囲気に戻って、ルーチェは冷め切った紅茶を飲んだ。 「そう? いつもはもっとだらしないわよ」 「そんな風には見えないなぁ、うちの父ちゃんとは大違いだ」 「そういえば、ルーチェのお父さんって何してる人なの?」 「町議会の議員。でもさぁ、家じゃ超だらしないぜー」 「えっ」 「えっ」 「えっ、なんでそこで驚くんだよ?」  帰る頃合いになると、優司も玄関でルーチェとフランセットを見送るべく、書斎から出てきた。玄関の外まで二人を送るつもりなのか、一緒に外に出ていく。 「なんだかやっぱり、仕事の話となると真面目になるのね」  ミズキが呟くと、リンはそっと娘の頭を撫でた。 「そういえば、なぜうちの娘はニュータイプと呼ばれているのかね」  二人を見送りながら、不意に優司が尋ねる。ルーチェとフランセットは思わず顔を見合わせた──そういえば、なんでだっけ? 「誰だったか……ニュータイプって呼んでたんです」  真面目な少年モードに戻ったルーチェが言う。記憶を探りながら、考えこむ。 「誰だったかなぁ……クラスの子じゃなくて、誰か大人が言ってたような気がするんです。島田さんのことをニュータイプだって」 「……なるほどな」  優司は低い声で小さく呟いた。 ●通話相手は彼女なのか? 「ええ、そうでス。はい、はい……はい! お願いしまス!」  宝花は、家に帰るなり通学用の鞄を放り出すとどこかへ電話をかけた。  電話の向こうの相手は、最初はいぶかしげだったが、次第に口調も柔らかいものになってきていた。 「……というわけなんでス。勝手に行ったらいけないって思っテ……いえいえ、そんな!」  相手が目の前にいるわけでもないのに、なぜか宝花はぺこぺこと頭を下げる。 「えへへ、でも……はい、はい……分かりましタ。いえ、そんな、こちらこそ……はい、……はい、分かりましタ! ありがとうございマス!」  電話を終えた宝花は、満面の笑みを浮かべて、足取りも軽く自室に戻った。  そしてソファー代わりにもしているベッドにぽんと身を投げ出すと、寝転がったままタブレットを取り出す。慣れた手つきでメッセージラインのアプリを立ち上げると、素早くメッセージを打ち込み、送信する。宛先は、春希とライサだ。 「さーて、これで完璧だナ! ……っと、母さんたちにも言っておかなくチャ」  勢いをつけて起き上がると、今度はぱたぱたと走って階下の厨房──といっても店舗側だ──に走っていった。 ●孤愁少女  ニアシュタイナー・シュトライヒリングは、今日もひとりだった。誰かの輪の中に入っていくのが、億劫で疎ましい。けれど、楽しげに話しているクラスメートたちを見ると、胸の中に、もやもやした嫌な熱が燻り始める。合唱祭の放課後練習も、何度かさぼった。あんな風に並んでみんなで歌うなんて、馬鹿馬鹿しい。子どもっぽい。でも、いざ練習をさぼってみると、寂しい。教室に戻りたいが、いまさら戻れない。  練習も結局ちゃんと出たのは、片手の指でも余るほどだった。たいてい、練習をさぼるときは、アレクセイ・アレンスキーも一緒だった。別に誘ったわけじゃない、相手が勝手についてくるだけ──ニアシュタイナーは、自分にそう言い聞かせる。アレクセイは、音痴な歌をみんなに聞かせるのは悪いと笑っているし、きっとそうなのだ。そうに違いない。  歌を歌うのは嫌いではないし、課題曲の『星の海を越えて』も嫌いじゃない。でも、なんだかみんなの中にいられない。周りにはクラスメートがいるのに、自分だけがひとりぼっちのような気がして、耐えられなくなる。  そのたびに、アレクセイは笑って言うのだ。 「ニアもさ、もっと笑えばいいんだよ」  気楽に言ってくれる──ニアシュタイナーは、不機嫌さを露わにして、アレクセイを睨みつける。だが、返ってくるのは笑顔だ。 「なんていうかな、態度で誤解されてるんじゃないかな。損してるぜ」 「……誤解するなら、勝手にすればいい」 「ほらほら、そういうのがさ」  きつく睨むが、アレクセイは相変わらず笑っている──ますます気に食わない。でも、一緒にいてくれなくなったら、どうしよう?  合唱祭が終わって、放課後の練習からは解放された。だが、すぐに自由研究発表会が迫ってくる。放課後の図書室は、今日も調べ物をする生徒でいっぱいだった。なんだかどこにも居場所がないような気がして、ニアシュタイナーは学校を後にした。雑踏や話し声から少しでも逃れようとするかのように、ひたすらまっすぐに駅を目指した。 「宝花だってさ、あいつも言い方きつい時あるけど、でもそんな風に思われてないだろ? なんでだか分かる?」 「……知るか」  ひとりになりたかった。それなのに、今日もアレクセイはついてくる。ついてくるのが当たり前で──だから、ニアシュタイナーは後ろを振り返らずに、ただ前だけを見て歩いた。 「笑ってるからだよ。あいつ、よく笑ってる」  アレクセイがこともなげに言う。 「だからさ、ニアももっと笑えばいいんだよ」 「……気色悪い」 「何がだよ」 「……うるさい!」  ニアシュタイナーの態度に、アレクセイは鷹揚に肩をすくめてみせる。 「ま、そういうとこも嫌いじゃないけどさ」 「……うるさい」  今どんな表情をしているか、誰にも知られたくなくて、ニアシュタイナーはうつむいた。  やがて、目の前に線路と駅舎が見えてくる。 「どこか行くの?」  アレクセイが聞いてくるが、ニアシュタイナーは答えない。  子どもだけでは電車には乗れないだろう。子どもは不可というルールがあるわけではないが、駅員に見咎められたら、結局は同じことだ。どこかに行く当てがあるわけでもなく、ただ遠くに行きたいと言っても、駅員は通してくれない。 「……閉じた扉とか、十二枚の盾とか」  ニアシュタイナーがぽつりと答えると、アレクセイは首をひねる。 「そこって、俺たちだけで行けるっけ?」  おそらく、無理だ。行きの切符は買えても、この駅の駅員はごまかせても、行った先で何があるか分からない。親に連絡されたら、あっさり連れ戻されて、お説教が始まるだけだ。  駅舎の外にあるベンチに、ニアシュタイナーは腰かける。少し間を空けて、だがすぐに手が届く距離に、アレクセイも座る。 「……私は、いつになったら、どこかへ行けるようになるんだろう」  質問でもなく、会話でもなく、ただぽつりと言葉にして、吐き出してみる。思っていたより、言葉は空虚で、四月の夕暮れの空にすぐ溶けていった。 「どこかって、どこへ?」 「……知らない」  アレクセイは肩をすくめてみせるが、それ以上は何も言わない。  