-------------------------------------------------- PBeM『VOiCE』第4回リアクション 04-A 宙を見上げて告げよ -------------------------------------------------- ●La Creation du monde  彼らの決意は固かった。  新しい大地を目指して来たのだから、ここでくじける道理はない。  むしろ、思いもがけずたどり着いた新天地に、運命の導きさえも感じるほどだ。  産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。  海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物を全て支配せよ。  古い祝福の言葉のように、彼らはこの地に満ちた。 ●鍵盤ツアーへようこそ  指が動く──ぎこちなく、しかし軽やかに。 「……何をしているの?」  その指の動きに、怪訝そうに隣の席の百日紅メリサが尋ねた。視界の隅でちらちらと動く指が気になったのだろうか──無理もあるまい、今はまさに夏期講習の真っ最中だ。 「ああ、これ?」  そう言って、ジズ・フィロソフィアは小さく肩をすくめた。 「うーん、ボクもさ、面倒なんだけどね」  ジズの返答に、メリサは眉をひそめる。 「ピアノの練習だよ、厄介なことに」 「……ピアノって、鍵盤を叩くものだと思っていたけれど」  メリサが小声で言った。たしかにメリサの言うとおり、ジズの指が叩いていたのは鍵盤ではなく、文字入力用のキーパネルだった。押した箇所の色が変わるもので、ジズやメリサくらいの年齢になったら、もうあまり使わないタイプのものだ。学校入学前の子どもが入力練習に使ったり、あるいは指先の動きがおぼつかなくなってきた高齢者などがミスタッチ防止のために、よく使うタイプのものである。 「指を動かすことに慣れた方がいいって、先生が言ってたんだ。おかげで、こんな画面を使わなくちゃいけないわけ」  ジズはささやかにため息をついてみせた──ちっちゃい子じゃあるまいし、もうこんなの子どもっぽいよね。  ふぅん、とメリサが言いかけて、不意に二人の頭上に影が降りた。 「練習熱心なのはいいことだけど」  とっさに見上げると、ジズとメリサの後ろに、担任のローマン・ジェフリーズが立っていた。ふと見やれば、メリサは動揺を隠し切れないのか、目がきょろきょろと泳いでいる。 「今は、何の時間だろうか?」  怒るでもなく、そう問いかけられて、ジズは言いにくそうに答えた。 「夏期講習、です」 「そう、夏期講習。科目はなんだろう?」 「……社会です」  メリサがこの世の終わりが来たような、小さな声でぽつりと言った。 「そうだね、社会の時間だ」  ローマンは手を伸ばして、ジズのタブレットに表示されていたキーパネルを消す。画面には、たった今配信されたらしい、社会のミニテストの問題が表示されていた。 「やるべき時間にはやるべきことをやる。先生は、それが冴えたやり方だと思うんだ」  ぽんと、二人の頭に優しく手をやると、ローマンは言った。 「ジズは最近、街のことをよく勉強していると聞いたよ。それはとてもいいことだ。でも、やるべきことをやらなければ、本来ほめられるべき行動の価値も下がってしまうよ。さあ、ミニテストの制限時間は十分だよ」 ●電気のグリニッジ  今日も、いつものメンバーが「古代遺跡」に集まってくる。特に待ち合わせや取り決めをしたわけでもないのに、夏期講習が終わると自然と足が向くのだ。面倒な講習期間が終われば、午前中から調査を始めることもできるだろう。親には「勉強会」とか言っておけばいい──幅広い意味でいえば、「古代遺跡」調査だって「勉強」と言い張れなくもないのだし。 「今日も特に変化なし、だな」  ビス・エバンスが、ぼんやりと光るモニターを見ながら、ぽつりと言った。「教えて」というM──ヘルヴァからのメッセージを表示させたまま、特に変化は見られない。こちらから何か言わなければ、ヘルヴァは自発的にメッセージを表示することもないのだろうか。 