-------------------------------------------------- PBeM『VOiCE』第5回リアクション 05-A Mの魂 -------------------------------------------------- ●新学期タービン  新学期は、毎日があわただしく過ぎていく。教室の面々は変わらないにもかかわらず、どこか新鮮で、なんだかこそばゆい。教室の階は、学年と同じように、ひとつ上がった。ただそれだけのことなのに、階段を登るたびに、妙に緊張する。一ヶ月もすれば、そんな気持ちも日常の中にとけ込んで、忘れてしまうのだろうけど。  クリス・グランヤードは、今日も「古代遺跡」にやってきていた。もちろん、名目はいつもと変わらず「勉強会」だ。たとえ名目とはいえ、宿題を一緒にやったり、互いに教えあったりもしているのだから、親や先生へのいいわけも──必要になれば──十分できる。 「ここ、よくわかんないんだよね」 「ああ、もう! 何度言ったらわかるんだ!」  クリスが声を荒らげるが、以前のような、突き放すような冷たさはない。言われたジズ・フィロソフィアも臆することなく、わからないところを素直に質問するだけだ。  結局、今に至るまで、クリスが正式に探検部に入部したということはない。入部届けの有無で変わるような関係では、もうないのかもしれない。そもそも入部手続きも、あるようなないような、あやふやなものではあるのだが。 「なんせ、顧問がアレだから」  ビス・エバンスの言葉に、その場にいる誰もが、ぽややん保健医と称される保健教諭の、ぽややんとした白衣姿を思い浮かべ、深くうなずいた。部長であるジェシー・ジョーンズは、新入部員獲得に奔走している。来月には、「後輩」と一緒に「勉強会」をしているのかもしれないと思うと、クリスはなんだか頬が熱くなるのを感じた。  ──ど、どうやって話せばいいんだ。  クラスメートとの距離感も、クリスは未だに時々遠く感じる──あくまで、クリスは、だが。ましてや年下の子相手に、どう振る舞ったらいいのか、まるで見当もつかない。そういう意味では、クリスは生粋の末っ子気質ともいえた。  宿題に手間取る面々を追い抜いて、クリスは早々と「古代遺跡」のレポートまとめに取りかかった。今はまだささやかな情報の寄せ集めに過ぎなくても、Mとのやりとりをはじめ、記録として残しておいたほうがいいと考えたからだ。  Mとのやりとりをまとめておきたい──クリスがそう言い出すのには、それなりに勇気を必要とした。反対されるかもしれないし、あるいはまったく無視されるかもしれなかったからだ。クリスは探検部ではなくて──だからこそ、自分の意見がどう受け止められるのか、不安でもあった。だが、返ってきた言葉といえば── 「おっ、クリスがまとめておいてくれるのか」 「じゃあ安心だね。クリスならうまく整理してくれそうだし」 「よろしくー☆」  思わず口をぽかんと開けて──あわてて表情を取り繕う。 「ちょ、ちょっと待て。そんな軽くていいのか!?」  クリスが言うと、探検部のいつもの面々は顔を見合わせた。 「だって、ねえ」 「反対するのも変じゃない?」 「ていうか、むしろ歓迎。俺らがやるよりよっぽどいいだろ」 「ねー」  あまりにあっけない言葉に、クリスはしばらく何も言えなかった。対する探検部たちは、そんなクリスの様子を不思議そうに眺めたあと、──ややあってから笑いだした。クリスには、その笑い声がなぜか心地よく聞こえた。自分が笑われているのに、どうしてだろう?  クリスのレポートは、時系列に沿ってまとめられ、さらに推論やメモといったものも付け加えられていた。中には、Mとのやりとりのバックアップ──といっても、画面に表示された内容を手で打って保存しているのだが──も含まれる。  これを、いつか、誰かに見せる時がくるかもしれない。  それがいつになるのかはわからないが──クリスはその時がくるまで、パスワードをかけて保存しておくことにした。  ──まだ、大人に言わない方がいいかもしれない。  言ったら──きっと、自由には「古代遺跡」に来れなくなってしまうような気がして。みんなともう会えなくなるような、また距離が遠くなってしまうような、そんな気がして。  クリスの中の大人の部分が囁く。  ──そのうち、手に負えなくなる日が来る。