-------------------------------------------------- PBeM『VOiCE』第3回リアクション 03-D Super 8mm film -------------------------------------------------- ●What A Wonderful World  五月は卒業、そして進級・進学のシーズンだ。芽吹く緑に囲まれながら、子どもたちは次の世界へと巣立っていく。  大人たちは子どもたちの背中を頼もしく、そして半ばさみしく見守っている。いつまでも手の届くところに置いてくことはできない。だが、そうと分かっていても、何くれとなく世話を焼いてしまう──時にはまるで自分の付属物のように。それが、子どもにとっては嬉しい反面、煩わしいものなのだと、いつの間にか忘れてしまっている。  今月末には、水素発電所が本格稼働する。来月には新しい情報通信衛星が打ち上げられるという。  子どもが将来の夢を抱くように、大人たちもまた宇宙への夢や希望を捨て切れない。ここで生きていくと選択したのは自分たちだ。ならば、ここを生きるに値する素晴らしい世界にするのが、自分たちの役目だ。大人は、そう信じている。子どもたちもやがて自分たちと同じ思いを抱いてくれると信じて。   ●I see trees of green  五月は進級・卒業の季節──ということは、進級試験の季節でもあるわけで。  日頃は試験やら勉強やら意識しない子どもであっても、さすがに「進級」となると話は別だ。そうそう滅多なことでは留年者は出ないと言われているが、万が一にでもその「滅多」が我が身に起こったら、と考えてしまう。だが、そんな時であっても、楽しみを見出すのが、子どもというものだ。 「勉強会?」  片岡春希が、帰り支度をしながら聞き返す。陳宝花は大きく頷いた。 「そうダ。もうすぐ進級試験だからナ、みんなが無事に進級できるよう一緒に勉強するんダ」 「ふーん。なんかちょっと楽しそう」 「でショ?」  春希はわりと乗り気のようだった。素直な性格なのが幸いしてか、宝花の兄たちからも可愛がられている。 「夜遅くなったらウチに泊まっていけばいいしネ」  宝花の家は中華料理店を営んでいる。店舗兼自宅なので、一般的な住宅に比べると広いし、商売柄なのか人柄なのか、他人が出入りすることにもおおらかだった。  話はとんとん拍子に進み、試験前の土日に勉強会を開くことになった。宝花と仲の良い春希はもちろん、ライサ・チュルコヴァやクラウディオ・トーレスも参加する。何かと面倒を見る──ついでに喧嘩することもある──ニアシュタイナー・シュトライヒリングも誘ったところ、なんやかんやと言っていたが参加することになった。さらに、ライサと最近よく一緒にいることが増えた御堂花楓も、ライサ経由で声をかけたところ、二つ返事とまではいかなかったが、ほどほどに乗り気ではあるようだった。進級試験も近いとあって、クラスではちょっとした勉強会(という名のお泊り会)ブームだ。ジャンヌ・ツェペリや御手留乃歌も、宝花たちと同じように勉強会をしているらしい。 「社会なら、この俺に任せておけ。落第生すら一流の研究者にしてみせよう」  そう豪語するのは、ゴッドファーザーことクラウディオだ。だが、豪語するだけあって、確かにすらすらと練習問題を解いていく。得意分野だけあって、人に教えるのも上手いようだ。 「すごいじゃない、花楓。さっきから全部正解よ」  ライサが驚いたのも無理はない。みるみるうちに、花楓は理科の練習問題アプリまるまる一個分、全問正解してみせたのだ。 「ああ……だって、こんなの簡単じゃん」  当の花楓は、こともなげにそう言ってのける。  花楓は超記憶症候群を患っている。ありとあらゆることを記憶し、それが忘れられない──つまり、アプリ一個分の問題と答えを、すべて覚えてしまったのだ。一度覚えてしまえば、もう二度と忘れない。出題形式をランダムモードにしてみたところで、覚えてしまっているのだから、何をどう出題されても同じことだ。あっという間に練習問題アプリの意味がなくなってしまったわけだ──少なくとも、花楓には。 