-------------------------------------------------- PBeM『VOiCE』第5回リアクション 05-D 最後から二番目の嘘 -------------------------------------------------- ●新学期晴れて  夏の日差しが和らぎ始めたら、それが新学期の合図だ。校門を並んでくぐる新入生たちの姿は、まるで雛鳥の行進だ。自分たちも、まちがいなくあれくらい幼かったはずなのだが、実感がわかない。思い出せないと言うべきか。  入学式が終わり、学校はいっそうにぎやかになった。廊下を走る新入生を注意するのは、去年同じように廊下を走り回っていた二年生だ。  陳宝花は、そんな下級生たちを時に叱り、時になだめ、その度に自分の店の宣伝をさり気なくしつつ、ある目的のために行動を開始した。深く静かに、だが確実に目的を達するのだ──そう決めたときの宝花の行動力たるや、生半可なものではない。 「よーし、何がなんでも成功させるゾ!」  その姿を、片岡春希は微笑ましげに見守っていた──巻き込まれるのは、承知の上で。 「春希、この恰好、おかしくないカ?」 「別におかしくないよ」 「ライサは?」 「ん、いいと思うわよ。似合ってる」  宝花は、同行のふたり──春希と、クラスメートのライサ・チュルコヴァに向かって、何度も確認した。 「でも、わざわざちゃんとしたワンピース着てくるなんて……そこまでしなくても大丈夫じゃない?」  ライサが苦笑する。それというのも、今日の宝花はフォーマルなワンピースに身を包んでいるからだ。もちろん、裾やスカートまわりには中華風の要素が取り入れられている。 「だって、ちゃんとしたお願いに行くんだから、ちゃんとしなきゃダメだと思うゾ」 「まあ、それはそうだけど」  くすくす笑うライサを見て、宝花もつられて笑う──そう、やっぱり「笑う」のはいいことに違いないゾ。 「じゃあ、行こっか」  春希にうながされて、ふたりは歩き始めた。今日は休日を費やして、お願い参りに行くのだ。  最初の関門は、キルシ・サロコスキと穂刈幸子郎の主治医たちだ。特に、ドクター・シュトライヒリングの方は、なんとも近寄りがたい。 「お母さんの方なら、何度も会ってるし、電話もするんだけどナァ」  宝花はため息をつくが、担当が違うと言われてしまえば、それ以上どうにもならない。潔く、正々堂々と主治医のもとへ直談判しに行くことにしたのだ。  目的はひとつ──ハロウィーン・パーティに入院しているキルシやクラスメートたちも参加させること。 「半日程度だけだし、それほどの負担にはならないわね。もちろん、私たちもついていくし、何かあればすぐ病院へトンボ返り。食事やお菓子は食べられないから、用意しなくても結構よ。他の誰かがくれても、こちらで回収するわ。それでもいいなら」  ドクター・ベネットの回答は好意的だった。たまたま急な会議が入ったとかで、ドクター・シュトライヒリングが不在だったのもよかったかもしれない。思っていた以上に、すんなり話はまとまり、宝花はむしろ拍子抜けするほどだった。 「へ、あの、いいんですカ?」 「いいも何も、こちらとしては歓迎する話よ。ふたりの治療の一環にもなるでしょうから。ただ、楽しいパーティに医者や看護師が押しかけたら、邪魔になっちゃうんじゃないかしら。そこだけが心配ね」  お目付け役が増えるわけだしね──ドクター・ベネットはそう言って、いたずらっぽくウィンクしてみせた。 「さ、次は……小児科ダ!」 「元気いいわねぇ、宝花は。もう緊張しちゃったわ」  足早に病棟内を歩いて行く宝花の後を追うように、春希とライサはついていった。 「次の先生もOKくれるといいね」 「大丈夫じゃないかしら、宝花ならどうとでもできそうだし」 「んー? 何か言ったカ?」 「なんでもなーい」  だが、次に向かった小児科病棟で、宝花はがっくりと肩を落とした。 「ダ、ダメですカ……?」 「うーん、さすがにね。さすがに手術日の翌日じゃ、パーティは無理だよ」  小児科医の岸城朗人はそう言って、心から残念そうに首を横に振った。入院中の衛宮さつきと八代青葉の主治医である岸城は、青葉の参加は了承してはくれたものの、さつきに関しては無理だとはっきり言った。 「かといって、みんなが楽しみにしてるハロウィーン・パーティは延期できないだろう? せっかく誘ってくれたのに、ごめんね」  わざわざ訪ねてきた宝花たちに何度も謝る岸城を見ていると、さすがに食い下がるわけにはいかなかった。心臓移植手術の翌日に、元気にパーティに参加するのは、フィクションの世界でもそうそうありえる事態ではないだろう──そう思い直し、宝花たちは病院を後にした。 