それまで、自分たちだけで抱えていられるかい?  そう、「古代遺跡」がどのようなものであれ、子どもの頃に誰もが通り過ぎる、遊び場のひとつではないことは、間違いないのだ。Mとの通信ができるという、ただその一点だけをみても、この場が特異であるのは明らかだ。ならば、子どもである自分たちの手に負えなくなる前に、誰かに伝えるべきなのだろうか?  クリスは、そっと首を横に振る。  それでも──それでも、ボクは。ボクたちは。  クリスはディスプレイを見上げる。電気の供給に関してはまだはっきりとしたことは不明だが、今日明日でいきなり使えなくなるようなこともないらしいということは、薄々わかってきている。  ──この「古代遺跡」、そしてM。まだすべてはわかっていないけれど、だからこそ。  未来は、誰にもわからない。わからないことは、不安だ。でも、わからないなら、これから決めればいい。  クリスは、慣れた手つきで上書き保存のコマンドを入力する。そして、またひとつ、未来への道しるべを保存した。 ●狼少年とツンデレ少年  その日、ビス・エバンスに狼の耳としっぽが生えた。 「……気が早すぎないか?」  クリス・グランヤードがあきれたように言ったが、ビスはまったく気にしない。 「備えあれば憂いなしってやつさ。今から準備万端にしておかないとな!」  何かと落ち着かない新学期と、気の重い親子懇談会が終わり、子どもたちもようやくいつものペースを取り戻しつつある。面倒ごとが終われば、楽しい行事が待っている──月末のハロウィーン・パーティに向けて、クラスメートたちは変装やいたずらの内容を考えるのに夢中だ。当然、ビスも例外ではなかった。 「けっこう似合ってるだろ?」  ばさりとマントを翻してみせる。今年の変装は狼男で行くと決めたのだ。 「はいはい、よくお似合いで」  クリスが大げさに肩をすくめてみせるが、ビスはまったく意に介さず、再びマントを翻してみせるのだった。  お披露目が終わったところで、ビスは今日の本題へと移った。 「それで、だ。送る質問内容だけど、まとめてきたか?」  M/ヘルヴァにメッセージを送るには、電気が必要だ。供給は安定しているように思えたが、確証がない以上、むやみやたらと気軽に送るわけにはいかなかった。いつどこで、思わぬ停電や、供給ストップがあるとも限らない。ビスは、質問内容はまとめて送ろうと以前から提案していたのだ。 「質問の入力はボクがやるよ」  ぶっきらぼうに言うクリスに、葉柴芽路があっけらかんとした口振りで聞き返す。 「えー、なんでー?」 「クリスはさー、恥ずかしがり屋さんだよなー」  追い打ちをかけるように、ビスが言う──もちろん、口元にはこらえきれない笑みを浮かべて。 「質問、見られたくないんだろー」 「どうせ画面に表示されちゃうんだから、バレバレじゃん」 「う、うるさい! そ、そういうんじゃなくて、あ、アレだ、打ち間違いとかしたらヘルヴァが混乱するだろ!」 「ふーん」 「ふーん」  ビスと芽路のチェシャ猫めいた笑顔を前に、クリスはふと、なんでこんなにムキになっているのか、と我に返ったものの、何を言っても弁明めいて聞こえそうで、内心ぐぬぬと押し黙る。 「そういや、混乱っていえばさぁ」  ビスがふと真面目な声で言った。 「ヘルヴァってさ、最初はわたしって言ってたのに、途中からわたしたちに変わったよな」 「あー、それ気になった!」  芽路の声にビスはうなずいた。 「なんか変だよな。いや、変っていうか……最初に返事をしてくれたのとは違う人みたいだなって思ってさ」 「口調もなんだか違ったよね」  話題が切り替わったのに内心ほっとしつつ、クリスも言った。 「急に真面目っていうか、なんか堅苦しいっていうか……わたしたちってことは、他にも誰かいるってことだよな。まあ、なんか俺たちがいることを喜んでくれてるみたいだし、まあいいかなとは思うんだが……」  ビスは一瞬考え込んだが、すぐにあっさりと答えを出した。 「ま、いっか。わかんないことは聞けばいいんだよ、本人に」  そして、手早く質問内容を入力した──今どこにいるんだ? ていうか、最初に返事してくれた人とはもしかして別? まあ誰でもいいんだけど、今後ともよろしくな。 「ちょ、ちょっと、何を勝手にやってるんだ!」  クリスが思わず声を荒らげたが、ビスは当然気にしない。 「いーじゃん、いーじゃん。