-------------------------------------------------- PBeM『VOiCE』第3回リアクション 03-C 委員長は進級試験の夢を見るか? -------------------------------------------------- ●五月女王に祈りを  五月は卒業、そして進級・進学のシーズンだ。芽吹く緑に囲まれながら、子どもたちは次の世界へと巣立っていく。  ふたつの丘で生まれ、育ち、いずれはここで死んでいく。  中には、他の街へと旅立つ者もいるだろう。  そうやって、人々はこの地で歴史を作ってきたのだ。  今月末には、水素発電所が本格稼働する予定だ。自然が生み出す夜の闇を、人間が生み出した科学の光が照らす。  それは、子どもたちの前途も照らしているように、大人たちには思えた。  子どもたちの行く末が、光と幸いに満ちたものであるように、と誰もが願っている。 ●それは黄金の昼下がり 「……由々しき事態だわ」  二日前に行われた国語の小テストの結果を見て、御手留乃歌は苦々しく呟いた。昼休みのささやかな喧騒すら、今の留乃歌には苛立たしい。  テストの結果は、教師による採点が終わると、それぞれのタブレットにデータ転送されてくる。そこには個人の点数だけではなく、クラス全員の点数と平均点も閲覧できるという、厄介なおまけつきだ。テストの回答内容やその正誤までは、さすがに他人には見れないようになっている。だが、あえて点数だけでも見せるのは、向学心や競争心を抱かせるというのが狙いなのだろう。子どもたちの中には、ゲームの点数を競いあうような感覚で、テストの点数を競う者もいるので、それなりに効果はあるようだった。もちろん、リアルな数字を見て落ち込む子どももいるのだが。  留乃歌はタブレットの画面を苛立たしげにタップして、個別の点数一覧を眺める。  進級試験が間近だということを知らせるように行われた小テストは、抜き打ちだったせいもあって、クラス全体の平均点は決して悪くはないものの、芳しくもない。留乃歌にとって気がかりなのは、上位と下位の固定化が進んでいることだ。慣れた手つきで、留乃歌は今学期の小テストの平均点変移グラフを呼び出す──わざわざ自作しているのは、クラスでも留乃歌だけだ。  それを見た留乃歌の眉が、ぎりりと釣り上がる。  ──明らかに、平均点は下降傾向にあった。  定期試験や進級試験と違い、小テストは日頃の学習の確認や復習のために行われることが多い。出題内容も基礎的なもので、授業を聞いていれば、そうそう悪い点を取ることもないはずだ。それなのに。 「つまり、基礎がなっていないということね……」  橙色のフレームを指で押し上げながら、留乃歌はそう結論づける。基礎学習が足りないのだ。  これはどうしたものか、と留乃歌が考え始めた時だった。 「あー、テスト返ってきてるぜー」  ルーチェ・ナーゾがのんきに言う声が聞こえてきた。 「んー、まあ、こんなもんか」  HENTAIのわりに、それほど成績が悪いわけでもないルーチェは、興味なさそうにタブレットをタップし、眺めている。 「白猫はどうだった?」  白猫と呼ばれた少年──白戸さぎりは、つまらなそうにあくびを一つすると、答えた。なぜか、教室中に響き渡るほどの大声で。 「三点!」 「ん、何が?」 「テストの点数に決まっているだろう! 三点だぞ! はーはっはっ!」 「マジかよー」 「はーはっはっ! ぼくの成績をあまりなめない方がいいぞ!」 「白猫ー、進級やべぇんじゃねーの?」  けたけたと笑う少年たちの表情に、成績や進級に対する憂いは微塵もない。  がたん。 「ん?」  ふと感じた気配に、さぎりとルーチェが振り返ると、そこには留乃歌が立っていた。顔はうつむき、前髪で表情は隠れて見えない。