「でも、パーティを録画して、あとでさつきに持って行ってあげたらいいんじゃないかしら? 来年は一緒にやろうねって」 「あっ、それいいね! やろうよ、宝花ちゃん!」 「そうよ、たしか雫が新入生歓迎会のときみたいに、配信もするって話してたから、録画しておいてもらえばいいわ」  落ち込む宝花を励ますように、春希とライサは口々に言うのだった。 ●フェアリーブラインド 「フェアリーちゃーん、どこー?」  瀬木戸鈴夏の呼びかけに、応えるものはいない。なぜなら、鈴夏が探しているのが誰なのか、さっぱりわからないからだ。 「どっこかなー。まあ、やっぱりあそこかなー」  歌うように呟きながら、鈴夏は図書室へと向かった。昼休みもそろそろ終わる頃だが、きっと彼女なら、ベルが鳴るギリギリまでいることだろう。 「えっと、ハロウィーン、ですか?」  シュリー・ジルカがおずおずと問い返した。対する鈴夏は、何度もうなずいてみせた。だが、回答はあまり芳しくなかった。 「そういうのだったら、わたしよりもジャンヌさんの方が詳しいと思いますわ」 「んー。そうなの? でもフェアリーちゃんって本いっぱい読んでるし、詳しいじゃん?」 「は、はあ……。まあ、本で読んだ程度のことでもよければ」 「オッケーオッケー☆ 教えてフェアリーちゃん!」 「ところで、そのフェアリーちゃんって、何ですか?」 「え? フェアリーちゃんはフェアリーちゃんじゃん?」 「は、はあ……」  ハロウィーンは、てっきりお化けの仮装をしてお菓子をもらう日だと思っていたが、実際にはいろいろと行事があるらしい。ダック・アップルと呼ばれるゲームでは、水を入れた大きめのたらいにリンゴを浮かべ、手を使わずに口でくわえて取るのだという。 「なんで、そんなことすんの?」 「さ、さあ? 昔からの風習らしいですので、そこまではちょっと……。他にも、小麦粉の山から硬貨を落とさないように小麦粉を取っていく「小麦粉切り」ですとか……要はちっちゃな棒倒しみたいなものかしら。あとは、お酒を燃やして、その中から干しブドウを取り出す「スナップ・ドラゴン」というのもあったそうですわ。この間読んだ、アガサ・クリスティーという方の小説に書いてありました」 「へぇ、そうなんだ。今度読んでみよっかな。タイトルは、なんていうの?」 「そのままずばりですわ、『ハロウィーン・パーティー』といいますの」 「というわけでして」 「楽しそうだねぇ」  歴史資料館のエントランス──といっても外だ──に腰掛けて、鈴夏はお菓子を食べていた。もちろん、独り占めする気はあまりないので、横に座るケント・マクナマラにも分けてあげた。 「ただ悪戯するだけってのも、アレかなーって思ったんだ。普通すぎっていうか?」 「普通は悪いことじゃないと思うけどねぇ」 「まあ、そんなわけでさ、うちもちょっとしたサプライズを仕込もうかなって! 学年も一個上がったことだしさ!」 「前向きだねぇ」 「もっと褒めてもいいよ?」  お菓子をもぐもぐと食べ終えると、鈴夏はタブレットを取り出し、ケントの膝の上に置いた。 「ん、これは? たくさん文章が書いてあるけど……?」 「うちが考えたサプライズネタ! その名も……っと、あんまり大声で言うのもアレだから」  そう言って、鈴夏はそっとケントに耳打ちした。 「はあ、なるほどねぇ……で、おじさんにこれを見せたのは?」 「みんなに読んでもらう文章だからさー、やっぱりちゃんと意味が伝わるかどうか、チェックしときたいじゃん? だからケントおじさん、読んでチェックしてよ」 「えええ? いやまた、これは急な話だねぇ」 「だってケントおじさん、暇じゃん?」 「ざっくりえぐってくるねぇ。そのとおりだよ」 ●魔女のプロペラ 「お嬢様、お召し物はこちらに」 「ええ、わかったわ」  メイドは、頼まれたものをそっとクローゼットにかけると、静かに扉を閉めた。用意させたものは、ざっと十名分。おそらく足りないということはないだろうが、念には念を入れておきたいところだ。気軽に身につけられるアイテムも用意したほうがいいだろう。 「どうかしらね?」  お嬢様と呼ばれた少女──ジャンヌ・ツェペリはそう言って振り返る。その視線の先には、いつになく緊張している様子の委員長こと御手留乃歌が、ひどくかしこまった様子で座っていた。 「い、いいと思うわ」 「そうね、あとは足りない部分を補うようにすればいいわね……さて、と」  留乃歌のどこかぎこちない相づちに、そっと目配せしながらジャンヌは言った。 「いよいよ本題に入るわよ、委員長?」 「はっ、はい?」  対する留乃歌の反応は、普段の彼女からはかなりかけ離れている。どこかおどおどとして、鬼の委員長を恐れる男子たちが見たら恰好のからかいの的だろう。 