あ、そうだ、こっちの名前も書いておこうぜ。知りたがってるみたいだしさ」 「ていうかさ、こっちは名乗ってないし、ヘルヴァも混乱しちゃってるかもよ? 名前も言わないで、みんなでいろいろいっぱい聞いちゃったしさ」  芽路がぴょこぴょこ飛び跳ねながら言った。 「聞きたいことは僕も同じだけど、もうちょっと言い方ってものがあるだろ! 礼儀を知らないのか!」 「大丈夫だって、俺とヘルヴァの仲だから。おまえらも、名前教えるだろ?」  けらけらと笑うビスに、クリスは深いため息をついた。 「好きにしてくれ……」 「ノリ悪いぜ、クリス。えっと、じゃあ名前を教えるのは、俺と、クリスと、芽路も、でいいんだな?」  ビスの──かなりざっくばらんだが──送信前の最終確認に、クリスと芽路は深くうなずいた。 「もっと話がしたいしさ、だったら……こっちの名前をヘルヴァが知らないのは不公平じゃん?」 「不公平かどうかは、わからないけど」  芽路が言うと、クリスがかすかに笑う。その表情に、芽路が口をとがらせたが、本気で気分を害したわけではなく、ややあってお互いに笑いだした。 「じゃ、送信っと」  手慣れた様子で、ビスは三人の名前を送信した。すぐに返事がくるはずがないとわかっていても、返信が待ち遠しい。 「あーあー、早くこないかなー!」   ●職員室はタブー  ジズ・フィロソフィアは、十歳の子どもだ。今年またひとつ年を重ねて、十一歳になるが、だからといって何かが劇的に変わるというわけでもないのは、ほかでもないジズでさえもわかっていることだった。  ──ボクは、子どもだ。  ジズは、自分の手をじっと見つめた。  子どもには無限の可能性と希望があるのだと、大人たちは言う。けれど、無限の可能性と希望は、あくまでも可能性であり、希望でしかない。願うすべてが叶うとも、行うすべてがうまくいくとも限らないのだ。大人なら容易にできることが、子どもの自分ではできない──そんな歯がゆい思いをしたことは、数え切れない。  ジズはゆっくりと手をあげて、その扉を開いた。これが正しいのかはわからない。だが、今の自分にできる最前を選ぶとすれば、これだった。  ──いやな予感がする。  ジズの胸の中に、くすぶり続ける不安がある。  ──あれは、本当にボクたちの手に負えることなんだろうか?  葉柴芽路が「ヘルヴァ」と名づけ、そして自らは「M」と名乗る──アレ、とも彼とも彼女とも呼べない、誰か。「古代遺跡」の中にいるのではないのだろう。「古代遺跡」を通じて、「どこか」にいるヘルヴァ/Mとつながっているのはわかるのだが、その「どこか」とはどこなのか──それがわからない。おそらく、このふたつの丘ではないのだろう。だがそれも、これといった確証もない現状では、推測や予測にすぎない。  ヘルヴァ/Mはどこにいるのか。  ヘルヴァ/Mは誰なのか。  考えれば考えるほど、このままではいけない、という不安と焦りだけが募る。  だから、ジズは決意した。  ──ボクたちだけじゃ、無理だ。  大人の手を借りる。  それは、子どもにとっては当たり前のことであると同時に、一種の屈辱や敗北宣言に近い何かだ。だが、子どものプライドや見栄を気にして、取り返しのつかないことになってしまってからでは遅い。ジズはそう自分に言い聞かせた。正しいかどうかはわからない。けれど、最善を尽くすよりほかにない。    彼は、ジズの存在に気づくと、いつもと変わらない笑顔でジズを迎えた。 「どうしたんだい?」  そういう彼の顔をじっと見つめる。昼休みは長いようで短い。ジズは一度息を吸って、吐き出すと同時に言った。自分の中の空気が、全部抜けていくような感覚。 「ローマン先生、相談したいことが、あるんです」 ●ライサ・チュルコヴァの無口な席  もともと、この教室には人が欠けていたのだ。衛宮さつき、穂刈幸子郎、そしてキルシ・サロコスキ。  三人も欠けていた。そして、また一人。  エルメル・イコネンは、そっと窓際の席を見やった。秋の日差しは柔らかく、あと二時間もすれば夕暮れの色合いへと移るだろう。午後の陽光が眠りへ誘うその席に、座っていた彼女はいない。  もう一週間。  彼女──ライサ・チュルコヴァの姿が教室から消えて、もう七回も陽は昇り、そして落ちた。  最初は話題にもなったが、やがてそれも消えていった。