「待ってるんじゃないか?」  加藤守住の言葉に、ビスは振り向きもせずに返す。 「待ってるって……俺たちの返事を?」 「たぶん。ほら、教えてって言ってるだろう? ……ヘルヴァは知りたがってるんだ、ボクたちのことを」  守住が指差す先に表示された「教えて」の文字──ビスは、ふと考える。守住の言葉はおそらく正しい。ヘルヴァはこちら側のことを知りたがっているのは間違いない。だが、ビスにはどうしても引っかかる点があった。 「俺、ちょっと気になるんだけどさ……これも、よくわかんないけど、たぶん電気で動いてるんだろ?」 「たぶんね」  エルシリア・ソラが頷いた。 「その電気ってさ、どこから来てるんだ?」  ビスの言葉に、面々は思わず顔を見合わせる。 「うーん……」  しばらく考え込んでいたエルシリアが、不意に話し始めた。 「わたし、学校裏にある機械が怪しいと思うんだ」 「学校裏? なんかあったっけ?」 「千鳥が言ってたんだけど、学校の裏に雑木林があるでしょ? その中にある機械とこの「古代遺跡」がつながってるらしいの」  より正確には、瀬木戸鈴夏が以前見つけた機械を、さらに調べた水無月千鳥が発見したのだという。それはどうやら「古代遺跡」に電気を送っているらしいのだ──千鳥の話をエルシリアが翻訳すると、おおむねそういう意味合いになる。 「よくそんなところまで調べたね」  ジズが感心したように言った。 「でね、なんでも幽霊に電気が行く先に連れてってもらうんだって」 「……そこで幽霊が出てくる意味がよくわかんないけど、水無月ならアリな気がする」 「千鳥だからな……」  いつの間にか、さり気なくメンバーの中に混じっているクリス・グランヤードも頷いた。 「ね」 「な」 「うん」  水無月千鳥なら、という言葉が持つ圧倒的説得力の前に、少年少女たちはそれ以上考えるのをやめた。 「えーと、水無月のことはおいといてだな、俺が気になるのは、こいつが電気を使ってるってことなんだ。話を聞く限り、電気をかなり使うみたいだし……。だから事前にある程度、回答なり質問はまとめた方がいいんじゃないか? あれもこれもって、みんなでバラバラに伝えても、ヘルヴァもきっと混乱するだろうし」  ビスの言葉に、守住も同意した。 「きみの言うとおりだ。聞きたいことは山ほどあるけど、厳選した方がいいと思うな」 「うーん、たしかに電気は使うみたいだけど……」  エルシリアが首を傾げて考えこむ。 「あれだけのやり取りで、その貯められているらしい電気を消費したのは間違いない。何が起きていると聞かれているし、こちらから答えて相手の出方を待った方がいい」  エルシリアの態度をどことなく訝しく思いながら、クリスは言った。 「うん。確かにね。こちらの情報を送ってみて、反応をうかがうのがいいと思うよ」 「な、な、べ、べ、別にど、同意なんてしてもらわなくったっていいんだからね!」  守住の同意の言葉に、謎の化学反応を起こしたらしいクリスが顔を真っ赤にしてなぜか言い返した。その様子を見て、エルシリアが思わず苦笑する。 「うん、でもまとめておくのはいいと思うな。ビスくん、よろしくね」 「そうだね、よろしく頼んだよ」 「ボクもビスでいいと思う」 「べ、べ、別にビスがいいってわけじゃないんだからね! か、勘違いしないでよね!」 「え、俺?」  この宇宙には、熱力学の法則と呼ばれるものがある──その未知なる第五の法則「言い出しっぺの法則」を、今まさにビスは身を持って体験したのであった。 ●学校の裏の眠らない機械  結局、ビスが全員分の回答やら、ヘルヴァに質問したいことやら、メッセージやらを整理してまとめ、後日全員監視のもとで送ることに決まった。それまでには、学校裏の雑木林にある機械のメーターも回復するかもしれない、という希望的な予想もあった。  ほぼ全員が、「電気は足りない」と考えているなか、エルシリアだけは違った。 「だいたい、なーんか怪しいんだよね」  そう言いながら、エルシリアはカレンダーアプリを起動させた。配信されてくるニュースの日付と合わせて、気になった点を確認すると、エルシリアの中でそれはほぼ確信に近いものへと変わった。 