「そんなに緊張することないのに……魔女の魔法は友だちを助けるためにあるんだから」  来月はハロウィーン・パーティが開かれる。その前に親子懇談会という、実に厄介で面倒な行事もあるのだが、そのことは今は忘れておこう──そんな子どもたちがちらほら現れ出す頃だ。ジャンヌはそんな時に夢を見た。 「ねえ、ジャンヌ、どうしよウ……衣装が足りないヨ」  そう言って、友だちが泣いている夢だ。目が覚めて、ずいぶん冷静に泣き顔を眺めていた自分に苦笑しながら──なぜなら、その友だちがあんな風に誰かの前で泣くとは思えず、ああ夢だなと思っていたからだが──ジャンヌは考えた。古来より、夢は超自然的なものからのメッセージ、すなわちお告げだという考えがある。夢診断や夢占いといった言葉もあるが、ジャンヌはどちらかといえば、夢は神託であり、夢の意味するものはそのままの形としてとらえる、すなわち「夢は解釈を必要としない」という、古代ギリシアの夢診断師アルテミドロスの考えに近かった。昨日たまたま見た、匿名裏学級新聞──という名前の電子配信新聞だった──の「ハロウィーン・パーティ」記事を読んだせいもあるかもしれない。 「あの子が泣いているということは……あの子がこれから困るかもしれないということね」  それならば、あとは行動するのみだ。魔法は誰かのためにあるのだから。  委員長こと留乃歌は「委員長」である。それは概念武装のようなものであり、実際の職能とは異なる面は多々あるものの、男子から恐れられ、女子からは頼られ、先生からの信頼も厚い──たまに暴走するというのがより正確なところではあるが──という点において、留乃歌はまぎれもなく「委員長」であった。  そんな彼女にも、唯一ともいえる弱点はある。 「……だめだわ」  何度にも及ぶ挑戦の末に、留乃歌は己の敗北を認めた。 「認めたくないものね、己自身の、不器用さゆえの過ちというものを……」  口にすると三倍ほど速くなるという言い伝えのあるフレーズとともに、留乃歌は針と糸をそっと机に置いた。やはり、人間には向き不向きというものがあるのだ。勉強であれば、苦手な科目を克服して平均点アップ! などと気楽にいえるが、裁縫となると話は別だった。もちろん、留乃歌のように努力を惜しまないものであれば、いずれ必ず上達するだろうが、それには時間がかかる。今はそれほど時間をかけている余裕はないのだ──なにせ、ハロウィーン・パーティは来月なのだから。いつのまにか始められた、匿名裏学級新聞に掲載されている、「ハロウィーン・パーティ☆カウントダウンタイマー」を見て、気が焦っているのもあるかもしれない。 「……やっぱり、私にできることを素直にやった方がいいわね」  絆創膏まみれの指先を見つめながら、留乃歌はそっと淡く笑んだ。  そんなふたりの少女が出会うのは、必然であったかもしれない。少なくとも、ジャンヌは「縁」というものを拒まない。ジャンヌは友のために、留乃歌も同様に、友のため──ほんのちょっと、自分のためにも──ハロウィーン・パーティの衣装を準備するという、共通の目的があったのだから。   「……とはいえ、どうしてこうなった」  留乃歌は自問する。たしかに、ジャンヌは自分が探していた目的の人物といえる。ハロウィーン・パーティの準備をしていた──それも実に都合のいいことに「仮装衣装」を。みんなが楽しめるように、仮装衣装を可愛いものに仕上げたい。それが留乃歌の願いだった。ジャンヌはいつもフリルたっぷりのお姫様のようなドレスを着ているし、この手のことにも得意そうだ。だから、留乃歌が作業分担や資料集めをし、ジャンヌが準備を担当する──と、ここまではよかったのだが。 「あら、とっても似合うわよ!」  対するジャンヌは満面の笑顔で、あれがいいこっちがいいと、とっかえひっかえ髪のアクセサリーを選んでは留乃歌の髪につけている。 「だ、だ、だって、私にこんな恰好……」 「あら、どうして? 委員長の髪はとってもきれいなハニーブロンドだもの、この色は髪にも映えるわ」 「い、いや、そうじゃなくて……その、可愛い服なんて……」  耳まで真っ赤になりながら、留乃歌はやっとの思いで言った。  仮装衣装を用意するついでとばかりに、ジャンヌによる委員長改造計画が始まったのは、留乃歌にとっては予想外だった。もちろん、可愛い衣装が着たくないわけではない。だが、それを正直に口に出すには、留乃歌はあまりに「委員長」という仮面を気にし過ぎていた。 「ふふ、そう言うと思った。でもね、魔女の魔法は、シンデレラに素敵なドレスだって用意できたのよ? 委員長を可愛くする魔法はいくつでも使えるわ」  ジャンヌはウィンクしてみせる。 「でも、いいの?」 「えっ、着せておいていまさら何を」 「うーん、そうじゃなくて……だって、これメイドの恰好よ?」 