「暗記モノでは勝てないなぁ」  春希はそう言ってため息をついた。  一方、その横で宝花とニアシュタイナーは、なかば喧嘩腰に教えあうという鋭利な人間関係を構築していた。 「勉強か。……ふん、教えてやるよ。ほ、ほら、お前頭悪そうだし」 「悪いとはなんダー! た、確かにニアに比べたら、だけド」 「べ、別に悪いとは言ってないだろ! 悪そう、だ」 「同じようなものダー!」  最初はどことなく、ニアシュタイナーの方が遠慮しているような、ぎこちない様子だったのが、次第にいつもどおりの雰囲気になりつつあった。 「うーん、ここでどうしてこれが出てくるんダ?」 「さっき教えただろう」 「んー、もう一回説明してほしい。そしたら分かル」 「諦めろ」 「ニア、そういうのはよくナイ!」 「一度で分からない方が悪い」  二人の雰囲気に気づいた春希が、恐る恐るアレクセイ・アレンスキーに小声で話しかける。ニアシュタイナーと仲の良いアレクセイなら、どうにかしてくれるかもしれない──春樹は、そんな淡い期待を抱いていた。 「ね、ねえ、宝花ちゃんとニアちゃん、このままじゃ喧嘩しちゃうよ?」  おろおろする春希だが、それに対するアレクセイの答えは実にあっさりしたものだった。 「あー、平気。あれなら大丈夫」 「え。なんで? そうは見えないけど……」  春希はもう一度二人を見る。言われてみれば、口調こそきついが、二人の距離は近く、顔を寄せあってタブレットに表示される問題を眺めている。語気の鋭い剣呑な会話さえなければ、穏やかに勉強しているように見えた。 「うーん……」 「大丈夫だって。ニアのことなら俺はだいたいわかってるし、お前だって宝花のことはわかってるだろ?」 「えっ。えっ。何が?」  突然言われて狼狽する春希を、アレクセイは軽く小突いて笑ってみせる。 「ふっ……甘酸っぱいな」  なぜか、クラウディオが遠くを見る目つきで呟いた。 ●For me and you  進級試験が終わると、学校の雰囲気も一変する。どことなく気持ちが引き締まるような、だがどこかだらけたような空気も漂う。二ヶ月も夏期講習が続くとはいえ、普段の授業と違い、課外での活動もある。どことなく、「いつも」の毎日から、特別な毎日へと移り変わっていく気配を感じているのかもしれない。木々の緑が濃く、鮮やかになるように、子どもたちの気持ちも色鮮やかな夏へと向かっている。  ともすれば、気持ちも緩む季節ではある。だから、宝花は考えた。 「朝の体操ダ!」 「は?」  帰る準備をしていた花楓は、突拍子もない発言に思わず聞き返した。一方、彼女が突然なにかしら言い出すのに、もうすっかり慣れた春希は、いつものように尋ねる。 「体操?」  その問いが来るのを当然とばかりに、宝花はフラットな胸を反らせて答える。 「お父さんから聞いたんダ。すっごーく昔、夏休みになると毎朝みんなで体操してたんだッテ!」 「なんで体操するの?」 「体育の授業じゃなくて?」  花楓と春希は不思議そうに首を傾げる──なんだって、夏休みに体操なんかするんだろう?  宝花は疑問符だらけの春希をよそに、父から教わったという「体操」を目の前でやってみせる。緩やかな動きは、春希が想像した体操とはかなり違う。ゆっくりとした呼吸に合わせるように、円を描くような動きだ。だが、軽く腰を落とした体勢を続けているのを見ると、見た目の割には実際の運動量はかなりあるようにも見えた。 「それが体操なの?」  ひととおりやってみせた宝花が、体勢を戻すのを見計らって、春希は尋ねた。花楓はふと思い立って真似てみようとしたが、実際に体を動かしてみると、意外と同じようにはできない。「覚える」ことと、実際に「やってみる」ことは、やはり違うらしい。 「うん、タイキョクケンっていうんだッテ。お父さんだけじゃなくて、おじいちゃんやおばあちゃんも毎朝やってたんだってサ」 「ふーん」 「昔は夏休みになるとみんなだらけちゃうから、朝早起きして、公園とかでやってたんだって言ってタ。確かに、宝花も夏休みは寝坊とかするから、そういうのがあるといいなと思うんダ」  早起きして、という言葉は引っかかるが、宝花の言うとおり、寝坊防止にはなりそうだ。 