触れてはいけないと感じ取ったのか、あるいは早くも「日常」として受け入れたのか──エルメルは、そのどちらでもなくて。  エルメルは、彼の言葉を信じるよりほかにない。  エルメルは、じっと自分の両手を見つめる。  その手からこぼれ落ちていくものと、つかんで守れるもの──その違いを、エルメルはまだ考えないようにしている。  希望なら、いつだって、この手とともにあるはずだから。 ●我が心の猫よ月を奪うな 「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!」  ふたつの丘がハロウィーン特有のオレンジと黒を基調とした秋の色合いに染まる頃、小さなお化けたちが街を練り歩く。口々に、お菓子をくれなきゃいたずらするぞ、と言いながら。  だが、中には例外もいる。 「お菓子をくれてもいたずらするぞ!」  お菓子は欲しいが、それとこれとは別なのだ。いや、むしろお菓子で懐柔されている場合ではないのだ。葉柴芽路は断固たる意志で立ち上がった。   お決まりのフレーズを口にするお化けの群れから、わずかに離れたところに、芽路は目標を見つけた。つまらなそうに──と芽路には見えるが、実際のところはわからない──お化けたちを見つめている白戸さぎりだ。 「猫!」  呼びかけた──というか呼びつけた芽路の声に、ややあってから、さぎりは振り向いた。 「……何の用だ。面倒なことは一切絶対確実に壮絶にやらないからな」 「ちょっとおいで。やってもらいたいことがあるんだ」 「断る」 「じゃあ早速、行こうか」 「おいこら聞いてるのか」 「何もしなくていいんだ。突っ立っててくれればいいよ」 「怪し、い、いた、痛いこら引っ張るな!」  地面に爪を立てようにも、哀れにもさぎりに鋭い猫のような爪はなかった。押し問答しつつも、結局さぎりは芽路につかまってしまった。ずるずると引きずられるように、芽路の自宅に着いた頃には、さぎりの不機嫌さはいよいよもって背中の毛をすべて逆立てんばかりの勢いだった。さぎりに猫のしっぽがあれば、それは普段の三倍くらいに膨れ上がっていただろう。 「さて、と。じゃあ、その辺に立ってて。あー、違うな、そこ、そこの窓の下ね」 「は?」 「いい? どっか行ったらダメだからね!」  強くそう言い残すと、芽路は足早に自宅の玄関に向かい、そのまま「ただいまー!」という声とともに中へ消えていった。 「……理不尽だ」  さぎりは猫に対する、あまりに理不尽な人類からの仕打ちの前に、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。何が起こるのかと思えば、別に何も起こらない。芽路は家に入ったきり、戻ってくる気配すらない。 「……帰ろう。すみやかに、たちどころに帰ろう」  さぎりがそう決意した瞬間だった。  がたん、とどこから音がした──次の瞬間、頭上から火花の固まりが落ちてきた。  しかもそれは、自身から生まれる火花をあたりにまき散らしながら、地面を転げ回る。 「わひゃあああああうぅうううう!?」  さぎりが悲鳴を上げ、その声を聞いて慌てて芽路の家から人が出てくるのに、それほど時間はかからなかった。 「グッジョブ、猫」  家の外から聞こえるさぎりの悲鳴を聞きながら、芽路はクールにサムズアップを決める。思惑どおり、両親たちは何事と部屋を出ていった。 「よっし、今のうちに……」  芽路は、そそくさと父親の書斎に忍び込む──書斎といっても、ささやかな自室でしかないが。おそらく仕事中だったのだろう、父の仕事用コンピュータのモニターには何かの図面のようなものが映し出されている。それが何を意味しているのかは、芽路にはわからない。「第五期計画」と題されたそれには、街の地図の上に、ぐねぐねと線が描かれている。とりあえずデータをコピーしようと思ったが、万が一サイズが重かったら、そのうち父が戻ってきてしまうかもしれない。何をどこまでコピーしたらいいのかも見当がつかず、芽路はモバイルを取り出すと、ひとまずカメラアプリで画面を撮った。あとでじっくり調べて、また必要であれば忍び込めばいい。 「そのときは、また猫に手伝ってもらえばいいよね」  さぎりが聞いたら憤慨するようなことをさらりとつぶやいて、芽路は何事もなかったかのように父の書斎を後にした。  