「うん、メイドさんね」 「メイドよ? メイドなのよ?」 「えっ、メイドさんだよね」 「メイドでいいの?」 「えっ」 「えっ」  留乃歌とジャンヌにおいて、なんらかの悲劇性を見出そうとするならば、それは「メイド」に対する解釈の違いだったかもしれない。 「メイドねぇ……」 「うん、メイドさん」  留乃歌にとって、メイドは可愛らしいエプロンドレスできびきびと家事をこなす、女性性の塊のような存在だった。母もまた、元家政婦として、雇われていた家族からは厚い信頼を受けていたらしい。  一方、ジャンヌにとって、メイドとはメイドに過ぎない。早い話が「委員長はどうしてうちのお手伝いの恰好をしたいなんていうのかしら……」とさっぱりその辺が理解できなかったのだ。 「メイドねぇ……」  もっといいのがあるんじゃないかしら、という言葉を飲み込むのに、ジャンヌは少し苦労した。 ●聖馬蹄形惑星の大冒険者  夢を叶えるために、必要なものはなんだろう?  ジャンゴ・リーボリックの最近の悩みは、その一点に集中していた。夢を見るのは簡単だ。だが、それを現実のものとするのは、難しい。夢を見るのが子どもの特権なら、大人の特権は夢を叶えられることだろうか。 「わからないことは、知ってる人に聞こうっと」  先人の教えや、隠者の導きに素直に従うのも、また冒険者としての生きる知恵だろう。危険な崖があると注意されているのに、わざわざそこへ向かっていくのは、勇気ではなくて蛮勇だ。  職員室へ行くのは少し気後れするが、親子懇談会なら、気楽に先生に話しかけられるだろう──向こうも、そのつもりでいるだろうし。ジャンゴはそう思って、親子懇談会をおとなしく過ごすことに決めた。まだ両親には、冒険者になりたいとは伝えていない。だから、担任であるローマン・ジェフリーズに話しかけるのは、親と離れたタイミングを狙う。たまたま隣同士になった、百日紅メリサの母──小鳥との世間話に母親が夢中になっている隙に、ジャンゴはそっと席を離れた。 「ねえ、ローマン先生」  くい、とローマンの上着の裾を引っ張って、こっちを向かせた。ローマンはすぐに腰をかがめて、ジャンゴと目線が合わせる──先生、いっつもこうなんだよな、とジャンゴは思う。生徒と顔を見て話すのが、ローマンの信条らしいのだが、おとなしい生徒には若干不評だ。 「先生って、夢はもう叶えた?」 「夢? ……そうだね、先生になるのが夢だったから、もう叶えたことになるね」 「そっかー。じゃ、先生はセンパイだね」 「先輩?」 「夢を叶える方法のセンパイ。ボク、叶えたい夢があるんだ。でもどうしたらなれるのか、よくわかんなくなってきちゃった」 「ジャンゴの夢ってなんだい?」 「冒険者!」  ぱっと目を輝かせて、ジャンゴは弾むように即答した。 「ご先祖さまみたいな冒険者になるんだ! ふたつの丘の果てよりずっと遠く、宇宙のはてまで行くんだ! ……でも、どうやったらご先祖さまみたいになれるか、図書館で調べたり、みんなに聞いてみたりするけど、なんか足りないような気がして」  ジャンゴは、ふと駅に務める望月凛太郎や、クラスメートの西藤はるせや山野ニコ=トポのことを思い出す。  遠くへ行くのが冒険者だから、遠くへ行けば冒険者になれる──そんな単純な話ではないことは、ジャンゴにもうすうすわかってきている。  はるせの赤い靴はもう歌わない。  ルン=ペルは最近ニコ=トポに話しかけてくれない。  夕暮れの時間が少しずつ早まっていくように、何かが終わろうとしているのだろう。 「冒険者、か」  ローマンはその言葉を噛み締めるように言った。 「先生になる方法は、先生が言うのもなんだけど、口で説明してしまえば仕組みは簡単でね。必要な勉強をして、必要な試験を受けて、合格したら、なれる。でも冒険者は、たしかにどうやったらなれるのか、わからないね」 「そっかぁ……」  ジャンゴはローマンの言葉にうなだれる。 「冒険者になる方法を探すのが、冒険者になるための第一歩かもしれない。だって、まだ誰も行ったことのないような知らない世界を目指すのが、冒険者だからね。誰かに教えてもらって、なれるようなものじゃないかもしれない」 「……うん」  ローマンはうつむくジャンゴの頭にそっと手をのせて、やさしくなでた。 「だからね、ジャンゴは、もう冒険者になっているよ」 「嘘だぁ」 「嘘じゃないさ。ジャンゴは冒険者になろうとしている。その方法を探している。それはもう立派な冒険だ。誰にも答えの出せないことに、ジャンゴはひとりで挑んでいるんだから。そうだね……先生からアドバイスがあるとすれば、勇気をずっと持ち続けること、かな。進む勇気も、戻る勇気も、どちらもね」 「ええ、ええ、そうなんですの。