「……ヘルヴァからのメッセージが表示されたときと、水素発電所の稼働時期はおんなじだ!」  思い返せば、あの日は水素発電所からの通電実験の日で、街を上げてのお祭り騒ぎだった。そのおかげで、夜中の「古代遺跡」に入り込んでも、大人に見つかったり、とがめられることもなかったのだ。エルシリアは、学校裏の機械はおそらく「古代遺跡」への電気を送るための蓄電設備だろうと考えていた。ということは──電気が安定して供給されるようになれば、メーターの数値に一喜一憂する必要もなくなるはずだ。 「ということは、ということは! 真の姿を表す日も近いってこと!」  エルシリアはがたりと立ち上がった──こうしちゃいられない!  日が暮れかけた頃、エルシリアは自転車で学校を訪れた。 「チャリで来た!」  もうほとんど生徒の姿もなく、静かに夜を迎えようとする校舎内を、足早に突き進む。目的地はもちろん、学校裏の雑木林だ。ポケットには小さなハンディライトを忍ばせてきたが、まだ夜と呼ぶには明るすぎる。これなら、しばらくは平気だろう。  やがて、目的の場所へたどりつくと、エルシリアはメーターを確認する。   Storage rate   78%/100%  千鳥から聞いた話とと比べると、メーターの数値の減り自体は少なくなっているような気がする。エルシリアは念のため数字をメモすると、次は地面にかがみ込んだ。 「どこかにあると思うんだけどなぁ……」  地面に顔をつけるくらいの低い姿勢で探してみるが、見当たらない。 「うーん、ダメかなぁ……」  この機械が「古代遺跡」に電気を送るための蓄電設備ならば、どこかに外部からの電力を受けるための装置がついているはずなのだ。古式ゆかしい人力自転車発電で、直接電気を充電できたら──と考えたのだが、機械のこととなると詳しい人間でも連れてこないことには、さすがに手に負えないようだ。もしかしたら、地下に埋められているのかもしれない。そうなると、このあたりを掘り返してみる必要があるだろうか。 「いいアイディアだと思ったんだけどなぁ……」  水素発電所の通電実験によって、あの日「古代遺跡」にも電力が送電されていたとしたら──動力源に余剰ができて、稼働し始めたのかもしれない。そう考えたのだが、これ以上調べようとするなら、機械の知識が必要そうだ。 「誰かいい人いないかなぁ」  見上げる空には、ぽつんと光る星──それは、不意に空を真横によぎると、エルシリアの視界から消えていった。 ●睡眠不足の未来宇宙  数式を読み上げるローマン・ジェフリーズの声が、遠くで響く潮騒のように、クリス・グランヤードを睡魔へ誘う。目をこするものの、それで眠気が消えるはずもなく、ただ涙がにじんでおしまいだった。  昨日の夜は最悪だった。クリスの人生史上、五本の指に入るくらいの最悪さだった。  ──言わなきゃよかった。  兄たちの表情を思い出すだけで、いらだちと自分への嫌悪感で頭が真っ白になりそうだ。   「移民船? ああ、大昔のね」  クリスの言葉を聞いた長兄──ティム・グランヤードは特に興味もないのか、そっけない反応だった。 「そろそろ、その手のことを習う時期だったか。いや、初等教育クラスはまだ先だったかな」  ティムは中等教育クラスの教員を勤めている。そのせいなのか、自宅でも学校の先生のような雰囲気を崩さず、クリスは兄と会話しているというより、職員室で教師と向き合っているような気分になる。 「それって、どこへ行ったのかな」 「行ったって?」 「その……ここへ来たあと、どうなったのかと思って」  それぐらい察しろよと思いながら、クリスは質問を補足した。 「さあ、どうなったのかな……。まあ、核融合炉を取り出したあとは、解体されたんじゃないかな。今はもうないだろう。十二枚の盾にある博物館あたりに行けば、何かしら展示されているかもしれないね」 「古代遺跡? ああ、そんなものもあったな」  病院の宿直当番から帰ってきた次兄──バース・グランヤードは、あくびを噛み殺しながら言った。 「兄さんも、ボクと同じ年くらいのときには、あそこで遊んだりした?」 