その後、速攻かつ厳然と「芽路ちゃんがぼくにねずみ花火を投げました」と主張するさぎりと、「まさかうちの子に限って、やりかねない気がしないでもないけど、いやまさかそんな」と煩悶する両親のはざまで、芽路は涼しげな顔をしてみせるのだった。 ●少年少女の花の秘密  ローマン・ジェフリーズは、その話を聞いたとき、子どもの作り話と笑う気は起こらなかった。むしろ、自分が幼い頃に夢見たような冒険譚がいまだに語り継がれているような、そんな懐かしい気持ちにさえなった。  とはいえ、実際に「古代遺跡」の前に立ってみると、いかにも荒唐無稽で──そしてチープな代物に見えた。 「こんなに小さかったかなぁ」  あの日、あんなに大きく、偉大な謎のように思えた「古代遺跡」も今となっては、苔むして古ぼけた建物にしか見えない。  ローマンのひとりごとを気にするでもなく、ジズ・フィロソフィアは言った。 「先生も、ヘルヴァと会って。先生だったら物知りだから、ヘルヴァがいるところがどこなのか、わかるでしょ?」  無茶ぶりだなぁ、とローマンは内心苦笑するが、真剣な面持ちのジズを前に、そんなことは口が裂けても言えなかった。子どもが大人を頼るなら、それに全力で応えるのが大人というものだ。  どうにか「古代遺跡」内部に入り込んで、ローマンは中が明るいことに驚いた。 「ど、どういうことだい、これは?」  思わずジズに問うが、その答えをジズが知っているはずもなかった。明かりも必要ないなんて──そんなことは、あの頃にはなかったのに。 「わかんない……でも、たぶん、この街の電気を使ってるんだと思う。そうでなければ、どこか発電設備があるんだと思います」  ジズの声はどこか慎重に言葉を選んでいるように聞こえた。  だが、ローマンが驚いたのはそれだけではなかった──ヘルヴァ/Mからのメッセージだという画面を見せられた時、それまで心のどこかで抱いていた「子どもたちのいたずら」という可能性が、瞬く間にしぼんでいく。 「これは……ジズ、君たちはきっと、間違いなく、とても偉大なことに触れている。ヘルヴァというのが誰なのか、何なのかはわからないが……それは間違いないよ」  興奮を隠しきれずに──しかし、ずいぶん手の込んだいたずらだな、という思いもほんのわずかに残しつつ──ローマンは言った。  しかし、ジズ以外の子どもたちは、どこか落ち着かなさそうにしている。それは、ヘルヴァ/Mのことについて、ではない。  それもそうだろう、とローマンは思う。自分たちだけの「秘密」に、大人が入り込んできたのだから。たとえそれが友人の決断によるものでも、にわかには受け入れがたい──ああ、あったなぁ、そういうの。ローマンはしみじみと、ほろ苦い思い出をかすかに呼び覚ます。 「はっきり言うよ。ボクは……ヘルヴァのことは、大人に相談したほうがいいと思う」  ジズは、きっぱりと、友人たちをまっすぐに見つめて言った。勇気のいることだろう、とローマンは思うが、何も言わない。ここで口添えしても、ジズたちのためにはならない。ジズの思いを伝えるのはジズ本人をおいて他になく、そしてそれを聞くのは彼の友人たち以外にはいないのだ。 「……どうして、そう思うんだ?」  クリス・グランヤードが眼帯をいじりながら聞き返す。  ジズは言葉を選びながら、ゆっくりと話した。 「どうして、と言われると……きちんとした理由があるわけじゃ、ないかもしれない。ただ……いやな予感がするんだ。ヘルヴァのことは、ボクたちの手じゃ負えないことかもしれないって」 「で、でもさぁ……」  言いにくそうに葉柴芽路が口を開き、すぐに閉ざしてしまう。彼女の中で、うまく言葉にできない何かがぐるぐると渦巻いているのが、ローマンの目にも見えるようだ。 「大人に相談するなら、……ボクらにも相談してほしかった、な」  ぽつりと、ひどく小さな声でクリスが言った。 「……ま、まあまあ、ジズだって悪気があってやったわけじゃないし。ていうか、悪気とかないよな、あるわけないよな? だってジズは俺らの仲間なんだぜ?」  ビス・エバンスがその場を取り繕うように、わざとらしいほど明るい声で言う。 「まーそのーなんだ、確かに、俺たちだけでどうにかできる話でもなくなってきたような気が、その、ちょっとしないでもないけど、そのーあのーなあ……ははは、……はぁ」  この会話の着地点をどこにしたらいいのか、ビスはそう広くもない部屋をきょろきょろと見回す。