「あ、ちなみに、宝花の寝坊はたまに、だからナ! ごくたまに、まれに、極めてまれに、時々ある」  慌てて付け足す宝花に苦笑しつつ、春希は頷いた。 「夏期講習って遅刻する子も多いから、みんなでやったらいいかもしれないね」 「そうだロ? 体操すらさぼるどっかのHENTAIも参加できるように、ちゃーんと作戦を考えてあるんダ!」  宝花が考えた作戦というのは、いわゆるポイントカード制だった。毎日参加するたびにポイントをためて、いずれはそれを景品なりに交換できるというものだ。 「景品って何なの?」  興味を持ったのか、花楓が尋ねてくる。 「ウチで使えるクーポン! 卵スープのサービスか、ご飯のおかわり自由、どちらか好きな方が選べるゾ!」 「やります」  春希は即答した。  宝花の両親も、朝の体操には協力的である。日頃は家業で忙しく、なかなか面倒を見られない末娘の宝花と接するいい機会だと思っているようだ。しかも、クーポンで来店数が増えるかもしれないし、と意外とノリ気なのだった。 「んー。男子はいいけど、女子的にはなぁ」 「そう来ると思っタ。実は、このタイキョクケンは美容にすごくいいんだ。動きはゆっくりなんだけどネ、ダイエットにもいいってお母さん言ってタ」 「ダイエットかー」  十歳とはいえ、そろそろ体重計も気になるお年頃。新学期に「あれーもしかいて太ったー?」などと言われるショックを回避できるなら……ここは早起きも辞さない構えだ。 「やり方はお父さんが教えてくれるかラ、やってみたくなったら毎朝ウチに来てヨ」 「ん、わかった」    こうして最初は二、三人でスタートした朝の体操だったが、やがては他のクラスの子どもまで噂を聞きつけて参加するようになった。  毎年続けていけば、やがては夏の朝の風物詩になるかもしれない。 ●They'll learn much more than I'll ever know  夏期講習は二ヶ月という長期にわたる。最初の一ヶ月は、復習に重点が置かれる。日頃の学習の遅れを取り戻したり、あやふやだった部分を学び直すわけだ。将来進学を希望する子どもや、その親にとっては、学力向上のいいチャンスでもある。普段の授業とは違い、受講科目をある程度自由に選べるというのも、子どもたちにとっては非日常感があって楽しいものだった──もちろん、中には面倒臭がる者もいるが。  教室は、今日もいつもと変わらない騒がしさに満ちていた。開けられた窓から差し込む光には、もう夏の気配が漂っている。 「あーあ、試験が終わったっていうのに、講習かぁ」  だるそうに言うのは、白鐘鈴香だ。トレードマークのハンチング帽をくるくると回しながら、通学鞄をぽんと机に放り投げる。その拍子に、鞄からこぼれ落ちたミニポーチを佐久間花音が拾って、鈴香に手渡した。 「なんだかんだ言って、ぼくもまじめに来ちゃってるけどさ」  そう言いながらミニポーチを受け取る鈴香に、花音は微笑んでみせる。 「でも、鈴香ちゃんの気持ち、花音も分かるわ。教室の机に向かってお勉強ばっかりじゃ飽きちゃうもの」 「そうなんだよね。そりゃ授業ではないけど、やってることは同じような気がしてさ」  講習そのものは、だいたい午前中で終わる。午後は自由に使えるとはいえ、課題を出されたり、調べ物が必要になることもある。本人のやる気次第ではあるが、結局夕方まで学校内にいる子も少なくなかった。 「うん。だからちょっと、花音にいい考えがあるの」 「考え?」  秘密めかして言う花音の言葉に、鈴香が思わず聞き返す。そこへルーチェ・ナーゾが声をかけてきた。 「今日の講習が終わったら、みんなでメンマん家に飯食いに行こうぜー」 「メンマちゃんの家って、中華料理屋さんよね?」 「そうそう。そういえば、クーポンもらったし、行ってもいいかな。きみはどうする?」  鈴香とルーチェの誘いに、花音はしばし考えこむ。 「それって寄り道にならないかしら……?」 「へーきへーき。友達の家に勉強しに行きまーすって言えばいいんだよ。この手、意外と使えるぜ」  ルーチェがいたずらっぽく笑う。進級試験の時期から、クラスの中では誰かの家に集まっての勉強会が流行っていたが、一部の男子にとっては、それは意外といい言い訳にもなっているようだ。 