遠くから、列車が走ってくる音が聞こえる。ここは終着駅だ。これ以上先には、線路はない。やってきた列車は、やがてまた遠くへ行ってしまう。 「……大人になったら、行けるんじゃないか」  アレクセイがぽつりと言う。ニアシュタイナーに話しかけるようでもなく、ただ空を見ながら。 「大人になったら、遠くへ行けるようになるさ」 「いつになったら、大人になれる?」 「いつって……そりゃあ十八歳だろ。そういうホーリツだ」 「今すぐなりたい」 「そりゃ無理だぜ。俺たちまだ十歳だしさ。……そうだなぁ、ニアの胸が大きくなったら、大人っていってもいいんじゃねえの?」  ふざけた口調でアレクセイは言うが、どうやらニアシュタイナーはアレクセイが思っていた以上に真剣なようだった。 「そうか……」  それだけ言うと、しばらく考えこむ。やがて、真剣な面持ちでアレクセイに向き直った。 「よし、揉め」 「…………はい?」 「胸だ」 「…………あ、あの、ニアシュタイナーさん?」 「男に胸を揉まれると、大きくなると小説に書いてあった」  何の小説読んでんだよお前!──アレクセイは突っ込みたくなったが、それさえ憚られるほどの真剣な眼差しに、あてどもなく周りをきょろきょろと見回す。当然、何か救いの手があるわけでもなく、ニアシュタイナーの真剣で、もはや沈痛ささえ感じるほどの、まっすぐな目があるだけだ。 「え、えーと」 「胸が大きい方が、人にも好かれるんじゃないのか? ジェシーやミズキとか……いや、あいつらはどうでもいいんだが」 「えっとですねぇ」 「だから、ほら」  そう言って、ニアシュタイナーは胸元を近寄せてくる。  ──いやいや待って何これどうなってるのいやそのなんだそういうのラッキーとか思わないでもないし魅力的だけど待ってほらそのなんだそういうのって付き合ってるオトナ同士じゃないとダメだって姉ちゃんが言ってたしそのあの俺たちまだ子どもだし!  アレクセイの思考回路がパンクする寸前、不意にニアシュタイナーのモバイルが音声通話着信を知らせた。初期設定のままの、朗らかなメロディが夕暮れに響き渡る。 「……母さんから?」  画面を見て、ニアシュタイナーは思わず顔をしかめた。いったい、何の用だというのだ。普段は電話どころか、メッセージラインだって寄越さないくせに──憤りを感じながら、ニアシュタイナーは乱暴に通話を始めた。 「何」  ニアシュタイナーに負けず劣らず、母の声は不機嫌だった。 《ニアシュタイナー、あなた、どこにいるの?》 「……どこだって、いいじゃないか。母さんには関係ない」 《またそんな風な口をきいて……お友だちがもう来てるのよ。早く帰ってらっしゃい》 「は?」  予想だにしなかった母の言葉に、思わずモバイルを落としそうになる。 「友達……? なんのことだ?」 《まったく、ふざけてないで。駅になんて行って、何をやってるの。宝花ちゃんたちが待ってるんだから──》  いよいよ、モバイルはニアシュタイナーの手から滑り落ちた。ごつんと堅い音とともに、ちょうど通話は切れてしまったようだ。 「おい、どうした?」  訝しげに尋ねるアレクセイに、ニアシュタイナーは呆然とした面持ちで言った。 「何を企んでるんだ、あいつは?」 ●笑顔のある風景 「遅い!」   ニアシュタイナーが自宅へ慌てて戻ると、さも当然という顔で、陳宝花が仁王立ちしていた。 「寄り道するのはいいケド、お夕飯の時間になっても帰ってこないのは、ダメ!」 「あ、お帰りニアちゃん」 「お邪魔してるわ」  宝花の後ろから、なぜか春希とライサも顔を出す。 「……何が起きてるんだ?」  呆然とニアシュタイナーが呟くが、宝花はまったく気にした様子はなく、腕をつかむと勝手知ったる何とやら状態で、さっさとニアシュタイナーを洗面所へ連れて行く。流れのままに、玄関先に立ち尽くす羽目になったアレクセイは、春希とライサが連れて行った。 「ねえ、アレクセイくんも一緒だったっけ?」 「さあ? でもいるんだから、それでいいんじゃないの?」 「ちょ、ちょっと待て。なんでお前が私の家にいるんだ?」  うがいと手洗いを済ませて、ダイニングの椅子に座らされたところで、ようやくニアシュタイナーは宝花に向かって問いただすだけの気力を取り戻した。  「これ、お友達に対する口の効き方ですか」  ニアシュタイナーの口調を、母がとがめるが、いつものことだとばかりに無視した。 「なんでも何も……自由研究発表会の準備のためじゃないカ」  何をいまさらと言わんばかりに、宝花が答える。見れば、春希もライサも頷いている。 「準備って……いったい何をだ?」 「あれ? 自由研究発表会の準備、ニアちゃんの家でやるんでしょ?」  春希がきょとんとした顔で問い返す。 「そうよ、時間もかかりそうだし、せっかくだからお泊まり会も兼ねちゃうって話になってたじゃない」  ライサが言うと、うんうんと宝花が頷く。 「は? 何の話だ?」  ニアシュタイナーは思わず母の顔を見るが、母はこの状況をなんとも思っていないようだ。 「珍しくお友達を連れてくるっていうから、驚いたわ」 「い、いつそんな話をした!?」 「あら、言われてみればいつだったかしら……。でも、宝花ちゃんが電話をくれるまで、あなたったら何も言わないんだもの。これからはちゃんと先に言っておきなさい。いいわね?」 「……電話?」  訝しがるニアシュタイナーを尻目に、母や宝花たちは夕食の準備にとりかかる。 「アレクセイくんも食べていくでしょう?」 「え、はあ……まあ、せっかくなんで……」 「食べていくといいヨ! 今日はウチの中華料理をデリバリーだからナ!」 「宝花ちゃんちのごはん、すっごく美味しいんだよー」  自宅の手伝いで慣れているのだろうか、春希もライサもてきぱきと準備を手伝っている。そしてあっという間に、シュトライヒリング家の食卓には、熱々の中華料理がずらりと並んだ。 「これが餃子、タレは普通のとピリ辛のがあるヨ。チャーハンはおかわり分も持ってきてるカラ、安心していいゾ。それから……八宝菜と、鶏の唐揚と、棒々鶏と、麻婆豆腐に……」  次から次へと並べられる料理を前に、ニアシュタイナーとアレクセイは呆気にとられて、ただ椅子に座っているだけだ。 「全員揃ったわね」  ライサが食卓を見回すと、宝花がおもむろに立ち上がる。 「はい、じゃあみんなデ」  そう言って手を合わせる。 「いただきマース!」  勢いに飲まれながらも、ニアシュタイナーは八宝菜に口をつける。野菜の風味と、ごま油の芳醇な香りが口いっぱいに広がった。 