「さあ、どうだったかな……何度かは行ったかもしれないが、立入禁止だったからな。上の学年で、けが人が出たと聞いたこともある」 「中は見なかった?」 「見てないな……遊び場にするにしても、別に楽しいものはなかったと思ったが」  クリスは少し考える。期待は薄い気がしたが、行ったことがあるのなら、聞いてみる価値はあるのかもしれない。 「兄さんの頃には、「古代遺跡」には何か噂みたいなものはなかった?」 「噂?」 「その……「古代遺跡」はどこかとつながってる、とか、そんなような……」  クリスの言葉に、バースはしばらく記憶を探っているようだったが、やがてきっぱりと言った。 「ないな」  それで済めば、まだ傷は浅かった。ところが、バースがクリスからの質問をティムに話したらしい。入浴を終え、部屋に戻ろうとしていたクリスを見かけるなり、こう言って笑ったのだ。 「クリスは夢があっていいな」 「え?」 「想像力豊かだ。実に子どもらしい発想だって、バースも言っていたよ」  それに対して、どう応えたのか、クリスもよく覚えていない。覚えているのは、胸の奥に湧いた嫌な熱さと、めまいに似た腹立ちだった。  ──バカにされた。  クリスの頭の中で、その言葉が何度も何度も繰り返される。  長兄も次兄も、年の離れた末弟のことを、子どもだと思ってからかっているのだ。そうに違いない。中等教育クラスの教員と、外科のレジデント。彼らから見れば、クリスのささいな疑問など、笑って済ませるくらいがちょうどいいのだ。  ──どうして、勉強なんてしてるんだろう。  クリスは、タブレットの画面に表示された計算問題の解説をぼんやり眺めながら、不意に思った。  どうして勉強しているんだろう。  どうして学校に来ているんだろう。  勉強するのが子どもの仕事だから。  あの人たちなら、顔色ひとつ変えずにそんなことを言うんじゃないか──そう思うと、クリスの胸の奥がじわりと痛んだ。テストでどんなにいい点を取ったとしても、あの人たちはそれを褒めるでもなく、かといってもっといい点を取れと言うでもなく、ただ眺めるだけだ。その点数程度は、取れて当たり前なのだと言わんばかりに。実際のところ、どう思っているのかは知らないが。  ──どうせ。  クリスは、片目を覆う眼帯をそっと指で撫でた。  ──どうせ、兄さんたちより劣ってる。  今でこそもうないが、いじめられたことのあるような子どもなど、あの人たちにとっては不恰好な失敗作以外の何物でもないのかもしれない。兄たちのように、華やかで祝福された「正しい」道から外れてしまったのだから。  四年前の事故さえなければ、と今でもクリスは時々思う。  事故さえなければ。  この目が光を失わなければ。  あの人たちは、今でもボクを褒めてくれただろうか。 ●電気のベールの向こう側  父が帰宅するなり、玄関で待ち構えていた葉柴芽路は言った。 「おとーさん! 蟻さんと蟻さんがドッキングってできる?」 「……うん?」  芽路の父は、いつに増しても思いがけないというか予想のつかないことを言ってくる娘を、まじまじと見つめた。芽路はばっと両手を広げて、父を阻む。 「教えてくれるまで、ご飯抜きだよ! てゆーか、ここ通してあげない! あ、ちなみに今日はチキンソテーだからね」 「うわあ、そりゃ厳しいな」  仁王立ちで立ちはだかる芽路の姿に苦笑しながら、父は背負っていたリュックサックをシューズケースに上に置いた。工具でも入っているのだろうか、ごとりと重い音を立てる。 「蟻さんと蟻さんがドッキングできるかどうかは、観察してみるのがいいんじゃないか?」 「そうじゃないー!」  上手く伝わっていないことに気づいて、芽路は文字どおり地団駄を踏む。今日も元気いっぱいだなぁと父が眺めていると、芽路は頭の中の整理がついたのか、つっかえつつも話しだした。 「えっとね、つまりね。たとえばさ、大きい電池があるとするじゃん。それを、電気が足りないものにつけるの。そうすれば電気足りるじゃん? でもそういうのってできるかどうかっていうこと」 「うーん、モノにもよるとしか言えないけど……何かそういう機械があるのか?」 