「そうなの? じゃあ、花音も一緒に行こうかな」  くすくす笑う花音の髪を、初夏の風が揺らしていった。  社会の講習は、担任でもあるローマン・ジェフリーズが行う──ことになっているのだが、今日は違った。 「ローマン先生に任せてはおけん」  本人の目の前で、そう力強く言い切ったのはクラウディオだった。 「というわけで、今日は特別にクラウディオが先生を務めるよ」 「え、ローマン先生じゃないんですか?」  ライサが思わず質問するが、ローマンは笑顔で頷くだけだ。 「当然だろう。ゴッドファーザーたるこの俺が、クラスを導かなくて、いったい誰が導くというのだ」 「さあ、みんな静かに。クラウディオ先生の話をちゃんと聞くんだよ」  ローマンは、特に気分を害した様子もなく、むしろにこやかに話している。教師である自分に頼らず、自ら学び、互いに研鑽していこうというクラウディオの精神──少なくとも、ローマンはそう解釈している──にいたく感動したらしい。 「いいよなぁ。こういうのは教師冥利に尽きるなぁ」  なんだかひとりごとを言っているローマンを放っておいて、クラウディオは教壇に立つ。人前に立つことに慣れているのか、臆する気配もない。教育実習生が来たら、クラウディオの講師然とした姿を見せてやりたい、とさえローマンは思った。 「いいか、まずは基礎のおさらいだ。基礎なくして応用なし。この言葉を胸に刻むといい、いずれ必ず役に立つ」  クラスメート一同は呆気にとられた様子で、言われるがままにアプリを開いたり、過去問題を問いたりしている。それをローマンは嬉しそうに見ていた。   ●And I think to myself  夏期講習は、基本の復習コースは全員必修だが、それ以外はそれぞれの希望の科目を受講できるようになっている。子どもや親から要望があれば、特別にカリキュラムを組むこともある。  花音は、午前中の講習が終わると、職員室へ向かった。宝花の家──中華料理店「宝花」に向かう面々とは、店で合流する予定だ。普段と違って、職員室もなんだか開放的な雰囲気だ。いつもより、気軽に質問したり、話に来れるように、教師側もいろいろ考えているのかもしれなかった。  職員室を見回すと、すぐに目当ての人物は見つかった──担任のローマンだ。 「ローマン先生、こんにちは」  呼ばれたローマンはコーヒーを片手に、花音に向き直る。 「どうした、花音? 何か質問かな?」  だが花音は、ふるふると首を横に振った。その動きに合わせて、カチューシャ代わりの黄緑色のリボンが、ふわふわと揺れる。 「夏期講習のテーマのことで、お願いがあって来ました」 「テーマ?」  不思議そうに聞き返すローマンに、花音は頷いて話しだした。 「みんなで「古代遺跡」を見に行くのは、どうですか? 自由研究発表会で取り上げる人も多かったし、みんな興味があると思うんです」 「確かに、みんな妙に「古代遺跡」に興味があるようだったなぁ」  ふむ、とコーヒー片手にローマンは考えこむ──かつての自分がそうだったように、あのくらいの年になると「なんだか分からないもの」に興味を持つのかもしれないな。 「探検って言ったら大げさだけど、体育が苦手な子には体を動かす機会にもなるんじゃないかなって、花音は思います」 「なるほどね」  子どもの自主性を尊重──というと聞こえはいいが、祖母には「放置主義」だと言われる──するローマンにしてみれば、子どもたちが興味を持った対象について学ぼうとする姿勢は大事にしてやりたいところだ。その興味が目下のところ、「古代遺跡」に向いているのは不思議だったが、自分も子どもの頃は探検だと言っては頻繁に忍びこんでいたのだから、とやかく言える立場でもない。それに、いつもと変わらない授業形式では、子どもたちも飽きてくるだろう。今日のクラウディオのように、自ら講師役を買って出てくれる生徒がいれば互いにいい刺激になるだろうが、すべての生徒にそれを期待するというのは酷な話でもある。自分たちが住む街について知ろうとする、社会の授業の一環だといえば、なんとなくそれっぽい体裁も整えられそうだ。何より、怪我をして叱られて以来、足が向かなくなってしまった「古代遺跡」がどうなっているか、というのも、ローマンとしてはちょっと気になるところだ。 