「ウチのは、天然食材が多いからナ! 美味しいんだゾ!」 「あっ、ほんとだ。すげー美味い」  アレクセイはもぐもぐと餃子とチャーハンをかっこんでいる。春希は鶏の唐揚が気に入ったのか、小皿に何個も盛っていた。麻婆豆腐を不思議そうに食べるライサは、「辛いけど結構イケるわ」と喜んでいる。ニアシュタイナーの記憶にある限り、夕食がこんなに明るく、騒がしかったことはない。  騒がしい夕食が終わると、入浴と着替えをさっさと済ませて、ニアの自室で自由研究発表会の準備をすることになった。母はリビングを使っていいと言ったが、なぜか宝花が丁重に断った。 「……あのな、なんだかいまさら聞くのも馬鹿馬鹿しくなってきたが、なんで私の家にいるんだ?」  母が持ってきたホットココアとクッキーに、手をつけるべきか否か迷いながら、ニアシュタイナーは宝花に聞いた。さきほどからスルーされまくりの質問だったが、いい加減答えてもらわないと気が収まらない。 「ああ、だって意外と作業が多くてナ。みんなで夜もやらないと終わりそうになかったんダ」 「それはいいが、なんで私の家なんだと聞いている」 「ニアの家、大きイから」  さらっと宝花が答える。 「……何?」 「あと、ウチだとお客さんいるからネ。邪魔になったらよくナイ」 「……ま、まさかとは思うが、それだけか? それだけの理由なのか?」 「うん」  笑顔で頷く宝花に、ニアシュタイナーは怒っていいやら悪いやら、判別がつかなくなってしまった。もう家から追い出すわけにはいかないし、母も宝花たちをすっかり気に入って歓迎している。 「じゃ、始めるヨー」  屈託なく笑う宝花を見ながら、ニアシュタイナーは自室のベッドの上でクッションを抱え込む。  ──笑ってるからだよ。あいつ、よく笑ってる。  見れば、いつの間にかアレクセイも宝花たちの輪の中に入って、楽しげに笑っている。  ──ニアもさ、もっと笑えばいいんだよ。 「知るか……馬鹿」  クッションに顔をうずめて、ニアシュタイナーの声は誰にも届かないまま、夜はにぎやかに更けていった。 ●向こう側の星  辻風麻里子は、内心緊張していた。自由研究発表会のために、星の観察をしようとクラスの友人たちを誘ったのはいいものの、あれもこれも気になって仕方ない。特に気がかりなのは、五歳になる弟──海斗のことだった。星の観察は、できれば屋外でしたいところだが、好奇心旺盛でいたずら盛りの海斗を家に置いていくわけにもいかない。かといって、それほど遅くないとはいえ、夜外に連れまわすのもどうだろう。母の舞は麻里子たちに同伴してくれるといったが、結局弟の世話にかかりきりになるのは目に見えていたし、父の宗介は今日明日と出張で不在で頼りようがない。海斗のことはかわいいが、女の子同士の集まりに、たとえ五歳といえども男子を入れるのはなぁ──というのが、麻里子のささやかな悩みだった。 「こんばんは」  インターホンの音とともに、夕食を終えた辻風家のリビングのモニターによく見知った顔が映し出された。 「あら、麻里ちゃーん。お友達が来たわよ」  母の声に、なぜかドキリとする。最初にやってきたのは、委員長こと御手留乃歌だった。  留乃歌は、いかにも「委員長」らしく、自由研究発表会で困っているクラスメートを助けてまわっているらしい。麻里子が、かなりの作業量を抱え込んでしまっているのに気づいた途端に、留乃歌の世話焼き委員長スイッチが入った。 「いいわ、麻里子さん。私が手伝ってあげる」  頼んでもいないうちから、留乃歌が率先して手伝ってくれている。なぜこうも熱心なのか、麻里子には意図が図りかねるが、それでも頼もしいのは間違いない。 「お邪魔します」  教室にいるときと変わらず、留乃歌は落ち着いた様子だ。挨拶もしっかりしており、母の舞が感心しているのを見ていると、なんだか比べられているようで、麻里子は落ち着かなかった。  それから、クロワ・バティーニュ、ジャンヌ・ツェペリもやってきた。共通点は「星」に興味があることだ──クロワは麻里子同様、天文学的な意味での興味だが、ジャンヌは占いや魔法といった、どちらかといえばオカルティックな方面での興味という違いはあるものの。弟の海斗は、見知らぬ年上の少女たちに興味津々なのか、何をするでもないが、ちょこちょこと後ろをついてまわる。  星の観察は、麻里子の部屋のベランダで行うことになった。やはり、いくら学校行事の一環とはいえ、子どもたちだけで夜外を歩き回るのは許してもらえなかったのだ。だが、かえって好都合かもしれない。眠くなればすぐ部屋のベッドに寝転がれるし、勉強のための集まりというより、女の子だけのお泊まり会の方が断然楽しい。 「麻里子ちゃんのお部屋、こういう感じなんだぁ。ちゃんとお掃除しててえらいなぁ」  クロワのふわっとした感想に、思わず麻里子は赤面する。ここ一週間ほど、星の観察会(という名のお泊り会)が決定してからというもの、毎日こまめに片付けてきたのだ。 「部屋の明かりは消した方がいいのかしら?」 「そうね、でないとよく見えないでしょうから。ああ、それから足元が危なくないように、懐中電灯を置いておくわね。蹴飛ばさないように固定したいのだけど……ベッドに貼りつけても構わないかしら?」  ジャンヌの問いに、留乃歌がてきぱきと答える。まるで留乃歌主催の集まりのようだ。麻里子は、何もしないでもさくさくと事が進んでいくので、気楽ではあった。 「えぇと、うん、大丈夫です。朝になったら、はがしておけばいいのね?」  麻里子が頷くと、留乃歌は手早く準備をしていく。普段は「おっかない委員長」だが、こういう時はさすがに頼りになる。  夜九時──普段なら、そろそろ寝る準備をするように母から言われる頃だが、今日は「夜ふかしOK」の返事をもらっている。部屋の明かりを消すと、一瞬不安になるほどの暗闇に包まれるが、すぐに目が慣れた。 「わ、何? なんか踏んだ」 「あ、ごめん、私のバッグかも」 「懐中電灯つけるわよ」 「こら海ちゃん、もう寝なくちゃだめよ」 「おきてるーこっちのおへやいるー」  しばらくは騒がしかった部屋も、やがて静かになる。遠くから電車が走る音が聴こえてくる。階下のリビングも、いつもなら母が音楽をかけているが、今日は二階の娘たちのために遠慮しているのだろうか、特に物音は聴こえてはこなかった。  麻里子が自由研究発表会で取り上げるのは、星。ふたつの丘から見える星の天体観測だ。どんな星座が見られるかは本で調べればすぐ分かることだが、実際にこの目で見ないと分からないこともあるだろう。