それでね、うちのメリサちゃんったらね」 「まあ、そうなんですか」 「そうそう、それでね……」  予想はしていた。だが、予想できていたからといって、百日紅メリサの心労が和らぐかといったら、そんなことは微塵もなかった。むしろ、予想どおりの展開に頭痛がしてくるくらいだ。  横をちらりと見れば、哀れにも母──百日紅小鳥に捕まってしまった父兄が、苦笑いを浮かべてきていた。 「ね、ねえ、お母さん。喉が乾いたでしょう? 飲み物、一緒に取りに行きましょう」  ふと会話が途切れた瞬間に、すかさずふたりの間に割って入る。小鳥の話し相手は、どことなくほっとしたような雰囲気だ。 「あら、そう言われてみればそうね。メリサちゃんったら、本当に気のつくいい子で……ごめんくださいましね」  メリサはにこにこと笑顔のまま、父兄に一礼して、小鳥の手を引いていった。内心は苦々しい気持ちでいっぱいだが、それは「いい子のメリサちゃん」の「いつもの笑顔」できれいに覆い隠した。  ──まったく、人の気も知らないで!  もしかしたら自分の胃は、全人類規模で見ても相当頑丈にできているのかもしれない──百日紅メリサは最近そう感じ始めている。  親子懇談会では、案の定、母──百日紅小鳥は「暴走」した。メリサと自分が世界の中心である彼女にとって、親子懇談会は格好のアピールの場なのだろう。娘を自慢し、娘思いの自分を自慢し、他人に見せつける。だが、あろうことか、他の父兄に向かって、こう言ったのを、メリサは耳にしてしまった。 「キルシ先生も入院なさって……ああ、もう退職なさったんでしたっけ? メリサちゃんも、かわいそうにずいぶん心配してしまって。担任が変わると、やっぱり子どもって敏感でしょう? 教え方やクラスの雰囲気も変わるでしょうし……はやくメリサちゃんのためにもクラスの空気が良くなればいいんですけどね、ほほほ」  ──なぁにが、クラスの空気が良くなれば、よ!  ぶち壊してんのはお前の方だという悲鳴を、メリサは鋼の精神で抑え込んだ。おそらく、ローマン自身の耳に、小鳥の発言が入るのはまだ先になるだろうが、その頃にはどんな尾ひれがついているか、見当もつかない。  ──ああ、謝りに行かなくちゃ。  メリサはそっとため息をついた。ふと見れば、クラスメートが楽しそうに父親らしき男性に抱きついている。  ──いいなぁ。  素直に、そう思った。 「おとうさーん! ジュース持ってきたよ!」  背後から抱きつくように、エルシリア・ソラは父親──クレト・ソラにジュースを差し出した。 「お父さんの好きなグレープフルーツジュースだよ!」 「ああ、ありがとう」  そう言って、クレトはエルシリアの頭をなでた。 「えへへ、ねえお父さん、クッキー作ってきたんだよ。食べて食べて!」 「こら、お父さんは今朝こっちに戻ってきたばっかりで疲れてるんだから……」 「そんなことないもん! ねー、お父さん!」 「ははは……せっかくだからいただくことにしよう」  エルシリアはクレトの横に座って、そこから離れる気配はない。親子懇談会が始まってからというものの、ずっとこの調子だ。他の子どもたちが、親の前でどことなく居心地悪そうにしているのとは対照的だ。それというのも、エルシリアの進級祝いと親子懇談会への出席を兼ねて、父が久しぶりに帰ってきてくれたからだった。 「えへへー。お父さん分を補給するんだー」  そう言って、母親があきれるほどに、エルシリアはお父さん大好きっ子っぷりを全身でアピールしていた。    ──忘れてもいた。  あの日、ヘルヴァはたしかにそう言ってきた。  状況はよくわからないのだが、ヘルヴァはエルシリアたちが「古代遺跡」からメッセージを送るまで、エルシリアたちのことを忘れていたようだ。  いるのに、いない。  間違いなく、エルシリアはふたつの丘で生きているのに、ヘルヴァはそれを知らなかった。忘れていた。ヘルヴァにとって、エルシリアは「いない」ものだったのだ──メッセージを送って、「ここにいるよ」とヘルヴァが知るまでは。  忘れられてしまったものは、どこへ行くんだろう。  エルシリアはふとそんなことを考えて、背筋が震えた。自分もまた、誰かを、何かを忘れてきてしまっているのかもしれない。忘れたことさえ忘れて、エルシリアにとって「この世にいないも同然」の存在にしてしまったものは、いくつもあるのかもしれない。エルシリア自身、ヘルヴァに「忘れられていた」ように。その感情に名前をつけるなら、不安と呼ばれるものだっただろう。  お父さんは、わたしのこと忘れないよね?  ずっとおうちにいないから、忘れちゃうなんてこと、ないよね?    その言葉は何度も口にしかけたが、結局声に出すことはできなかった。だから、その分、父に寄りかかるのだ。 