「花音からのせっかくの提案だ。先生もカリキュラムを考えておこう」  そう言って、ぽんぽんと花音の頭をなでる。 「はい! お願いします!」  ぺこりと頭を下げると、花音は職員室を出ていった。思った以上に、すんなりと話は進みそうだ。花音は、中華料理店「宝花」に足取りも軽く向かう──おなかすいたな、何を食べようかしら。  数日後、ローマンのクラスでは社会の講習のひとつとして、「古代遺跡」の見学が決まった。名目は、街の施設の見学であり、「古代遺跡」以外にも歴史資料館へ行くことになった。要するに「古代遺跡」は便宜上おまけ扱いなのだが、それが教師としての落とし所なのだろう。  とはいえ、いつもの教室から飛び出して、校外学習となれば子どもたちの気持ちも盛り上がるというものだ。だが、その中で思わず顔を見合わせる面々もいた──探検部だ。 <どうする?>  メッセージライン上で、探検部のメンバーたちはひっそりと頭を抱えた。もちろん、他のクラスメートには見られないようにしている。 <できれば秘密にしたいよね> <先生も来ちゃうしなぁ> <どうしよっか……>  校外学習は六月下旬──それまでに、何を隠して、何を見せるのか、決めなければならなくなった。 ●I see friends shaking hands  ニアシュタイナー・シュトライヒリングは、今朝も早くから教室にいた。誰と会話するでもなく、ただ黙々と勉強しているようだ。だが、これまでと違うのは、話しかければきちんと対応するようになったし、自分からもたまにではあるが、話しかけるようになってきていることだ。それまでは、興味がないといわんばかりに、クラスの会話の輪には入ろうとせず、誘われてもいつの間にかフェードアウトしていた。その様子を、なぜか宝花はにんまりと満足そうに笑いながら見ている。 「ふふ、いい傾向」  夏期講習といっても、休み時間は普段と変わらない。それぞれの席で、場所で、思い思いに過ごしている。たまに、お菓子を持ち込んで食べていることもある──育ち盛りはお腹が空くのだ。学期中と違って、あまり見とがめられないため、子どもたちはそれぞれ持ち回りでお菓子を持ち込んでいたりもした。気がつけばなんとなく順番ができあがっているのだ。今日は、ニアシュタイナーの番だった。 「ニアちゃん、何持ってきたの?」  無邪気に話しかける花音に、ニアシュタイナーは素っ気なく、持ってきた袋を突きつけてみせた。 「なぁに? わ、クッキーね!」  シンプルでオーソドックスな、素朴な見た目のクッキーが、袋いっぱいに詰まっている。 「いただきまーす」 「あ、おいしいー」  少女たちはクッキーをつまみながら、おしゃべりに花を咲かせる。ニアシュタイナーは、その輪に入ることもなく、かといって離れることもしない。付かず離れずといった距離を保ったまま、ニアシュタイナーは頬杖をついて外を眺めている。席を立たない──それが、宝花にはなんだか嬉しかった。 「これ、ニアの手作りカ?」  ぼんやりしていたニアシュタイナーに、唐突に宝花が話しかけた。 「えっ……そ、そんなわけあるか!」 「ふーん、そう」  ぷいと横を向いてしまったニアシュタイナーを見ながら、宝花はとっておきのごちそうのように、クッキーをそっと手にとって眺める。  クッキーはどう見ても市販品ではなかった。形もまばらで、まるでお菓子作りに初挑戦した女の子が、慣れない手つきでレシピとにらめっこしながら、おっかなびっくり作ったように見える。  ──ニアらしいヤ。  宝花は、心のなかで呟いた。    初めてなのに、よくできてるわね。おいしいわよ。  ──母はそう言ってくれた。  どうせお世辞だろ、と思うことにしたものの、なんだかくすぐったい気持ちになったのを覚えている。    くすくす笑うクラスメートたちのおしゃべりを見ていると、キッチンで母にそう褒められたのを不意に思い出してしまう。  ニアシュタイナーはなるべく遠くを、ずっと遠くを見るようにした。  おいしいね、なんて声、私には聞こえなかったんだからな! ●They're really saying──  昔も、こうやってブランコに乗ったっけ──ニアシュタイナーは、夕暮れの風を受けながら、ゆっくりと公園のブランコを漕ぐ。