もちろん、研究発表のためとはいえ、夜のおしゃべりも忘れない。ホットココアとクッキーをこっそり用意してあるのだ。 「ほら、あそこ……一等星のソールよ」  麻里子が指さす先には、ソールと呼ばれる一等星が輝いていた。ふたつの丘であれば、どこからでも見られる星だ。 「あと何十億年かしたら、今の色から変わるんですって」 「へぇ、星って色が変わるのね」  留乃歌が感心したように相槌を打つ。 「星も、人間や動物と同じように、いつかは死ぬものなんだって本に書いてあったわ。星の色は、星の寿命も示しているんですって。星が死ぬなんて、とても信じられないけど」  星の一生は、人間のそれとは比べ物にならないほど長い。麻里子たちが眺めているソールが、死んだ星になるまでには、まだ果てしないほどの時間が必要だろう。 「昼間のお日様も星なんだよねぇ。ずーっと遠くから見たら、お日様じゃなくって星に見えるんだろうなぁ」  クロワがはるか遠くを見るような目で言った。麻里子は、その言葉に頷きながら、タブレットにカメラを接続した。星空に向けてセッティングすると、録画を始めた。これで、もし途中で寝てしまっても、星たちの動きはしっかりとらえられるはずだ。一時間ごとの星の動きを調べて、スライドショーにするのが麻里子の予定だ。流れ星でも写ったら素敵なのにな、と麻里子は思う。ときどき、人工衛星が夜空をよぎっていくが、本物の流れ星とは違い、夜空をまっすぐ真横に走っていくので、違いはすぐ分かる。 「そういえば、昔は十二星座と呼ばれるものがあったのよ」  不意に、ジャンヌが言った。 「じゅうにせいざ? それって何?」  耳慣れない単語に留乃歌が聞き返すと、ジャンヌは遠い星を見上げながらぽつりぽつりと語りだす。 「惑星の通り道に並んでいる、十二の星座のことよ。実際には十三あるそうだけど、占いで使うのはそのうち十二だけ。占星術といってね、星を見て占う占術があるんだけど、そこでよく使われていたのよ」  さすがによく知っている分野なのか、ジャンヌはすらすらと答えた。 「でも、昔使っていた十二星座と、今の十二星座は違うみたいね。だって全然形が違うんだもの」 「星座の形が変わるなんて、あるのかしら?」 「そこが不思議なのよね」  麻里子の疑問に、ジャンヌも難しげな顔で頷いた。 「そういえば、すごく昔の星座の本って、今見える星座のこと、全然書いてないよねぇ。あれって不思議だなぁ」  クロワも思わず何度も頷いた。図書室にある星座関連の本のうち、ふたつの丘からは見れない──どうやら相当昔の星座についての本らしい──星座について書いてある本もいくつかある。そういう類の場合は、理科というよりもどちらかといえばまるで歴史書のような扱いになっていて、書架も異なっているため、クロワもあまり真剣に目を通したことはない。 「そういえば、そうですね……この間、検索で調べて見つけた本だと、ソールのことが全然載ってなかったわ」  一番有名な星なのにね、と麻里子がひとりごちる。 「委員長は何かご存知かしら……って、あら」  ジャンヌが先程から妙に静かな留乃歌に話しかけると、疲れていたのだろうか、留乃歌は麻里子のぬいぐるみにもたれかかって、静かな寝息を立てていた。残された三人は、思わず顔を見合わせる。 「どうする?」 「起こしちゃ悪いよねぇ」 「静かにしてあげましょう」  眠ってしまった留乃歌を起こしてしまわないように、三人は気遣いながらそっと動いて、留乃歌が横になれるだけのスペースを空けた。 「委員長も、寝ちゃうんだねぇ」  なんだか面白そうにクロワが言った。 「そうね、なんだかあちこち手伝って大変そうだったしね」 「そういえばさぁ、聞いたよジャンヌ〜、ホワイトデーのお返しもらったんだって?」 「えっ、えっ、ほんとに!?」  思わず声を上げる麻里子に、ジャンヌがいたずらっぽく唇の前に人差し指を当てる。ここに年頃の少年でもいれば、思わず魅入ってしまいそうなコケティッシュな振る舞いだ。 「ふふ、まあね」 「だ、誰からもらったの?」  声をひそめて尋ねる麻里子に、ジャンヌはゆるゆると首を横に振った。 「それがね、名前も何にも書いてなかったのよ」 「うーわー、すごいね! 誰だろ〜?」 「ホワイトデーということは、チョコを上げた人からのお返しですよね?」  くすくす笑うクロワと対照的に、なぜか麻里子は敬語になる。 「でも、ほら、恵まれない男子のために義理チョコ配ったでしょう? だからあれでかえって誰だか分からなくなったのよね」 「そっかぁ……でも誰だろ?」 「クラスの男子なのは間違いないですもんね」  妙に意気込んで、身を乗り出す麻里子とクロワに、ジャンヌは思わず苦笑する。 「もう……食いつきすぎよ。ミシェーラだってもらってたのよ?」  甘い笑い声と、ひそよかな内緒話──少女たちの夜は静かに、そして騒がしく過ぎていった。 ●未来世紀の少年少女  四月二十日──いよいよ、今日が自由研究発表会の幕開けだ。初日は各教室での発表が行われ、それから一週間、校内で各自の発表ポスターが掲示される。ポスターといっても、当然のことながら紙ではなく、電子データだ。この時期に日直当番になると、普段の仕事に加えて、「毎日、発表用ポスター掲示のために電子黒板のスイッチを入れる」が追加される。  教室内の発表とはいえ、壇上に上がれば緊張するのは誰しも同じだ。  ミシェーラ・ベネットは、先程から何度もため息をつきかけては、飲み込んでいる。発表の準備はくじびきで決めたが、よりによってミシェーラがトップバッターになってしまった。発表内容に自信はあるが、いざとなるとどうしても憂鬱になる。  ──うまく発表できるかな……。 「じゃあ、最初はミシェーラからだ。さあ、がんばってね」  元気づけてくれているはずのローマンの声も、さすがにこの状況では気落ちする。 「は、はい。えっと……」  うながされて、クラス全員の前に立つ。クラスメートの視線が、一斉に自分に注がれたのが分かる。まっすぐに前を向けなくて、ミシェーラは思わずうつむいてしまう。スカートをぎゅっと握ったまま、最初の言葉が出てこない。 「大丈夫だよ、準備したとおりに話せばいい」  そう言って、ローマンがぽんとミシェーラの肩を叩く。大きな手が温かい。その感触に、ミシェーラの気がほっと一瞬緩んだ。 「え、えっと……」  ──そうだ、クラスメートじゃなくてローマン先生に話をするつもりでやればいいんだわ。最高の笑顔と最高の発表を見てもらわなくちゃ。  