眼鏡のレンズは、窓から差し込む光が反射して、白く光っている。 「な、何か、ご用ですか」  不穏なものを察したのか、ルーチェはなぜか敬語で留乃歌に話しかけた──が、留乃歌は何も言わない。 「あ、ああ、ごめん、うるさかったですよね」  そう言いながら、ルーチェはさぎりをそっと促し、留乃歌から離れようとした。 「……ですって?」 「なんだ、よく聞こえないぞ」  さぎりが留乃歌に聞き返すのを、ルーチェは止めようとしたが手遅れだった。 「……三点ですって? 百点満点中、三点?」 「ああ、なんだ。テストの話か。そうだぞ、テキトーに答えたら全部外れて、一個だけ部分点で──」  俊敏かつ獰猛に獲物をとらえる肉食獣の動きで、留乃歌はさぎりとルーチェの肩をつかんだ。それでも顔はうつむいたままで、その表情は窺えない。 「ひっ」  ルーチェが思わず悲鳴のような声を上げる。それはもはや、草食獣の断末魔のように、むなしく響いて教室の喧騒に消えていった。 「あんたたち……それがどういうことだか、分かってるんでしょうね……」 「わ、分かります分かりますすごく分かります」  かくかくとルーチェが壊れた人形のように首を振るのとは対照的に、さぎりは興味なさそうにしている。彼が本物の猫だったら、伸びの一つでもして、どこかへ行ってしまっていただろう。 「小テストごときであの点数なんて……」  ぎりり、と肩に留乃歌の爪が食い込む。 「そんな調子で、進級試験はどうするつもりなの……?」  ぎりりりり、と爪がさらに食い込む。さすがに、さぎりも、そろそろやばい、と思い始めたのか、後ずさろうとするが、留乃歌の手は彼らを決して離さない。  ゆらり、と留乃歌が顔を上げた。ゆっくりとした動きで、二人の少年に顔を近づけ、耳元で言う。 「ちゃんと授業を受けてないから、こういうことになるのよ……!」  呪詛のような囁き声が、さぎりとルーチェの耳を嬲った。  ──こうして、地獄の進級試験対策王(ロード・オブ・エグザミネーション)、御手留乃歌が誕生したのであった。 ●白猫と手に手をとって  猫は、ひっそりとほくそ笑んだ──チェシャ猫のように。  いつもの日だまりが、明日から変わるようなことがあっては困る。  いつもの昼寝場所が、明日から失われるようなことがあっては困る。  猫は環境の変化を嫌う。猫は家につくと言われるのも、そのためだ。  教室の雰囲気が、万が一にでも変わるようなことがあれば、それはそのまま猫にとってストレスになってしまう。  だから、猫は考えた。  人を助けたがる人に、人を助ける機会を与えようと。それはそのまま、猫を救うことになる。  これも愛だ。  猫から、人への。 ●エフィーナの愛をこめて  ──5月2日  とっとこヴァンガード太郎は、今日も元気です。  ごはんもたくさん食べて、今はすやすや寝ています。  なでたら、ぴくっと動きました。かわいいです。  飼い始めた時より、ちょっと重くなってました。ていうことは、大きくなってるんだと思います。なんだかうれしいです。  明日も、ちゃんとお世話をします。 「でーきた」  野中永菜は、放課後の日課である飼育日誌を書き終えると、データを転送した。晴れて、ハムスター──とっとこヴァンガード太郎の飼育係として、正々堂々と動物と触れ合えることになった永菜は、毎日、飼育日誌をつけている。飼育係としての仕事なのだが、永菜は義務感を感じてはいない。クラスの友人たちとヴァンガード太郎の成長を見守り、一緒に遊び、そしてそれを担任のローマン・ジェフリーズやキルシ・サロコスキに見てもらうのが楽しくて仕方ないのだ。  ヴァンガード太郎は、餌を食べて満足したのか、今は小屋の中で眠っている。起こさないようにそっとケージを持つと、永菜は職員室へと向かった。平日の夜は、職員室に預けることにしている。職員室であれば、教師たちが夜遅くまでいるため、面倒を見てもらえるからだ。