「ねえねえ、お父さん?」 「なんだい?」 「クッキー美味しい? お母さんに教えてもらったんだ」 「美味しいよ、上手にできてる」 「お母さんより美味しい?」 「んー、それはちょっと悩ましい」 「えーなんでー? あ、そうだ、このあとハロウィーン・パーティなんだよ! 仮装するから、ちゃんと見ててね!」 「ああ、お菓子もあげるよ」 「ねえねえ、お父さん? お父さんもちっちゃい頃は「古代遺跡」で探検したりした?」 「コダイイセキ? ……ああ、学校のそばの? そうだね、お父さんは入ったことはないけど、同級生が何人か中に入ろうとしてたなぁ」 「ふぅん……じゃあ、あとでね、紹介したげる。「古代遺跡」を探検してる子たち。友だちなんだ!」 「ああ、ぜひ会いたいね」 「えへへー」  エルシリアは、自分の中に生まれた不安を消そうと、クレトの腕にしがみつく。そんなエルシリアにも、教室内の不穏なざわめきが聞こえ始めた。   ●幽霊夜行 「……あれ、白鐘さんは?」 「え、さっきまでいたと思ったけど……」  親子懇談会も終わりに近づいた頃、父兄のひとりが、生徒──白鐘鈴香がいなくなっているのに気づいた。教室は閉め切られているわけではないし、子どもたちにしてみれば親同士の会話はつまらない。これが終わればハロウィーン・パーティだと思えば、気もそぞろになるだろう。退屈しのぎに、どこかへ遊びに行ってもおかしくはないのだが、それにしては、鈴香と連れ立っていった子どももおらず、鈴香を見たという者もいない。今日の鈴香は、珍しく和装だった。祖母に着つけてもらったのだという。目立つ格好だけに、誰の目にもつかなかったというのはおかしな話なのだが──。 「あれ、どこに……?」  教室内が少し不安な空気に包まれ始めた頃、校庭も騒がしくなっていた──なぜか、多くの生徒や保護者が、空を見上げている。釣られて上を見ると──屋上の柵の外側に、ひとりの少女が立っていた。 「えっ、あれ、鈴香ちゃんだよ!」  誰かがそう叫ぶ。今日は着物姿だっただけに、その少女が鈴香だということは、一目でわかった。 「お父さんもお母さんも、ぼくを置いて出ていった! 夢を見つけろ、夢のために頑張れなんて言うけど、そんなの体の良い言葉、大っ嫌いだ! お父さんもお母さんも、自分の夢のためにぼくを捨てていったんだ!」  担任のローマンや、他何人かの教師が屋上へ向かって駆け出した。普段は入れないようになっている屋上だったが、他の学年が親子懇談会中に行った校内安全点検見学のために、解錠されていた。終了後に施錠されるはずだったが、鈴香はその隙をついたのだろう。  残された生徒たちは、教室へ戻れという指示は当然聞かず、ざわついたまま校庭にたむろうしかなかった。 「鈴香ちゃーん、あぶないよー」 「先生がそっち行ったからー」  クラスメートが口々に叫ぶが、鈴香の耳には届いていないようだった。 「ぼくには夢なんかない! 誰か置いていくような夢なら、そんなのいらない! ……ぼくには、夢がわからないよ。だから、聞かせてよ……貴方たちは何を成し遂げるのか、そのために誰を、何を犠牲にする覚悟があるのか……」  しんと静まり返った校庭に向かって、鈴香は言った。 「でなければ、ぼくは、自分を連れて逝く──あの世へ!」  誰もが、鈴香が発した言葉に顔を見合わせ、押し黙るより他になかった。下手に刺激すれば、鈴香はそのまま屋上から飛び降りるかもしれない──彼女自身が宣言したとおりに。 「わかったぁああああ!!」  そのとき、歴史が動いた。  水無月千鳥が突然大声を上げたのだ。 「な、何が?」 「幽霊さんだよ!」  そう言うやいなや、千鳥は全力で駆け出した──屋上へ向かって。 「ま、待って千鳥ちゃん、どこ行くのー!?」  クラスメートたちの声を背に、千鳥は走った。 「こ、こら危ないから……!」  ローマンや他の教師たちが止めようとする手を振り払い、華麗になぎ倒し、踏み台にして軽やかに飛ぶ。千鳥はただ一直線に鈴香のもとへと急ぐ。  千鳥は走った。必ず、かの邪智暴虐かどうかはわからないけど幽霊を除かなければならぬと決意した。千鳥には除霊とかそういうことはわからぬ。でもまあなんとかなるかなって思った。事件は教室で起こってるんじゃない、屋上で起こっているのだ。考えるな感じろ。  やがて千鳥の視界に、風にたなびく髪と、着物の袖が入る──鈴香だ。  千鳥は静かに、だが鋭く言った。  風が心地いい。下を見れば、校庭でクラスメートや保護者たちが不安そうに、こちらを見上げている。せっかく問いかけたというのに、応えるものはいない。 「あーあ、つまんないなぁ」  まあ、でも大声出すのは結構気分がいいなぁ──千鳥の声が、彼女の耳に届いたのは、そんなときだった。 