そう決意した瞬間、ミシェーラはまっすぐに顔を上げて、いつになくはっきりとした声音で言った。 「私のテーマは、『街の歴史からみる古代遺跡』です。この「古代遺跡」というのは、みんなも知っている通り、学校の近くにある、あの不思議な建物のことで──」  一度声を出すと、自分でも驚くくらいにすらすらと言葉が出てくる。それをローマンが聞いていてくれると思うと、声も弾む。 「結論からいえば、「古代遺跡」はふたつの丘ができた頃にはもうありました。なぜ「古代遺跡」と呼ばれるようになったのかは分かりませんでしたが……。えっと、話を聞いた方によると、その人が大人になって、学校で働くようになった頃には、今のように古くて草や蔦がからまって、誰も見向きもしないような状態だったそうです。なので……三十年以上前から、今のような状態だといえます。次に──」  ミシェーラの発表を、誰もが──何よりローマンが聞いていてくれている。それがミシェーラには嬉しかった。 「次はいよいよ宝花たちの番だナ!」  宝花が意気込む。彼女たちのグループは、最終的にはクラス最大規模の人数になっていた。発表に使える時間と人数とで単純に担当と発表順を割り振っていったら、ずいぶん駆け足の内容になってしまった。発表内容自体は、水素発電の原理を図解つきで紹介するという、オーソドックスなものだ。 「緊張しちゃうね」  春希がいつになくぎくしゃくとした面持ちで言う。今日は無理だが、父が発表ポスターを見に来る予定だという。 「大丈夫! 宝花と一緒に、春希もがんばったカラ!」  そう言って、宝花は思いっきり春希の背中を叩いた。ばしんとすごい音がしたが、春希はようやく笑顔を見せた。 「あら、ミズキじゃない。相変わらずHENTAIと一緒なのネ」 「そういうジェシーこそ、ずいぶん大勢で発表するのね」  順調に、各自の発表が終わり、もうすぐ中盤に差しかかる。これから発表を控えたミズキとジェシーは、休み時間の間も発表準備に余念がなかった。 「そうヨ!」  ミズキの言葉に、ジェシーがくわっと拳を振りかざした。 「探検部のさらなる発展と跳躍のためにも、ワタシはユーには負けられないの!」 「胸のサイズで?」  横からしゃしゃり出たルーチェ・ナーゾは、ジェシーの裏拳をまともに食らって速攻で沈黙した。 「ところで、ユーはどんな風に発表をするの? ああ、コレは断じて敵情視察ではないワ!」 「……常に正面突破って、あなたらしいと思うわ。別にこれといって何もしないわよ。普通に発表するだけ」  ミズキがそっけなく答えると、授業再開を告げるチャイムが鳴った。 「人の思いは、常に信じるものとともにあります」  壇上に立ち、教室が自然と静かになるまで待ってから、ジャンヌはそう切り出した。 「はるか古代には、政治と宗教は切っても切れない関係……いえ、政事と祭事とは、一体を成していたのです。まず、こちらを見てください」  十歳の少女とは思えないような、厳かかつ周到な発表に、クラス全体がなんだか飲まれてしまっている。普段は軽口を叩いて茶々を入れるルーチェや、白鐘鈴香も神妙に──どう突っ込んだらいいか分からないだけかもしれないが──黙って聞いていた。 「かつて星を見て吉凶を占い、その結果によって政治が決められていた時代もありました。そのことは、決して愚かなことではありません。星を見るとは、すなわち自然の動きを見ることでもあるのですから。どのような文化圏であっても、宗教とは精神文化に対して大きな影響力を持っています。始まりの宗教としてのアニミズム……精霊や自然といったものへの崇拝と信仰は、その延長線上に祖先崇拝の観念も──」 《なあ、お前ら、魔女の言ってること分かるか?》 《さあ……よくわかんないけど、なんか歴史があるっぽいってのはわかった》 《難しいけど、なんだかすごいんだねー》  メッセージラインではそんな感想がやり取りされていた。 「ポスター以外にも、いろいろ置いておきますから、ご覧になってね」  そう言って微笑むさまは十歳の少女とは程遠い、魔女のようでもあった。  今年も魔女──ジャンヌ・ツェペリの発表がすごい、と話題になるもの至極当然といえば当然だった。ポスターだけでなく、見様見真似で再現したらしい謎の呪具や術具に、あふれんばかりの引用と参考文献の多さに、教師ですら時に圧倒されるほどなのだから。  神妙かつ厳粛な空気に包まれた教室を、不意に響き渡る音楽が破った。勇ましい音楽とともに、少女の声が轟く。異様なテンションでナレーションをしているのは、ジェシーその人だった。    ──探検部は冒険者の風よ! 全新招式! 石破天驚! 見よ、探検部は紅く燃えている! 「なんだこれ」  ルーチェが思わず、誰にでもなくツッコミを入れたのも、当然といえば当然なのかもしれない。  探検部──ジェシーたちの発表そのものは、オーソドックスな内容だった。ミシェーラ同様に、「古代遺跡」について調べたことを発表するというだけなのだが、演出方法にこだわりまくった結果、もう自由研究でもなんでもない雰囲気になってしまっている。冒険ドキュメンタリー番組を見ているような気分だ。水曜日にスペシャルやってそうなアレである。しかも、ご丁寧なことに次回予告つきだ。来年もやる気なのか。やるのか。やってしまうのか。それはさておき、ナレーションは、ジェシーに代わり、加藤守住だった。  ──そのとき! 探検部に危機が迫った! 謎の部屋に潜むのはいったい何か!? 皆さんお待ちかね! (えっ、これも全部言うのか?)(言わなきゃダメヨ!) ……えーっと、すべての冒険者の挑戦をあっけなく潰してきた謎の「古代遺跡」に挑戦する、探検部たち。しかし、その裏では陰謀を企てる何者かが、探検部たちに恐るべき罠を仕掛けている予定なのです。たぶん。(たぶんとか言ったらダメでしょ!)(だって、いくらなんでもさぁ……)(いいから、まだ発表終わってないし)(ごそごそ)次回! 機動探検伝ふたつの丘探検部「さらば師匠! マスター遺跡、暁に死す」に、レディ・ゴー!(ていうか、これマジなの?)(がさごそ)  呆気にとられたクラスメートたちと、読まされた原稿内容に悶絶している守住を尻目に、ジェシーの瞳は次の発表者──島田ミズキを見つめていた。その胸は、今日も熱くぷるるんと揺れている。 「見せてもらうワ……ミズキ!」 「なんか、あの後だとやりづらいなぁ。いろんな意味で」  ぼやくルーチェを引っ張るように、ミズキは壇上に上がる。隣のクラスのフランセットは一緒に発表はできないので、今は二人だけだ。 