あの頃は、一生懸命地面を蹴ってスピードをつけていたのに、今では地面にすぐ足がついてしまって、漕ぎづらくなっていた。いつの間に、こんなに手足が、背が伸びてしまったんだろう。  クラスメートには、中華料理屋「宝花」に行こうと誘われたが、なんとなく億劫になって断った。公園には、夕日を受けて遊ぶ子どもたちの長い影が伸びている。走り回る細長い影を目で追いながら、ニアシュタイナーはゆっくりとブランコの揺れに身を任せた。 「医者に」  不意に小さく呟いた声を、アレクセイは聞き逃さなかった。 「ん?」 「医者になろうと思う──いや、医者になる」  ニアシュタイナーは、自分に言い聞かせるように、強く言い切った。 「そっか」  アレクセイは、そっけない素振りでそう答えると、急にブランコの上に立ち上がった。ぎぃ、と金属が軋む。 「じゃあ、俺も医者になる」  勢いをつけてブランコを立ちこぎするアレクセイを、ニアシュタイナーは見上げた。夕日はちょうど逆光になってしまって、アレクセイの表情はうかがえない。髪が夕日を受けて眩く光るのが見えるだけだ。 「なんで、お前まで医者になるんだ」  眩しさに目をそらしながら、ニアシュタイナーはぽつりと言った。 「ニアが医者になるからさ」 「……なんだ、それは。お前に主体性はないのか?」 「えー、だってニアが医者になるなら俺もなるんだよ。そういうもんだろ?」 「……意味が分からん」 「ニアと一緒に勉強すればさー、俺もさー、医者になれると思うんだよー」  風を切って、立ちこぎするアレクセイの声が、前後に行ったり来たりする。 「入院してさー、医者ってやっぱすげーと思ったもん。かっこいいよなー」  ニアシュタイナーは呆れたようにため息をついた。だが、その脈絡のない自信が、なんだか耳に心地いい。ふと、両親のことを思い出す。そういえば、父も母も医者同士。いわゆる、職場結婚だったんだっけ──そこまで考えて、急に頬が熱くなってきたのに、ニアシュタイナーは気づいた。 「だいたいさー、いちいち約束しなくったってさー、俺とニアは一緒だろー」  きぃ、とニアシュタイナーの代わりに、揺れるブランコが答えた。 ●The dark sacred night  少女たちは、今夜も秘密めいた夜を過ごす。  ジャンヌ・ツェペリの自室は、キャンディやフレーバーティーの甘い香りで包まれている。進級試験以来、月に一、二度こうやって少女たちは集まるようになっていた。もちろん、名目は「勉強会」だ。実際、互いに分からないところを教えあっているのだから、あながち間違いでもない。遊んでいるだけではないというところを見せないと、親たちに小言を言われてしまうかもしれないからだ。  しかし、くすくす笑う声に混じって、時々ため息が聞こえるのは気のせいだろうか。ジャンヌは、最近、辻風麻里子のことが気がかりだった。表面はいつもと変わらないが、なんだか元気がない。楽しそうに笑ってはいるが、なんだかそれも寂しそうに見えてしまう。 「あなたも、気になる?」  心配そうに小声で囁いたのは、委員長こと御手留乃歌だった。しっかり者──時々、過剰にしっかり者である──で面倒見のいい彼女も、麻里子の様子が気にかかるらしい。 「なんだか元気がないのよね」 「何か悩みごとがあるのかしら……」  二人は顔を見合わせる──こういう時こそ、魔女の出番だわ。 「ねえ、麻里子。今日も占いのお話しましょうか」  ジャンヌが、何気ないふうに話しかけると、麻里子は微笑んでみせた。 「ジャンヌちゃん、すごく詳しいけど、いつもどこでお勉強しているの?」 「どこというのは、特にないけど……でも、好きなことならなんでも知りたいと思わない? その積み重ねかしらね」  そう言いながら、ジャンヌは占星術の資料をタブレットで呼び出す。星が好きな麻里子なら、タロットカードよりもこちらの方がいいかもしれないと思ったからだ。 「やっぱりジャンヌちゃんはすごいですね」 「そんなことないわよ。本当にすごいのは、占いの体系を作った、うーんと昔の人たちだわ」  ジャンヌのタブレットには、黄道十二星座と呼ばれる星座たちが映し出されている。 「占星術というのはね、太陽や月、惑星の位置や動きをもとにしているの。