永菜としても、一晩中ひとりで教室で過ごすよりも、誰かしらそばにいた方が、ヴァンガード太郎のためにもいいだろうと思っていた。そのかわり、土日など学校が休みのときは、永菜は責任をもって面倒を見るために、自宅へ連れて帰っている。  職員室へ向かう途中、すれ違う他のクラスの子どもたちから、うらやましそうな、好奇心の混ざった目で見られるのも、永菜にはなんだかくすぐったくって、楽しい。  永菜は、いつもどおりの時間に、いつもどおりのタイミングで職員室のドアをノックした。ドアを開け、ぺこりと一礼してから入る。担任のローマンは事務作業か何かをしているようだった。 「先生、ヴァンガード太郎を連れてきました」  そう言うと、ローマンは作業中のデータを保存し、小さなケージを恭しく受け取った。 「今日も飼育係さんはがんばっているね」  ローマンの言葉に、永菜は嬉しそうに頷く。 「飼育日誌も、さっき送ったので、あとで見てください」 「いいよ、わかった」 「あと、それと……」  永菜は少しうつむいて、口ごもる。だが、すぐに顔を上げると、ローマンに言った。 「お勉強を教えてください」  ローマンは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑顔になった。 「飼育係さん、それはいいことだ。進級試験も近いことだしね」  進級試験といっても、永菜たちの学年ではそれほど深刻なことはない。通常の定期試験とあまり変わらない。試験範囲が一年間学んできたすべてになるので、そこは厄介ではある。点数が悪ければ、進級できず留年となるが、ローマンの記憶にある限り、初等教育クラスでは滅多にないという認識だった。 「……進級試験、落ちたら、ヴァンガード太郎には会えなくなっちゃいますか?」  永菜はぽつりと言った。自分の年頃なら、あまり深刻に考えなくてもよいということは知っていたが、やはり不安を感じてしまう。ローマンは何も言わずに、永菜の頭をなでた。 「大丈夫だよ。永菜は、太郎の面倒を見るのと同じくらい、勉強もちゃんとやっているだろう?」  永菜はややあってから、小さく頷いた──ちゃんとやっているつもりだけど、すぐに頷いちゃうのもどうかなぁ。 「分からないところがあったら、いつでも聞きに来ていいんだよ。クラスのみんなも一緒にね」 「はい、先生」  そう答えると、なんだか心の重りが少し軽くなったような気がした。  ──試験がんばろう。パパとママに褒めてもらえるように。ヴァンガード太郎と一緒に進級できるように。 ●「一番いい説明は、じっさいにやってみることだよ」  ジャンヌ・ツェペリは「魔女」である。今はまだ小さな魔女だが、これから偉大な魔女になる予定だ。魔女は感謝を忘れない。周囲への感謝や畏敬を忘れれば、やがて魔法は解けてしまうだろうから。  とはいっても、魔法のために、彼女は今日のイベントを企画したわけではない。友人たちへの、ささやかながらも、ジャンヌなりの感謝と友情のために、導かれた乙女たち──御手留乃歌、クロワ・バティーニュ、辻風麻里子、野中永菜──と、一匹の白猫──さぎりを部屋に招いたのだった。 「お姫様だわ……」  そう言って、深くため息をついたのは麻里子だった。彼女が立っているのは、それこそ物語の中のような部屋だった。  薄く軽やかなヴェールをまとった天蓋付きのベッド──もちろん、足は優雅なラインを描く猫足だ。  お荷物をお運びしますね、とそっと麻里子の手からバッグを受け取り、後ろをついてくるハウスメイド。こちらもまた、物語の登場人物のように、古式ゆかしいエプロンドレスを身に着けている。  幼い少女が抱く、ふわりとしたレースとフリルにあふれた甘やかな夢を、そのまま具現化したら、おそらくこの部屋のようになるだろう。 