「ある!」  芽路の心に、ぱっと希望の芽が芽吹いた。父が発蓄電施設勤務という、普段は気にしたこともないことが、今この瞬間にヘルヴァを救ってくれるかもしれないのだ。 「そうかぁ……直接見ないことにはわからんが、内部のバッテリーが消耗してるのかもな。機械の接続口と、あとは取り付ける電池の種類を間違えなければ、芽路の言っているようなことはできるよ。どれ、お父さんが見てやろう」 「えっ、ほんとに!」  芽路はまじまじと父を見上げた。いつもは気になるザリザリした無精髭も、今は頼もしく輝いて見えた。 「ああ、ご飯を食べたらな。今日は工具を持って返ってきてるし、そのおもちゃを持っておいで」 「へ? おもちゃ?」  父の言葉に、芽路は思わず呆気にとられる。おもちゃ? 何の話? 「ああ、そうだよ。動かないおもちゃがあるんだろ? 直せる範囲内の故障だったら、お父さんがなんとかしてあげよう」 「……ちーがーうー!!」  芽路はまたしても地団駄を踏み、父は途方に暮れた。ご飯ですよ、の声がかかるまで、父娘はじりじりと玄関で謎の対峙をし続けるしかなかった。 ●古代遺跡カフェテラス  ビス・エバンスが、今日も今日とて「古代遺跡」に集まった面々を見回して、言った。 「これからヘルヴァに返信する!」  誰からともなく、拍手が起こった。 「入力するのは、ボクがやるよ」  ジズがそう言って立候補した。ピアノの練習と称したタイピング練習のおかげで、キータッチもずいぶん速く、正確になっている。 「ん。じゃあ、頼むぜ」  守住とクリスは、期せずして内容がよく似ていた。どちらも、自分たちが「星間移民」の子孫であることを、ヘルヴァに伝えようとしていたのだ。守住は、ヘルヴァが自分たちの先祖がいた元の星──それがなんというのかは知らないが──にいる人ではないかと考えていた。 「あ、かぶった」  守住がぽつりと言うと、クリスはみるみる真っ赤になった。 「べ、べ、べ、別にっ、守住と同じだからって、な、仲良しみたいだなんて、思ってないんだからね!」 「あーうんはいはい」 「だ、大体、ボクはほら、ヘルヴァの望みを聞こうとしてるわけだからしてっ! 守住とはそんなにかぶってないんだっ!」 「あーうんそうだね」 「わ、わ、わ、わかればいいんだ、わかればっ! ……そ、それとだな、ボクのメッセージの最後には、こう入れてほしいんだけど」  気を取りなおしたのか、咳払いしながらクリスが言った。 「いいよ、なんて入れるの?」 「──ふたつの丘にある船より、って」  ジズが手慣れた感じで文章を入力していく。 「次はがさ……芽路の分だね」  がさ、まで聞いた芽路の体から発した殺意の波動に似た何かを敏感に感じ取ったジズは、慌てて言い直す。 「え、えーっと、ヘルヴァの住んでる場所と……あれ、が……芽路って、将来宇宙飛行士になるの? あれってなんかもう流行りの職業じゃないって誰か言ってたよ」 「いいのっ! さっさと入力するっ!」 「は、はいっ」  殺意の波動に似た何かに目覚めかけた芽路の存在感を背後に感じながら、ジズはおとなしく文字の入力を始めた。 「ん? あれ、ジズは何も送らないの?」 「えっ」 「えっ」  やや間があって、ジズは答えた。 「お、送るけどさ、恥ずかしいから見ないでいてよ」 「無理」 「無理」 「無理」 「無理」 「ていうか無理」 「全員即答!?」  エルシリアがひょいとモニターを指差した。 「いやだって、ここに全部映し出されるし……」 「あ」  その反応に、少年少女たちは牙を剥いた。 「えーなになにー何を書こうとしてんのー」 「いいじゃん、俺たち友達だろー」 「う、うわああ」  途端に始まったじゃれ合いに、クリスは冷たく言った。 「ふん、ばかばかしい。何を送ろうが、個人の自由じゃないか」  だが、そんなクリスの声も、他のメンバーには届いていないようだった。 「いいじゃないのヨ、減るもんじゃナシ! ってジェシーなら絶対言うぞ」 「どうせみんなに見えちゃうんだから、勇気持って行こうよー」 「ぐ、ぐぬぬ」  周りの囃し立てる声に、いよいよ観念したのか、ジズが小声で呟くように言った。 