いわば、天文学の走りね」 「月ってなに?」  横で一緒に話を聞いていた留乃歌が首を傾げた。ジャンヌはゆるゆると首を横に振る。 「さあ、昔の占いだとそれが重要なものだったみたいなの。よく名前は出てくるけど……でも、そんな星はないしね」 「星が消えてしまったんでしょうか……」  麻里子も不思議そうに呟いた。星が死ぬ──それ自体は、麻里子も知っている現象だ。だが、月という星が死んだという記述は、麻里子が知るかぎり、どこにもなかったような気がする。そもそも「月」という天体を、彼女たちが暮らすふたつの丘でも、遠く離れた十二枚の盾でも見かけたことはない。 「よくわからないけど、存在しない以上は、惑星の死というのを迎えてしまったんでしょうね」 「そっかぁ……」  なんとなくしんみりした空気をかき消すように、ジャンヌは話し始める。 「さっきも言ったけれど、昔は、占星術は天文学と切っても切れない関係にあったのよ。科学である天文学よりも、占星術の方が王様なんかには頼りにされていたくらいなの。「このおろかな娘、占星術は、一般からは評判のよくない職業に従事して、その利益によって賢いが貧しい母、天文学を養っている」なんて言葉もあるわ」 「へえ、占星術がなかったら、天文学もなかったかもしれないのね」  留乃歌が感心したように言う。 「そうかもしれないわね。昔は魔法と科学は限りなく近い分野だったもの。魔法使いも魔女も、今でこそ黒いローブをまとっているけれど、大昔は科学者やお医者様みたいに白衣を着ていたかもしれないわ」  その言葉に、麻里子は思わず、白衣を着た魔女──ジャンヌを想像する。似合っているような、似合っていないような……思わず笑みがこぼれてしまう。それを見て、ジャンヌと留乃歌も、なんだかほっと胸を撫で下ろした。   ●Saying how do you do  あの頃とちっとも変わってないんだな、とローマンは思った。  いつから、これを「古代遺跡」と呼ぶようになったのか、よく覚えてはいない。上の学年の誰かが言い出して、いつの間にかにそれが広まっていったような気がするが、それが誰だったのかはもう思い出せない。幽霊の正体見たり、ではないが、蓋を開けてみれば大したものでもないように思えてしまった。探検ごっこをしていたあの頃が、ひどく懐かしい。ふと、せっかくだから保健医のベネディクト・ハンゼルカも誘えばよかったかな、と思う。  何かの建物のような、人工物めいた形状のそれは、今日も太陽の日差しをあびて、のんきにそこにあった。 「えーっと、コレが「古代遺跡」ネ。なんでそんな風に呼ばれているのかは、目下調査中」  そう説明するのは、探検部のジェシー・ジョーンズだ。自由研究発表会では、やたらと気合の入った発表をした彼女たちだったが、今日はなんだか覇気がない。 「周りに生えていた草や蔦を取ったら、扉が見つかりました」  同じように、どこかぎこちない様子で話しているのはエルシリア・ソラだ。全面を覆うように絡みついていた草や蔦は、今ではきれいに取り除かれていた。長年にわたりこびりついた泥汚れはあるものの、この建物の表面はつるりとした金属なのだということが分かる。見やれば、「古代遺跡」のそばには誰が作ったのだろうか、小さな花壇までできていた。 「中に入ったことはありますか?」  花音が興味深そうに、探検部たちに尋ねる。探検部のメンバーは互いに顔を見やり、誰が話をするかを目配せしているようだ。 「何度かは入ってみたよ」  加藤守住が、ちらりとローマンの顔をうかがいながら、妙に持って回った口調で答えた。 「中はどんな様子だったのかしら?」  ジャンヌが尋ねると、また探検部のメンバーは顔を見合わせる。 「えーっと、それは……」  ちらっとジェシーの顔を見たジズ・フィロソフィアが、言葉を選びながら答えた。 「まあ、その、中はそんなに広くはなかったよ。中にひとつ部屋があって……ただ、ほら、窓がないでしょ? だから中は暗くて、調査がなかなか進まないんだ」 「そうだろうな、電気も通っていないだろうし」  クラウディオがぽつりと漏らした言葉に、なぜかメンバーの表情がこわばった。 「え、うん、そうだね」 「懐中電灯とかじゃ、さすがにね」 「中には入れないの? 