「まあ、気にしても始まらないわよ」  ミズキがテーマとして取り上げたのは、『軍と「ふたつの丘」の関わり』というものだ。直前のジェシーたちと打って変わって、十歳の子どもが取り上げるにはかなり硬質な内容ではあるが、ミズキの父が軍属だと知っている者なら、取り立てて違和感もない。娘が父の職業に興味を持ったということなのだろう。 「私たちの発表は『軍と「ふたつの丘」の関わり』です。父は、軍属の研究者です。でも、軍属といっても、映画や小説の中で出てくるような兵器を作ったりするようなことはないそうです。そもそも、兵器とか、そういうものはあまり存在していないと言っていました。理由は、戦う敵がいないから」  普段あまり耳にしない単語の連続に、子どもたちはきょとんとしながら聞いている。ミズキ自身も、自分の父の職業に興味を持たなければ、特に気にかけるようなこともなかったかもしれない。 「軍は、本来は国を守り、敵の攻撃から国民を守るためにあります。でも、ふたつの丘には敵はいません。だから、軍はいるけど、ない……というような状況です。なので、軍といっても軍警察とか国家憲兵……と呼ばれるものに近いそうです。実際、軍の出動といっても、大きな災害や事故で、普通の消防署や警察署では対応しきれないときに行われるものが多く、土木作業みたいなことをやる方が多いそうです。実際に、軍に正式な出動命令が出たのは今から十三年前に、ふたつの丘と王の城壁、ふたつの街の間にあった火力発電大火災事故が最後になると聞きました」  父から聞いた話を自分なりにまとめてはみたものの、あやふやな点は多く、伝聞調の口調になりがちだった。とはいえ、知識のないところから、ここまで聞き取り調査ができるならば御の字だろう。珍しくルーチェも、真面目な顔で発表を続けている。ルーチェが担当したのは、十三年前の火力発電大火災事故だ。  ふたつの丘と、王の城壁と呼ばれる街の間には、大規模な火力発電所があった。火災事故では、複数回にわたって大規模な爆発も起こり、その時発電所にいた職員のほとんどが焼死し、消火活動にあたった消防員や軍人からも多数の死傷者が出ている。この火災事故と世論がきっかけで、ふたつの丘をはじめとする街のいくつかでは、老朽化した火力発電所の閉鎖を決意したという。だが、それ以来、ただでさえ自然条件に左右される自然エネルギーに頼っている街では、電力不足が一層深刻になってしまったのだ。核融合炉を持つ十二枚の盾以外、恒常的な電力不足に悩まされることになったが、一方で核融合炉も老朽化しており、大火災当時の時点ですでに廃炉作業を開始している状況だった。そのため安定した電力供給は、この地域で最優先して解決すべき課題となっている。 「思わぬところで、電気の話が出てきたネ……」  宝花が小さく呟いた。  最後まで水曜日っぽいスペシャル感全開だった探検部たちと、ミズキたちの硬派な発表の後という、圧倒的アウェー感漂う中、素朴に始まった麻里子の発表は、もはや癒しの領域に達していたかもしれない。星々が動いていくさまを、一時間おきのスライドショーで見せるという、シンプルかつ分かりやすい発表内容は、見ている者を安心させた(特に教師を)。  ついに最後──ラストバッターは野中永菜だ。なぜか手に持った箱には、可愛らしい柄の布がかぶされており、たまに中からがさごそと音がする。  壇上に立った永菜はすっと息を吸い込むと、まっすぐにクラスメートたちを見つめて言った。 「今回の課題は一生懸命がんばりました!」  その言葉に、まだ何も始まっていないが拍手が起こる。 「飴にも負けず、風邪にも負けず、夜も寝ないでお昼寝したこともありました。わたしの血とか涙とかの結晶です、見てください!」  そう言うと、永菜は持っていた箱にかぶせていた布をさっと取る。その途端、わっと歓声が上がった。 「私のテーマ……それは『ハムスターの生態』です!」 「可愛い!」 「ハムスターだぁ!」 「もふもふしてるー!」  永菜が持ってきていた箱は、ハムスターの飼育カゴだった。中では、くるくると一心不乱に回し車を回して遊んでいるハムスターが一匹。 「この子はとっとこヴァンガード太郎といいます」 「すげー強そうな名前」 「苗字がとっとこ? ヴァンガードはミドルネーム?」 「はいはい静かに。永菜の発表を聞こうね」  目の前に現れた愛らしい小動物を前に、子どもたちのテンションは嫌でもうなぎのぼりだ。発表会のことなど、すっかり頭の中から吹き飛んでいる。永菜も可愛いハムスターと遊びたいのを懸命にこらえながら、持っていたタブレットに発表用のカンペを表示させ、読み上げる。 「ハムスターさんは、私たち人間に適したペットさんです。なぜなら、犬さんは恰好いいけど、わんわん吠えられたらちょっと怖かったし、猫さんは逃げていったからです。それに、おうちで飼うのは、許可をもらわなくちゃいけないので大変です。その点、ハムスターさんは、犬さんや猫さんに比べると、許可も下りやすいって、ペットセンターの人が言っていました」  話しながら、永菜は手描きの図解を電子黒板に表示させる。ヴァンガード太郎らしきもやっとした動物と、犬と猫のように見える四つ足の動物が描かれていた。 「ハムスターさんは、人によく馴れて飼いやすいです。喧嘩しちゃうといけないので、基本的に一匹で飼います。でも、ギジトーミン状態のままにしておくと死んでしま……うぅ、ぐすっ、死んじゃう……ぐすっ、うぐっ、ぐすん……」  自由研究発表用に調べているうちに、情が移っていたのだろうか、ただ情報を読み上げるだけの場面でも、永菜は泣き出してしまった。クラス一丸でようやく慰めたものの、永菜はまだぐすんと涙をぬぐっている。 「ぐすん……あと、ハムスターの大きさにあった回し車をあげると、喜んで遊んでくれて、とても可愛いです。えっと、以上で、発表を終わります。……これでヴァンガード太郎ともお別れなのです。自由研究……ぐすっ、発表の間だけって約束したから……ううぅ、ぐすん、か、返してこないとひっく、ひっく、いけなくって……ぐすっぐすん、お、お別れし……したくない……太郎ぅ……ふえぇええええん」  いよいよ永菜は声を上げて泣き出してしまった。  からころと、ヴァンガード太郎が無邪気に回す回し車の音が、永菜の耳にいつまでも響いて、消えない。 ●貝殻の上のヴィーナス  今ごろ、学校では自由研究発表会が行われているだろう。校内のあちこちに、研究発表の成果を表示する電子掲示板が置かれ、そこにはクラスメートたちの発表ポスターが表示される。