「詩だよ。詩。……ヘルヴァとボクたちが友達の証にさ、詩を贈ろうと思って」 「ポエマー!」 「違うって」  子猫同士のような、そのじゃれ合いを見ながら、クリスは思う──さ、さみしくなんて、ないんだからねっ!  小一時間ほど騒いだものの、ヘルヴァへのメッセージ送信は完了した。文章量が多かったせいだろうか、思いのほかエンコード完了まで時間がかかったような気はするものの、特にエラーなどは発生しなかったようだ。 「……ヘルヴァ、答えてくれるかな」  芽路がぽつりと言った。それには、誰も答えない──答えられなかった。 ●Cat Free 〜 Chidori Gravity  水無月千鳥の夏は熱い。暑い、ではなく熱い。サマーキャンプを来週に控え、千鳥は今日も学校裏の雑木林へ向かった。うさぎを追いかけて穴に飛び込む少女のように、一心不乱に突き進む。夏期講習を終えたら、毎日のように雑木林に入っていく千鳥の後ろ姿を、何人もの生徒が目撃していた。夏期講習が終わって、夏休み真っ盛りの今でも、千鳥はまるで習慣のように毎日雑木林へ向かう。そろそろ都市伝説化しそうな勢いである。  ばきばきと威勢よく、地面に落ちている枯れ枝を踏み越えていく。一ヶ月以上にわたり来ていたせいだろうか、獣道ならぬ千鳥道ができあがっていた。  今日も、メーターの数値は順調に上がっている。むしろ、減っている様子が見受けられない。 「んー」  千鳥は首を傾げる。せっかく電気があるのに、使ってないのかな──しかし、エルシリアや芽路の話では、つい先日メッセージを送信したという。千鳥は空を見上げる。生い茂る木々の葉の向こうに、夏の太陽が輝いている。おそらくこの装置に取り付けられた太陽光発電装置が動いているのだろうが──それにしても、あれだけの消耗を一日二日程度で補えるものなのだろうか。  考えられることといえば──ここの電気は使われなかった。あるいは使ってもすぐに充電されるような状況になったのか。  エルシリアは、水素発電所との関連を疑っていたが、どうすればそれを解明できるか、千鳥はメーターの表面をそっと指でなぞりながら考える。 「電気がもらえるなら、これいらないもんねぇ……」  水素発電所からの送電が可能なら、なぜ「古代遺跡」には蓄電設備がつけられていたのだろう。たしかに、水素発電所ができるまでは、電力不足が常につきまとっていた。計画停電のお知らせは千鳥もよく目にしたし、突然の停電で学校の行事や授業内容が変更になったこともある。 「ふしぎー」  そう呟きながら、千鳥は設備のまわりをぐるぐる回りながら歩く。あんまり回るとバターになりかねないので、ほどほどの歩幅と速度で──さすがにパンケーキにはなりたくないな。 「……そういえば、どうして電気って足らなかったんだろう?」  不意に千鳥は疑問を感じる。太陽光発電に風力発電、遠い街にはカクユーゴーロを使ったなんだかすごい発電所もあるという。 「あれ、なんかもう一個あったような、なかったような」  発電所のことを考えていたら、何かが記憶の奥底をくすぐっているような、妙な感覚に襲われた──だが、それもすぐに霧散霧消していった。なぜなら、見つけてしまったから。  生い茂る木々に、大きな傘がぐるぐるとひも状の何かでくくりつけられているのを。  そして、その傘の下には、なんということでしょう……! 優雅なハンモックがあるではありませんか。もうお昼寝時の不快な暑さに悩まされる水無月家ではありません。 「素敵……自分の家じゃないみたい……!」  思わぬ感動に、千鳥の目が潤む。ゆったりとした足取りでハンモックに近づき、千鳥は中を覗き込む。  するとそこには、なんということでしょう……! 誰かが寝ているではありませんか!  寝ていた人物は、千鳥の気配を敏感に察知したのか、がばりと起き上がった。ハンモックが揺れたが、バランスを上手く保って身を起こした。 「な、なんだよ。ぼくは寝ているんだぞ! 寝ている猫を起こすのは、人類の十戒に抵触する罪深い行為と知り給え! 汝、猫を起こすなかれ! 見守れ! 慈しめ!」  その声には聞き覚えがあった。 