「ようこそ、来てくださって嬉しいわ」  ジャンヌの言葉も、今日はなんだか小説の中の一フレーズのように聞こえた。 「ここが、魔女さんのお部屋ですか? すごいです……!」  留乃歌に誘われてやってきた永菜も、思わずため息をこぼす。地獄の進級試験対策王(ロード・オブ・エグザミネーション)こと留乃歌も、思わずうっとりと部屋を見回している。唯一の男子であるさぎりだけは、落ち着かさそうに周りをきょろきょろ見回した後、飽きたのか、ぼんやりと何もない空間を見つめていた。  今日は、ジャンヌの自宅で進級試験の勉強会──という名のお泊り会──である。留乃歌が試験勉強の面倒を見ている永菜とさぎりも、一緒にお呼ばれしたという次第だ。進級試験も近いとあって、クラスではちょっとした勉強会(という名のお泊り会)ブームだ。陳宝花や片岡春希らも、ジャンヌたちと同じように勉強会をしているらしい。 「すごいなぁ、お姫様の部屋だよねぇ……あっ、あれなぁに?」  クロワが指さした先には、薄い樹脂製のカードが置かれている。トランプとは違い、一枚一枚に意味ありげな絵が描いてあった。 「ああ、それはタロットカードよ。占いに使うものなの」 「へぇ、魔女って占いもできるんだぁ」 「ふふ、当然よ。魔女のたしなみだもの」 「じゃあ後で占ってね」 「私も占ってもらっていいかしら」  クロワと麻里子がタロットカードに興味を示すのを見て、ジャンヌはどこか満足気に頷いた。  ジャンヌお手製の夕食の後は、いよいよ勉強会の開始だ──とはいっても、友人同士の気兼ねないおしゃべりに花が咲くのはご愛嬌といったところか。留乃歌がいなければ、そのまままったりと時間が過ぎていったかもしれない。 「全員、満点と進級を目指すわよ!」  留乃歌の意気込みに、永菜が不安げな表情になる。 「百点……とれるかなぁ……」  少し苦手な算数の試験を思うと、永菜は気が滅入った。 「目標は、大きすぎるくらいでちょうどいいのよ。目標を小さく設定してたら、達成したって成果は小さいし、達成できなかったら得られるものはほとんどないもの。逆に、大きい目標だったら、たとえ達成できなかったとしても、得るものは大きいわ。それこそ、できることなら百二十点を目指すくらいがいいわね」  留乃歌は永菜を勇気づけるように、背中をぽんぽんと叩く。 「うーん、あんまり大きいと負けちゃうかもです……」 「平気よ、私がついてるもの」  きっぱりと言い切ると、留乃歌はタブレットを取り出し、算数の計算問題アプリを起動させた。そして、クッションを枕にして、興味なさそうに寝転がっていたさぎりの首根っこを引っ掴むと、永菜の隣に座らせた。 「な、何をするー! 食事のあとは寝る! 寝るったら寝るのだ! それが猫のさだめー!」 「お 黙 り !」  さぎりの抗議を一声で切り捨てると、留乃歌はぽきぽきと拳を鳴らした。 「さあ征くわよ、まずは基礎問題百問──!」  勉強会という名の戦場が、今、始まる。  最後まで立っていられた者には、栄光と勝利が輝くだろう。  倒れた者は、その屍を晒すのみ──。 「なんか、すっごいやる気だよねぇ〜」 「本当に委員長って面倒見いいですよね。あ、じゃあ次は私を占ってください」 「どうぞ、何を占う?」 「えっと……」  留乃歌が燃え上がる脇で、クロワたちはのんびりとタロットカード占いを始めていた。 「恋愛運とかは〜?」 「れっ、れん……!?」 「あらいいわね。じゃあ、麻里子と彼との相性を占いましょうか」 「えっ、えっ、彼って誰、その、えっと、あ、そんな……恋とか愛とか……そんな、まだ、あっ、その」 「いいじゃなーい、麻里子と麻里子の好きな人で占っちゃおうよ〜」 「ぁああ、その、えっと……」 「うふふ、麻里子は可愛いわね」  お姫様のようなジャンヌの部屋のあちらとそちらで、それぞれに夜は更けていくのだった。   ●グリフォンもためいきをついて  五月中旬──いよいよ、進級試験だ。試験期間は一週間ほどだが、この期間は学校内もどこかぴりぴりした雰囲気が漂う。上級学年になればなるほど、その緊迫感は強くなるが、永菜の学年ではまだそこまで気にする様子もない。だからといって、手を抜けるわけでもないのだが。  試験は、毎日二教科ずつ行われる。昼前には家へ帰れるが、放課後遊びに行く者は当然のことながら少ない。体育や図工といった科目では、実技試験も行われるため、その日だけはどことなくほっとした表情の子どもが多かった。  今日は国語と算数のニ科目だ。永菜は、何度も計算問題アプリで練習問題を繰り返している。基礎が大事だという留乃歌のアドバイスをもとに、基本的な計算問題できっちり点を稼いでいこうという戦法だ。何度も繰り返しているうちに、永菜の正答率はかなり上がっている。 「メリサさんは、勉強してきましたか? メリサさんだったら、やっぱり今度も百点ですよね」  ふと手を止めて、永菜は隣の席の百日紅メリサに話しかける。メリサはクラスでも成績上位者だ。母親も教育熱心らしく、保護者が見学できる学校行事では、ほぼ必ずといっていいほどメリサの母──小鳥の姿を見かける。  話しかけられたメリサは、物憂げな様子で自身の黒髪を指にからめた。 「うーん……ちょっと自信ないかも」 「えっ、メリサさんでも?」  永菜には、メリサの自信なさ気な言葉が意外だった。てっきり、メリサのことだから、しっかり勉強しているだろうし、余裕で満点を取るだろうと思っていたのだ。 「だって進級試験だもの」 「あう……そうですよね……」  メリサの言葉に、思わず永菜の声も沈む。 「大丈夫よ、心配ないわ!」  唐突に、背中を叩かれて、永菜とメリサは思わず振り返る。そこには、地獄の進級試験対策王(ロード・オブ・エグザミネーション)──留乃歌の姿があった。 「あれだけ勉強したんだもの、問題ないわ。ウチのバカ兄みたいに、進学でヒーヒー言うようなことにはならないわよ」  バカ兄というきつい表現のわりに、留乃歌の口調はどこか柔らかい。 「そ、そうかなぁ……」  なおも心配そうな永菜だが、ジャンヌの家での勉強会を思い出すと、確かにあれほどやったのだから、何とかなりそうな気もしてくる。 「メリサさんもそうよ。普段あんなに勉強ができるじゃない、いつもどおりにやればいいのよ」 「そうね……」  留乃歌の言葉に、メリサは物憂げな表情のまま、曖昧に頷いた。 ●世界は「普通」に満ちている   試験開始の合図とともに、教室はしんと静まり返る。  ──なんで、わざわざテストなんてするのかしら。勉強なんて、してどうなるっていうのかしら。  メリサは、心のなかでひとりごちる。  計算に悩むふりをしながら、実際には問題のことなど考えてはいない。単に時間が過ぎていくのを、淡々を待っているだけだ。  ──私より頭がいいはずのお医者さんでも、キルシ先生の病気は治せないっていうのに……。   メリサの学力なら、中等教育クラスの問題でも解けるだろう。彼女自身は知る由もなかったが、一時は飛び級も検討されていたほどだ──結局、同年代の子どもたちとの集団生活の方が優先されたが。  子どもという存在は、「自分とは異なるもの」に対して、あっさり受け入れることもあれば、徹底して排除しようとすることもある。成績が良いというのも、大人から見れば賞賛すべきことであっても、子どもたちの間で何かの拍子に「排除すべき対象」となってしまうこともありえるのだ。何より、メリサは自分が突出して目立ってしまうことが嫌だった。  メリサちゃん、頭良いもんね。  勉強できる人は違うよね。  「わたしたち」とは「違う」もんね。  そんな言葉にいちいち対応するのも疲れてしまう。結局、メリサが選んだのは「なるべく目立たないこと」だった。