「あなたが──幽霊だったのですね」  問いかける千鳥に、少女は素直にうなずいた。 「そうだよ」 「進級前に学校中に流れた噂。夏休みのサマーキャンプで投げつけられたショールの残り香。そして、今日のこの騒ぎ──」 「ちょっと待て、二番目なんかおかしくない?」 「すべては、あなたが起こしたものだったのね!」 「あーあ、バレちゃったかぁ」  けらけらと少女──鈴香は笑う。 「ま、意外と楽しめたかなーとは思うんだけど、さすがにそろそろバレちゃ……」 「覚悟しなさい、幽霊さん!」 「は?」 「この水無月千鳥が来たからには、鈴香ちゃんの体から出ていってもらうんだからね!」  白鐘鈴香は幽霊に取り憑かれている。以前、学校で流れた噂やサマーキャンプでの幽霊騒ぎも、おそらく鈴香に取り憑いた幽霊がやらせたことなのだろう。幽霊を払わない限り、鈴香はまた体を乗っ取られ、危ない目に遭わされるに違いない──そう結論に達した千鳥が、屋上にたどり着くまでに考えた「悪霊退散」作戦は、次のとおりだ。  しゃっくりを止める方法に、驚かせるというのがある。つまり、驚いたらなんかいろいろ止まったりするのだ。その要領で、鈴香に取り憑いた幽霊を驚かせて、びっくりした拍子に幽霊とれたーやったー。 「うん、完璧!」 「待って、なんだかすごく不吉な予感がすごくする」 「この怒りは、悪霊を斬るための鋭さじゃないんだよ! 幽霊さんが、この世の未練を断って、あの世に渡るための、情けの鋭さ! くらえー、あくりょーたいさーん!」  その声とともに、千鳥は飛んだ──鈴香に向かって。つまり、屋上の外へ。 「え、わ。ちょ、ま、え、わわっわ」  千鳥に飛びかかられて、鈴香はあやうくバランスを崩す。当然、鈴香たちを守るべき柵はない。なんとか踏みとどまるが、千鳥は鈴香の首にぶら下がったままだ。 「どう? びっくりしたでしょ、鈴香ちゃんの体から出ていきなさい!」 「わ、わ、ばか、落ち、わ、わ」 「あくりょーたいさーん!」 「わあああああ!」  ──その後、ふたりは教師たちに無事に確保、回収された。その光景は、もはや児童の保護というレベルではなかったらしい。いろんな意味で。  そして、ふたり仲良く、ハルマゲドンとラグナロクを足して人類滅亡でかけたら、これくらいになるかなって勢いで叱られた。ローマン・ジェフリーズはやはり、あの「鬼のジェフリーズ」ことオーガスタ・ジェフリーズの孫であると、しみじみ感じ入った父兄もいたという。  さらに、この騒動の陰で、ひっそりとダメージを受けている者が、もうひとりいた。 「あ、謝りに行こうと思ってたのに……」  教師たちは職員室へ行ってしまい、メリサはローマンに謝るタイミングを見失ってしまった。こうなればハロウィーン・パーティのさなかに、なんとかしてタイミングを見つけるより他にない。 「ああ、もう!」  女子トイレの洗面台で、乱暴に顔を洗って気分をごまかそうとするメリサの怒りの声を、七不思議の幽霊の声だと思い込んだ女子生徒が多数発生するが、それはメリサのあずかり知らないところである。 ●銀河帝国から来た男 「諸君、わたしは悪戯が好きだ」 「うん、知ってる」 「諸君、わたしは悪戯が好きだ」 「知ってるってば」 「諸君、わたしは悪戯が好きだ。異論があれば、それはことごとく却下だ」 「だから知ってるってば」  クラウディオ・トーレスは、このハロウィーン・パーティ戦役において、大胆不敵に宣戦布告した。 「征くぞ、卿ら! お菓子を差し出せば恩赦が受けられると思っている平和ボケした輩に、激烈な雷神の鎚を食らわすのだ! 具体的には水風船な。今から配るから、はい並んで並んでーはいそこズルしないのー」 「やったー」 「先生にぶつけちゃおうぜー」 「ちょっと男子ー、パーティの準備手伝いなさいよー」 「やべぇ、女子が来た」 「撤退する! 言いたい事があればいずれヴァルハラで聞かないこともないかもしれない!」 「早ッ!?」  ハロウィーンといえば、お決まりの台詞「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!」である。だが、クラウディオは、それでは生ぬるいと思っていた。お菓子と引換にするほど、銀河トーレス帝国男子艦隊の悪戯心は安っぽくないのである。 「お菓子をくれても悪戯する! 今宵は卿らの働きに期待する!」  クラウディオが考えた作戦は、まずお菓子と引換に悪戯をやめたと見せかけるというものだ。いわば偽の休戦協定である。協定は破りたくなったら破っていいというのが、銀河トーレス帝国の掟だ。ちなみにこれは時限立法であり、ハロウィーン・パーティの終了とともに法的拘束力は失われる。  次いで、偽の休戦協定に安心しきった敵に、水風船による飽和攻撃をしかける。