「あー」  千鳥は思わず破顔した。と同時に、軽やかなステップを踏んだ。そばにあった木を勢いよく蹴り飛ばし、その反動を使って高らかに宙へ舞う──ライブの聴衆に向かってステージ上からダイブするボーカリストのごとき勢いでもって、彼──白戸さぎりが眠るハンモックへと飛び込んだ。安寧の昼寝から(強制的に)起きたばかりのさぎりに、それを避ける術はなく。 「猫さーんだーッ!!」 「ふぎゅぅッ」  当然のことながら、さぎりもまた千鳥の世界へ取り込まれたのであった。合掌。 ●宇宙魔術 〜 Magical Cosmology  夏の空はどこまでも青く、高く、果てさえないように思えた。今はまだ雲さえ見えない。窓を開ければ、清々しい風が吹き込んでくるが、そこには夏の日差しの熱を含まれていた。今日もこれから暑くなるだろう。  葉柴芽路は、キャンプ場へと向かうバスの中で、隣に座った白戸さぎりに話しかけた。 「ねえ、ちょっと」  さぎりは面倒そうに芽路を見ると、あくびをひとつ。 「なんだ、猫はもう寝る時間なんだ」 「寝るまでは起きていられるじゃん。ていうことは、あたしの話も聞けるってこと」  猫の戯言は相手にしないに限る。芽路は自分のペースで話し続けた。 「あんたさ、ヘルヴァの魂を見つけてきて。見つけたら捕まえるかなんかして、あたしのとこまで持ってきて」 「あーあー聞こえないー」 「いいから、見つけておいで! 猫じゃん!」 「というか全然意味がわからないぞ」 「あんた猫でしょ」 「猫だ」 「だから、見つけられるじゃん」  芽路の言葉に、さぎりはやや間をおいて、あくびをひとつ──まったく、人間はこれだから、と言わんばかりに。しかし、芽路も芽路で、まったく気に留めなかった。 「いい? 見つけたら捕まえるのよ」  念押しするように、芽路はさぎりの目の前に指をずいと突きつけた。 * * *  おなかがすいたら、人間はどうなる?  多少の空腹ならどうということもないかもしれないが、それも度を過ぎれば──やがて、動けなくなるだろう。  そのまま放っておいたら、人間はどうなる?  病院に担ぎ込むこともなく、食事をすることもなく、文字どおりそのまま放置すれば──やがて、死ぬだろう。芽路も死ぬだろう。例外はない。  「M」と名乗った彼とも彼女ともつかない存在──ヘルヴァも、おそらくそうだろう。ヘルヴァは機械の中にいるようだが、その機械を動かす動力がなくなれば、人間と同じように死んでしまうのかもしれない。  ──死。  それは、永遠の別れだという。  ヘルヴァは死なない、あるいはたとえ死んだとしても、動力さえあとから補えば無事だという保証は、今のところない。「古代遺跡」が壊れたり、あるいは動力源を失ったら、ヘルヴァがどうなるのか、それは誰にもまだ分かっていない。試してみる、と気軽に言うにはあまりにリスクが大きく見えた。  そんな風に考え事をしながら、芽路は葉を磨いていた。夜の洗面所は、静かだった。リズミカルに歯を磨く音が、響く。遠くで誰かがにぎやかに行き交う声が、かすかに聞こえた。芽路は一心不乱に歯を磨く。虫歯はダメ、ゼッタイ。  昨日も丁寧に葉を磨いていたら、エルシリアに不思議そうに尋ねられたものだ──ずいぶん熱心に歯磨きするのね、と。 「宇宙飛行士って虫歯があっちゃダメなんだ」  芽路がそう答えると、エルシリアは目を丸くした。地面から足を離して、宇宙で過ごす人は、虫歯があってはいけないのだと、何かで読んだのだ。だから芽路は歯を磨く。ここから離れたら、宇宙へ出たら、キルシ先生の病気を治せる何かが見つかるかもしれない。宇宙飛行士は細かい作業をするというから、宇宙飛行士になれたら、がさつだなんだと言われることもなくなるかもしれない。  だから芽路は歯を磨く。  宇宙の夢を見るために。 ●コスモロジックファンタジア  夏の恒例行事であるサマーキャンプが終わり、八月下旬になっても、M──ヘルヴァからの反応はなかった。サマーキャンプ中に何かあったらどうしようかと考えていた面々だったが、肩透かしを食らったような気分だ。  ぼんやりと灯るモニターを毎日眺めながら、芽路はヘルヴァからのメッセージが映し出されるのをずっと待っていた。