そして、手っ取り早い方法として、メリサは「好成績を出さないこと」を選んだ。  メリサはひと通り問題を見回して、難易度のランクをつける。簡単なものは解けて当たり前だと教師も思っているだろうから、そこは全問正解にしておいた方がいいだろう──いや、一、二問ケアレスミスを混ぜておくのもいいかもしれない。  ──ああ、ここは引っかかって欲しいのね。  文章問題に誤読は付きものだ。ここにわざとつまずいておけば、きっとそれらしく見えるだろう。  真剣な雰囲気の教室の中で、メリサは作戦を練った。どうすれば、ほどほどに好成績で、かつ周りから目立たない程度に間違えることができるか。試験時間のほとんどは、その思考に充てられていた。傍から見れば、難問に取り組んでいるように見えただろう。  メリサは、最後の十分でざっと解答欄を埋めると、見直すふりをしながら、ぼんやりと取り留めもなく考える。  目立つことよりも、目立たないことの方が難しい。少なくとも、メリサにとってはそうだ。母の趣味で、髪型も服装もまるでお人形のようだし、学校に来れば成績で目立ってしまう。  ──私は、「普通」に生きたいの。  試験終了まで、あと五分。時間はどこまでもゆっくりと進んでいるように、メリサには思えた。 ●はじめのところから始めて  算数は、計算問題と文章問題の割合はだいたい半々といったところだった。ということは、前半の計算問題を完璧にこなせば、少なくとも赤点は確実に回避できるということだ。  出題数をざっと見て、永菜は一問あたりにかけるべき時間の配分に見当をつける──それほど無理のない時間で取りかかれそうだった。  永菜は律儀に一問目から順番に解いていく。留乃歌たちとの勉強会のおかげだろうか、自分でもすんなりと解けていっているような気がする。半年以上前に習ったような公式を、頭の奥からたぐり寄せて、一問ずつ丁寧に考える。  そう、留乃歌の言う通り、あれだけ勉強したのだ。きっと大丈夫。少しずつ、だが確実に解答欄は埋まっていく。  永菜は最後まで気を抜かず、計算に取り組んだ。試験が終わったら、職員室に預けられているヴァンガード太郎の顔を見に行こう。きっと今ごろも、元気に回し車で遊んでいるに違いない──全部できたよって、ヴァンガード太郎に言えるようにしなくちゃ。  試験終了の三分前に、永菜は回答も見直しも全て終えることができた。妙な達成感と満足感を味わいながら、永菜はヴァンガード太郎のことを考えた。 ●意味をさがすまでもない  ローマンは、放課後の職員室で首を傾げた。  進級試験の日程は全て問題なく終わった。今は教師が採点作業に追われて必死になる頃だ。  ローマンが担当しているクラスは、どうしたわけか、試験前に勉強会が流行っていた。ただ教師に勉強を教わるだけでなく、互いに学び、教え合う。教え子たちも、ここまで育ってくれたかと思うと、教師冥利に尽きる。そのおかげだろう、クラス全体の平均点は各教科それぞれ上がっている。特に、社会や理科は、もともと得意な子どもが多かったこともあり、前回の定期試験から比べると飛躍的に伸びていた。クラス全体の学力が底上げされたと見ていいだろう。特に、試験直前の小テストで散々な成績だった白戸さぎりは、今回の点数で汚名返上といったところだ。  一方で、ローマンに気がかりなのは、一部の生徒たちだ──それも、いわゆる「成績上位」の「良い子」たち。  クリス・グランヤードや百日紅メリサといった、常にトップクラスにいる子どもの点数が落ちている。メリサにいたっては、前回の試験では学年でも一、二位を争うほどだったのに、五位にまで落ちている。授業を受ける態度も申し分なかったし、宿題もしっかりやっていた。 「なんだろうなぁ……」  すっかり冷めてしまったコーヒーを飲みながら考えてはみるものの、心当たりはない。他の教師にもそれとなく尋ねてみた方がいいだろう。