答えがどこかそのあたりにうずくまっていやしないかと。  ──そのときだった。 「ん?」  クリスがふと天井を見上げる。 「なにか……言った?」 「ん、別に……でもなんか聞こえたかも」 「外からじゃないか?」  ビスの声に、子どもたちは顔を見合わせると、誰からともなく外へ出る。その後をあわてて追うローマンだけは、狭い入り口から出入りするのに四苦八苦していた。 「あの頃はさくっと通れたんだけどなぁ」  大人になるってこういうことかな、と他愛もないことを考えるローマンの耳にも、それは届いた。  それは、同じ内容を繰り返しているようだった。優しげで親しげな──それでいて、どこか有無を言わせない、厳かな男性の声が、ふたつの丘に降り注いだ。    ●通達(生存者の薔薇園)  最初は、小さな小さな──空をどんなに注意深く見ていても見落としそうな──点に過ぎなかった。  いつもと変わりない、午後の日差しの中で、誰もがいつもと変わりない夕暮れを迎えるものだと思っていた。  猫たちが、じっと空を見上げている。その髭はピンと前を向いていた。  空を普段から見上げる習慣があったなら、それに気づくこともできたかもしれない。だが、それは最初はあまりにささやかすぎた。  ふと落ちた影に、太陽──と便宜的に呼ばれているもの──が雲に隠れたのだと思ったときには、それは地表近くまで降り立っていたのだ。何気なく空を見上げ、そして息をのむ。  大きな。  あまりに大きな、影。  それが何であるかを認識するのに、時間がかかったのも無理はなかった。かつて、この星に強制的に降りざるを得なかったあの船のことを、リアルタイムで覚えているものはもういなかったのだから。 「あれ、なぁに?」  ティベリス通りで、その影を指さす子どもの無邪気な声が、やけに透き通って響いた。  地上の人々の視線を一身に浴びながら、その影はやがて言った──最初は音声で。次に紙という貴重なメディアを、惜しげもなく地表にばらまいた。そこに書かれていた文字は、日頃使っているものとよく似通っていたので、解読するのは容易だった。  ──そして、その内容は、瞬く間にネットワークの海にも広がっていった。 「我々は太陽系の第三惑星、あなたたちの故郷である地球からやってきた。我々は、あなたたちに危害を加えることはない。我々は、あなたたちと再び出会えた奇跡を、この宇宙のすべてに感謝する。我々は、同じ地球から生まれた者として、あなたたちの生存を心から喜び、そしてこれまであなたたちが味わったであろう様々な辛苦を分かちあいたい。それがたとえ罪滅ぼしにさえならないとしても」  そして、大きな影──それが地球生まれの恒星間用駆逐艦だと知る者は、この星にはいなかった──は言った。 「ビス・エバンス、クリス・グランヤード、葉柴芽路──どうか、我々と会ってほしい。この星で生きることを決意した勇敢なあなたたちと、地球に生きる我々とを、どうかつないでほしい。ヘルヴァの名をもらった彼女も、あなたたちに会えるのを心から待っている」  少年たちは顔を見合わせた。 「Mが……ボクらを呼んでる?」 -------------------------------------------------- ■ マスターより -------------------------------------------------- ・次回で最終回です。リアクション発行が遅れ、大変申し訳ございません死ぬ。 ・M/ヘルヴァ「……来ちゃった☆」 ・というわけで、ご指名入りましたー。今回名前を呼ばれた=Mに名前を教えるとアクションに明記したお三方は、この星のあらゆる人間よりも、地球からやってきた人々との交渉に関して優先権を持っています。Mもあなたたちに会いたがっていることでしょう。 -------------------------------------------------- ■ 登場PC・NPC一覧 -------------------------------------------------- 【PC】 ・クリス・グランヤード ・ジズ・フィロソフィア ・ビス・エバンス ・葉柴芽路 ・白戸さぎり 【チラリズム系PC】 ・エルメル・イコネン 【NPC】 ・M/ヘルヴァ ・ローマン・ジェフリーズ 【チラリズム系NPC】 ・キルシ・サロコスキ ・ライサ・チュルコヴァ