一週間ほど表示は続き、その間、子どもたちは発表内容のことで質問されたら必ず答える決まりになっている。  山野ニコ=トポも、本来なら、発表の場にいるはずだった。  ごろんと、ベッドで寝返りを打つ。シーツの衣擦れの音しかしない。部屋はしんと静まり返っていた。父も母も、今は勤務時間で不在だ。  おなかが痛いと、ニコ=トポが担任のローマン・ジェフリーズに言ったのは、二時間目が始まる直前のことだった。 「大丈夫かい? 保健室までついていこう」  そう言ったローマンに、ニコ=トポは首を横に振った。ローマンは、無言で腰をかがめると、ニコ=トポと目線を合わせるように、顔を覗き込む──が、ニコ=トポはうつむいてしまって、その表情はよく見えない。 「……家に帰るかい?」  ローマンの言葉に、ニコ=トポは頷いた。    教室を出て、家に着くまでの間、ずっとニコ=トポは考えていた。  ──どうして早退してしまったんだろう。  鉱石ラジオも、発表会の時に読み上げようと思った原稿も、すべて完璧に揃えてあった。それなのに。  自問自答は、自室のベッドに寝転がっている今も続いている。  両親には、きっと学校から早退したという連絡が行っているだろう。  ふたりとも、今日は心配して早く帰ってきてくれるだろう。消化の良い、温かい夕食を用意してくれるだろう。柔らかな毛布をかけて、そっとなでてくれるだろう。  嘘だと見抜かれるかもしれない。  それでも、叱らずに、そっとなでてくれるだろう。    ルン=ペル、結局ぼくはどうするのが一番良かったんだろう?  おなかが痛いのは嘘だけど、帰りたいと思ったのは嘘じゃない。  でも、今、ラジオのことを考えると、気持ちがぐしゃぐしゃになりそう。それも嘘じゃない。  ルン=ペルの答えはない。  なんで、こんな気持ちになるんだろう。  早退するって言ったのは、ぼくなのに。  ぼくはやっぱり、発表をみんなに聞いてもらいたかったのかな。鉱石ラジオを見てもらいたかったのかな。 (放送しよう)  え? (ラジオを放送しよう。ぼくらのラジオを聞いてもらおう)  でも、ルン=ペル。誰もいないよ。ここは学校じゃないんだ。ぼくたちしかいないよ。 (何を言ってるんだい、きみは。ラジオは、遠くにいる人だって聞ける。そうだろう?)  そうだけど……。そうだけど。 (やってみようよ。たしかに、クラスのみんなには聞けないかもしれない。今みんな学校だもんね。でもさ、誰かが聞いてくれてるかもしれない。ぼくらの声を)  でも。 (行こう、あの日見つけた、ぼくらのふたつの丘へ。鉱石ラジオは、学校なんかじゃない、ぼくらのふたつの丘にこそふさわしいのさ。きみはきっと、ラジオの声を聞いたんだ。ぼくらのふたつの丘から声を伝えたいって言ってる、鉱石ラジオの声を)  ニコ=トポは、友人の言葉に背を押されるようにして、家を出た。鉱石ラジオを持って、ふたりしか知らない、彼らだけの「ふたつの丘」に。  息を切らせて、「ふたつの丘」にたどり着いたニコ=トポは、ラジオアプリを起動させ、鉱石ラジオのスイッチを入れる。そして、タブレットに保存していた、自由研究発表会用の原稿を読み上げ始めると、鉱石ラジオから自分の声が聴こえてきた。 「HELLO,HELLO.この声が聞こえますか?」  ──原稿を読み終えた時、ニコ=トポは、ラジオアプリにメッセージ受信の表示が出ていることに気がついた。誰かがラジオを聞いていたのだろうか。同じラジオアプリを使っていれば、放送中の相手にメッセージを送ることができる。だが放送では、ニコ=トポの名前を出していないし、何より学校は発表会の真っ最中だ。少なくとも、学校の誰かではない。  恐る恐る、ニコ=トポはメッセージを開くと、ごく短く、こう書かれていた。  とても素敵な放送でした。  子どもの頃を思い出します。  ふたつの丘の、八月のおばあちゃんより。 ●素敵な部活で暮しましょ 「へぇ、懐かしいなぁ」  その声にジェシーが振り向くと、保健医のベネディクト・ハンゼルカがジェシーの研究発表ポスターを興味深そうに眺めていた。ジェシーの視線に気づくと、ベネディクトがのんびりと話しかけてくる。 「これって、きみの自由研究?」 「そう! ワタシたちは今「古代遺跡」の神秘に迫るべく、日夜奮闘しているのデス!」  興味を持ってくれた「大人」を逃すわけにはいかないと、ジェシーは熱く語りだした。 「見てください、ほら、音声ナレーションもつけたんデス!」  ジェシーがポスター画面の一部をタップすると、勇ましい音楽とともにナレーションが流れだした。ナレーションは発表時のものを録音し、そのまま使っている。  ──そのとき! 探検部に危機が迫った! 謎の部屋に潜むのはいったい何か!? 「あはは、ずいぶんとこってるんだねぇ」  ベネディクトは面白がっているようだ。何度もナレーションを再生して見入っている。 「僕たちも、子どもの頃はよく忍び込んでたものだよ」 「えっ?」  さり気ないカミングアウトに、ジェシーは息を呑む。まさか、「古代遺跡」を知るものが、こんな身近に──それもこんなぽややん保健医の口から出てこようとは。 「いやぁ、思い出すなぁ。あそこってまだ入れるの?」 「は、はいッ」 「へえ、そうなんだぁ。僕たちもよくあそこに入って遊んだものだよ。まだ、あの変なモニターとかキーボードもある? あれもよくいじってみてたんだけど、結局何にも起きなくてねー」  昔を思い出すような目で、ベネディクトは言う。 「だけど、ローマンが……じゃないね、ローマン先生がいつだったか、中の機械の部品みたいなのに腕をひっかけて、大怪我しちゃってね。ジェフリーズ先生には大目玉食らうし、あれ以来なんとなく足が向かなくなっちゃったんだなぁ」 「あ、あのッ」  ベネディクトの思い出話が長くなりそうなので、ジェシーは思い切って話を切り出した。 「探検部の顧問になってクダサイ!」 「へ? 顧問?」  呆気にとられるベネディクトに、ジェシーは立て続けに懇願する。 「ワタシたち「探検部」を結成して、日夜「古代遺跡」に挑んでるんデス! でも正式な部活じゃないから、あまり大手を振って活動できないシ……ダカラ、顧問になってくれる人を探しているノ! 先生だったら「古代遺跡」に挑んだこともあるし、申し分ないワ! そうしましょう!」  後半からお願いというより、決定事項のような言い回しだが、ベネディクトは笑って頷いた。 「いいよー、なんだか楽しそうだし」 「そう、楽し……って、え、そんなにアッサリ?」  