家庭訪問か、あるいは親に話を聞いてみるのもいいかもしれない。学校では問題ない素振りでも、家庭や学校外で何か悩みを抱えている可能性は、大いにある。  ローマンは、ひとまず目の前にある採点作業に終わらせようと、机に向き直った。 ●なんとなく夢を見た  試験の翌週、採点結果が生徒それぞれのタブレットに送られた。留年する者もなく、無事に進級できることになった。また一年、同じクラスの面々で過ごせるのだ。一人として欠けることもなく、また来年も一緒だと、教室の中はほっとした空気で満ちている。試験からの解放感もあってか、どことなくだらけた雰囲気でもあった。進級試験が終われば、休暇も待っているのだから──夏期講習もおまけでついてくるとはいえ。 「えへへ、がんばりました」  嬉しそうに、試験結果を眺めながら永菜が笑う。パパもママも、きっと褒めてくれるだろう。ヴァンガード太郎も一緒に進級できる。  進級といっても、クラスメートや担任が変わることはない。せいぜい教室の位置が変わるだけなのだが、なんだか背筋をぴんと伸ばしたくなるような気持ちになる。 「さぎりさんも、留乃歌さんのおかげでリューネンしないで済みましたね」  にこにこ笑いながら、永菜が話しかけるが、さぎりの返事はない。  見れば、さぎりはぐっすりと眠っている。机に突っ伏して、陽光を全身に浴びていた。 「お昼寝ですか? ダメですよ、もうすぐ午後の授業ですよ。先生が来ちゃいますよ」  ゆさゆさと揺さぶってみるが、さぎりの眠りは深いようで、起きる気配はない。 「……進級試験が終わった途端に、コレなのね」  低くうめくような声に、永菜は思わず振り返る──案の定、そこには留乃歌が立っていた。 「これだから、これだから、猫は……!」  これから起こるであろう惨劇に、永菜は身をすくませた。 ●エンドレス・ゲーム  街は、今夜も街灯が煌々と灯り、人々の眠りを見守っていた。  夜の闇はもう恐れるものではなく、突然の停電や計画停電に右往左往することもない。夜は、安心して過ごせる時間へと生まれ変わりつつあるのだ。  ドクター・シュトライヒリングは、同僚のドクター・ベネットがまとめたレポートを読み終えると、病院の宿直室から見える街の風景をぼんやりと眺めた。  病院内はもう消灯時間を過ぎており、ほとんどの患者が眠りについているだろう──時には、朝を迎えても目覚めない者もいるが。  科学同様に、医学もまた進歩している。いや、進歩し続けなければならない。人類に病気や怪我といった脅威がある限り、医学は人を救い続けなければならないのだ。  それは、彼には終わることのない戦争のようにも思えた。  戦争。  もはや死語だ。歴史の教科書の中でしか見ることのない──見ることがあってはいけない──言葉。  しかし、人類は未だに戦い続けている。病気という敵は、常に人類を脅かし続けているのだ。星の海さえ越えられるようになっても、まだ人類は「敵」に勝てない。だが、勝たなければならないのだ。 「負けることはできない、か」  ドクター・シュトライヒリングは、苦々しく呟いた。 -------------------------------------------------- ■ 登場PC・NPC一覧 -------------------------------------------------- 【PC】 ・御手留乃歌 ・白戸さぎり ・野中永菜 ・百日紅メリサ 【ちょっとだけ出てきました系PC】 ・陳宝花 ・ジャンヌ・ツェペリ ・クロワ・バティーニュ ・辻風麻里子 ・クリス・グランヤード 【NPC】 ・ルーチェ・ナーゾ ・とっとこヴァンガード太郎(※ハムスター) ・ローマン・ジェフリーズ 【ちらっといたね系NPC】 ・キルシ・サロコスキ ・ドクター・シュトライヒリング ・ドクター・ベネット ・片岡春希