花音も中に入ってみたいわ」  花音が無邪気に言うと、ジェシーががしっと肩をつかんで言った。 「いけないワ! 好奇心は猫いらずって言うでしょう?」 「そ、それに、さすがにこの人数は中に入りきらないし」  あはは、とビス・エバンスが笑ってみせるが、その笑顔もどうもぎこちない。  ──なんだか、変ね。  それが、花音が抱いた印象だった。  ──何か隠し事でもあるのかしら?  だが、それが何なのかまでは、花音には見当がつかない。  結局、全員入れる広さではないし、便宜上「おまけ」扱いの「古代遺跡」に時間を取るわけにはいかず、うやむやのまま、次の歴史資料館へ移動することになった。「古代遺跡」から歴史資料館への移動中、どことなくほっとしたような雰囲気の探検部を見ていると、花音の疑問もさらに深まっていくのだった。 ●I see them bloom for me and you 「ごちそうさまでしたー!」  昼下がりの中華料理店「宝花」には、今日も元気いっぱいに子どもたちの声が響いた。彼らの日頃のお小遣いで食べられる範囲だと、頼めるメニューや価格帯は限られてしまう。常連客たちも最近は慣れたもので、いつもより多めに頼んで、子どもたちに「おすそわけだ」と言ってお腹いっぱい食べさせることが増えてきた。子どもたちの無邪気な食べっぷりに、周りの常連客たちは目を細めて見ている。 「僕、片付けるの手伝います」 「食器、洗い場まで運びますね」  食事を終えた花音と春樹が立ち上がるが、宝花の母──陳美花が笑って、それを制した。 「いいのよ、お客さんなんだから」  そういってにこやかに微笑む。そして、他の客にするのと同じように、人数分の冷えたジャスミン茶を持ってくる。グラスを置きながら、美花は子どもたちの顔を見やった。「宝花」には、いつの間にか、宝花のクラスメートたちが自然と集まるようになっている。今後は、子ども用の少量メニューも加えた方がいいわね、と美花は考えるのだった。 ●エンドレス・ゲーム  街は、今夜も街灯が煌々と灯り、人々の眠りを見守っていた。  夜の闇はもう恐れるものではなく、突然の停電や計画停電に右往左往することもない。夜は、安心して過ごせる時間へと生まれ変わりつつあるのだ。  ドクター・シュトライヒリングは、同僚のドクター・ベネットがまとめたレポートを読み終えると、病院の宿直室から見える街の風景をぼんやりと眺めた。  病院内はもう消灯時間を過ぎており、ほとんどの患者が眠りについているだろう──時には、朝を迎えても目覚めない者もいるが。  科学同様に、医学もまた進歩している。いや、進歩し続けなければならない。人類に病気や怪我といった脅威がある限り、医学は人を救い続けなければならないのだ。  それは、彼には終わることのない戦争のようにも思えた。  戦争。  もはや死語だ。歴史の教科書の中でしか見ることのない──見ることがあってはいけない──言葉。  しかし、人類は未だに戦い続けている。病気という敵は、常に人類を脅かし続けているのだ。星の海さえ越えられるようになっても、まだ人類は「敵」に勝てない。だが、勝たなければならないのだ。 「負けることはできない、か」  ドクター・シュトライヒリングは、苦々しく呟いた。 -------------------------------------------------- ■ 登場PC・NPC一覧 -------------------------------------------------- 【PC】 ・陳宝花 ・クラウディオ・トーレス ・御堂花楓 ・ニアシュタイナー・シュトライヒリング ・アレクセイ・アレンスキー ・ジャンヌ・ツェペリ ・佐久間花音 【ちらっと出てましたね系PC】 ・御手留乃歌 ・白鐘鈴香 ・辻風麻里子 ・ジェシー・ジョーンズ ・エルシリア・ソラ ・加藤守住 ・ジズ・フィロソフィア ・ビス・エバンス 【NPC】 ・片岡春希 ・ライサ・チュルコヴァ ・ローマン・ジェフリーズ 【ちらっといたね系NPC】 ・ルーチェ・ナーゾ ・ベネディクト・ハンゼルカ ・ドクター・シュトライヒリング(両名) ・陳美花 ・ドクター・ベネット