「古代遺跡」のひんやりした床に座り込んで、モニターを見上げる。今日もこのまま、変化はないのだろうか。「古代遺跡」の外に植えた花々は、夏の日差しを受けてたくましく育っている。あの様子なら、十一月の半ばには咲きそろうだろう。 「おはよー」 「おはよう」 「なんか来た?」 「来てなーい」  このところ、毎日交わされる挨拶は、まったく代わり映えがない。 「電気はちゃんと来てるんだよね」  ジズが、誰ともなく確認するように呟いた。 「たぶん……モニターが光ってるんだから、電気は来てるはずなんだけど……」  守住が心配そうに機械の表面を撫でる。どこか調子が悪いのだろうか。だが、それを判断する術も──わかったとしても、修理する方法も知識も、彼らにはなかった。 「ま、まあ、今日も勉強会ってことで……あはは」  エルシリアがカラ元気も元気のうち、とばかりに笑ってみせるが、しばらくしてため息をついた。 「……お花の様子、見てくる」  芽路が力なく立ち上がろうとした、その時だった。  自動受信完了  不意に、モニターに文字が踊った。 「あっ」  誰もが息を呑んで、モニターを見守る。  エンコード開始 「……来た……!」    エンコード完了  その表示から、メッセージが表示されるまでのほんの数瞬が、まるで永遠のように思えて、芽路には歯がゆくて仕方なかった。  ややあって、そこに文字が表示された。今までと違い、ずいぶん長い文面だ。 【Praise the Lord!】  ありがとう。  私たちとあなたが、再び出会えた奇跡に感謝している。  ふたつの丘と呼ばれるところに、あなたが生きているのがわかって、とても嬉しい。  詩をありがとう。素敵な詩で、みんな喜んでいる。  夢をありがとう。私たちも、あなたに会いたい。 「なんかちょっと、雰囲気違う?」  ビスがぽつりと言うと、そこにいた全員が頷いた。以前に比べると、かなり堅苦しい文章だ。 「それにさぁ……なんか前と違うじゃん?」  芽路がモニターを指差した。 「私たち、みんな……ヘルヴァ、前はこんなこと言わなかったよ」  私たちはあなたのことを諦めていた。  率直にいえば、もはや忘れてもいた。  大変申し訳ない。 「な、なんか俺たち諦められちゃってるんですけど……」 「やっぱりヘルヴァ、様子がおかしいよ……」  あなたの名前を教えて欲しい。  必ず会えると信じて。  M/Helva ●Bon Voyage!  夏の終わりに、風が吹いた。  最初に気がついたのは昼寝中の猫だった。ぴんと伸びた自慢のひげが、夏の夕暮れの風で揺れて、猫は目を覚ました。  ぐい、と伸びて、猫は空をふと見上げた。  昼から夕へと陰っていく空の端に、不意に小さな影が浮かぶ。  猫は大きくあくびをして、その影をじっと見ていたが、やがて飽きて、どこかへ行ってしまった。  空に浮かんだ小さな影も、いつの間にか消えていた。   -------------------------------------------------- ■ マスターより --------------------------------------------------  M/ヘルヴァに自分の名前を教えたい! という方は、その旨を次回のアクションに記入してください。  親しくあだ名で呼んでほしいというリクエストにも、M/ヘルヴァならきっと応えてくれるでしょう。   -------------------------------------------------- ■ 登場PC・NPC一覧 -------------------------------------------------- 【PC】 ・ジズ・フィロソフィア ・ビス・エバンス ・加藤守住 ・エルシリア・ソラ ・葉柴芽路 ・クリス・グランヤード ・水無月千鳥 【ちらっと出てきたね系PC】 ・百日紅メリサ ・瀬木戸鈴夏 ・白戸さぎり 【NPC】 ・M/ヘルヴァ ・ローマン・ジェフリーズ ・ティム・グランヤード ・バース・グランヤード ・葉柴芽路の父