あまりにあっさりとした回答に、ジェシーはかえって心配になる。 「別に構わないよ。僕はとくに何かの顧問をやってるわけじゃないし……それに、もし君たちが怪我でもしたら、大変だ」 「あ、ありがとうございます! 先生、では早速部活申請へ!!」 「え、今から?」 「正義は急ぎます!」 「あはは、なるほどねー」  ──こうして、探検部は念願の顧問を手に入れた。だが、これからも彼女たちの先にはさまざまな困難が待ち受けていることだろう。行け、探検部! 「古代遺跡」の謎が解明される、その日まで! 「だいたい、こんなナレーションって感じ?」 「先生、何言ってるんデスカ」 ●スチューデントスコア 「最多ポイントは、陳宝花、ニアシュタイナー・シュトライヒリング、アレクセイ・アレンスキー、片岡春希、ライサ・チュルコヴァの水素発電について、だ。短期間でよくまとまっているね。ちょうど今話題にもなっているし、グループとしての作業もよく協力しあって、うまく分担していたと思うよ。次点は探検部……って、これでいいのかい、ジェシー? えーと、プロジェクターとナレーションで上手くまとめた……と言っていいのかな、まあそういうことと、グループ全体の調査結果をよくまとめていたところが評価されたよ」  自由研究発表会の講評が、ローマンから伝えられた。発表会時の内容と、ポスター掲示が評価対象だ。評価は担任だけでなく、他の教師からも採点されている。また、掲示期間に学校を訪れた父兄たちからの投票も加味されることになっている。ポスター掲示も、評価の面では意外と侮れないのだ。 「次にそれぞれの講評だけど……」  ローマンがそう言って、教室を見回すと、みなそれぞれに神妙な面持ちで聞いている。進級や進学といった言葉が、まだ実感できない年頃といっても、優劣の差を教師の口から聞かされるのは、人によってはストレスだろう。この年頃の子どもたちは、たとえ些細な点でも、他者との差異に敏感になりつつある。へたに点数順で言うよりも、個々の評価をした方がいいな──ローマンはそう考えた。 「じゃあ、点数とかは関係なく、順番に行こうか。まずはミシェーラ・ベネット。発表では緊張してしまったようだけど、最後までよくがんばった。本を調べるだけではなくて、実際に人に聞いてみるというのも、なかなか難しかっただろう。でも礼儀作法もしっかりしていたと言っていたよ……って、ああ、これはその、こっちの話。  ミズキは変わったところに目をつけたね。でも、ご両親の仕事に興味を持つというのはいいことだよ。仕事というのは、社会との接点でもあるからね。  麻里子の発表も丁寧に作ってあって、理科の先生にも好評だったよ。知りたいことや気になることは、自由研究発表会に限らず、どんどん調べてみるといいよ。  シュリーも、年々発表がレベルアップしているね。先生にはちょっとよく分からない点もあるけれど、あそこまでできるというのは、すごいことだよ。好きなことがあるなら、チャレンジしてみた方がいい。  ニコ=トポは急に体調不良になってしまって、残念だったね。来年はまたがんばろう。  留乃歌はみんなのサポートに回っていたようだね。いろいろ大変だっただろうけど、よくがんばった。みんなも、留乃歌のように友達が困っていたら、助けてあげるようにね。  そうそう、永菜のハムスターは学校で特別に飼育することになった。今日から永菜を飼育係に任命しよう。責任をもって、育ててあげるんだよ──はい、では今日はここまで」  その声とともに、終業を告げるチャイムが鳴った。 ●地上の星が瞬く頃に 「三、ニ、一──点灯!」  カウントダウンの後、街中の街灯という街灯に明かりが灯った。途端に、あちこちで歓声が沸き上がる。  これまでは電力事情を鑑み、治安や市民の安全のために設置されている街灯のすべてが点灯することは滅多になく、ローテーションで点灯・非点灯を繰り返していた。それは、節電だけでなく、各機器の消耗や交換を先延ばしにする意味もあったが、市民たち──特に幼い子どもがいる家庭──からは不評だった。  だが、それも水素発電が開始されるまでの話だ。  水素発電所からの送電実験が行われるこの日は、水素発電所内の光景がリアルタイムで配信されていた。これからは、夜になれば街中の街灯が灯り、安心して歩ける日々がずっと続くだろう。停電の心配も、古い地下・地上送電網のリニューアルが終われば、一気に解消されるはずだ、と父──片岡音彦が語るのを、春希は嬉しそうに見ていた。  立ち並ぶ街灯のすべてが、明るく夜の闇を照らしている。  今日ばかりは、子どもたちも夜ふかしが許される。まるでハロウィーンの季節のような、頬が思わず緩む雰囲気が街中に満ちていた。上空から街を見下ろしたら、地上の星のように輝いて見えることだろう。  しかし、そんな光景を、どこか寂しげに見る子どももいた。 「星、あんまり見えないね」  ぽつりと漏らすクロワの言葉に、麻里子は小さく頷く。その様子を、麻里子と手をつないだ弟の海斗は、不思議そうに見上げている。 「おほしさまー? いないの? どこかへいっちゃった? ばいばい?」 「ううん、いるよ。お星様は、ちゃんといるよ」  弟の言葉に、苦笑いしながら麻里子は答え、夜空を見上げた。そこには、今日も満天の星空が広がっているはずだった。今夜は、街を照らす人工の明かりに、星の瞬きはかき消され、よく見えない。 -------------------------------------------------- 登場PC・NPC一覧 -------------------------------------------------- 【PC】 ・陳宝花 ・ジェシー・ジョーンズ ・クロワ・バティーニュ ・島田ミズキ ・御手留乃歌 ・ミシェーラ・ベネット ・ジズ・フィロソフィア ・ニアシュタイナー・シュトライヒリング ・アレクセイ・アレンスキー ・辻風麻里子 ・ジャンヌ・ツェペリ ・野中永菜 ・山野ニコ=トポ 【ちょっとだけ出てきました系PC】 ・ビス・エバンス ・加藤守住 ・瀬木戸鈴夏 ・白鐘鈴香 【NPC】 ・片岡春希 ・ライサ・チュルコヴァ ・ルーチェ・ナーゾ ・オーガスタ・ジェフリーズ ・ローマン・ジェフリーズ ・島田優司、リン夫妻 ・フランセット・ドゥグルターニュ ・ドクター・シュトライヒリング(母の方) ・ベネディクト・ハンゼルカ 【ちらっといたね系NPC】 ・陳宝陽 ・加藤守住 ・片岡音彦 ・辻風一家(宗介、舞、海斗)