いかなる戦術・戦略をもってしても、あまりに戦力に差がある場合、これを覆すのは難しい。銀河トーレス帝国の戦力を見せつけるまたとない絶好の機会である。あといっぱい投げるとなんか楽しいし。水と泥には子どもから理性を奪うアレがある。  最後は、黒色ペンキ落書き部隊による白兵戦である。顔に落書きをするという屈辱の行為をもって、皇帝クラウディオ・トーレスは銀河を支配してきたのだ。ちゃんと洗えば落ちるので次の日も安心である。こういった細やかな配慮が、皇帝クラウディオ・トーレスが慈悲深き英雄王と呼ばれる所以である。呼んでる人はいないけど。 「──ファイエル!」  クラウディオ・トーレスの指揮のもと、ハロウィーン・パーティ戦役の火蓋は切って落とされた。 「メンマのたっての願いだ。存分に叶えてやろうではないか!」  盛り上げる方向がなんか違うゾと宝花が言うも、まったく聞く耳を持たないクラウディオは、まず目の前にいたローマンに水風船を投げるのだった。 「おとうさーん、見てるー?」  混乱の中でも、エルシリアは父クレトへのアピールを忘れない。ジャンヌと留乃歌が用意したという猫耳をつけて、お化けの中に混じっている。 「ちゃんとー見ててねー!」 「見てるよー」  そうは言うものの、娘の手に水風船がしっかり握られていることに、一抹の不安を禁じ得ないクレトであった。  男子たちが悪戯に精を出している頃、ジャンヌは留乃歌改造計画の最後の締めにとりかかっていた。 「じゃあ、眼鏡。外しましょうか」 「えっ」 「えっ、じゃないわよ。せっかくだから、眼鏡外しましょう」 「ま、待って、そんなこと急に言われても」 「せっかくの変身なんだから、思い切らなくちゃ」 「いやいやしかしだがしかし」 「だって眼鏡よ? メイドに眼鏡は不要だわ」 「わあ、なんかすごい理屈が」  どこかで盛大な悲鳴が上がる。誰かが、ジャンヌが用意したダック・アップルのたらいを思い切り蹴飛ばしたらしい。 「もう散々濡れてるんだから、いまさら同じよね」  くすくす笑うジャンヌとは対照的に、留乃歌は急に委員長としてのアイデンティティを取り戻したらしく、男子を叱り飛ばすために走っていった。 「こらー!」 「わぁ! って誰?」 「誰とは何よ! それはともかく、ジャンヌが用意したたらいを蹴飛ばしたのね! ちゃんと片づけて、ジャンヌに謝るのよ、いいわね!」  そう言って、また次のトラブルを見つけては風のように去っていく。  ハロウィーン・パーティののち、「ハニーブロンドの可愛いメイド妖精が現れて、悪戯する男子を叱っていった」という噂が流れた。 「へえ、そんな妖精がいたなんてね。見てみたかったわ」  とは、留乃歌の弁である。 ●BURNING HEART  アレクセイ・アレンスキーは、ニアシュタイナー・シュトライヒリングの姿を探していた。すでに三発ほど味方からの誤射──銀河トーレス帝国戦時法により、一発なら誤射かもしれず、十発当たっても誤射かもしれないとさだめられた──を受けて、頭からずぶ濡れだが、熱気のこもった校舎内ではむしろ心地よかった。狼男のかぶりものは、思いのほか暑いが、せっかくのハロウィーンの仮装を解くのはつまらない。  はたして、ニアシュタイナーは、思ったとおり、クラスメートの喧騒から少し離れたところに立っていた。やはり、今年も両親は仕事で来れなかったらしい。ニアシュタイナーのそばには誰もいない。 「おーい、ニアー。お菓子くれー」 「それは大人に言え」  にべもなく断るニアシュタイナーは、ジャンヌと留乃歌が用意したというジャック・オ・ランタンの飾りがついた魔女の帽子をかぶらされている。 「結構似合ってるぜ、それ」 「知るか」  相変わらずの受け答えに、アレクセイはなんだか嬉しくなる。このところ、ニアシュタイナーは調べ物だといっては、高齢者養護施設やらデイケアセンターに出かけていた。ときどき険しい表情を浮かべることもあれば、寝不足なのかあくびを堪えていることもある。 「ニア、暑くね? 外行こうぜ」 「ああ。ここはうるさい」  クラスメートたちの馬鹿騒ぎには付き合っていられない──とばかりに、ニアシュタイナーはすたすたと歩き出す。その後をアレクセイがあわてて追うのも、いつもどおりだ。  外はすっかり夕暮れの色に染まっていた。思いのほか気温は低く、長くいたらかえって体を冷やしてしまうかもしれない。 「あ、ほら、一番星だ! 三回願い事いうと叶うぜ」 「それは流れ星だ」 「そうだっけ? ま、どっちでもいいや」 「よくないだろ」 「あー一番星さま、一番星さま。ニアの願いを叶えてやってください。ニアの願いを叶えてやってください。ニアの願いを叶えてやってください」  きっちり三回唱えて、アレクセイは隣に立つ少女の顔を見やる。こちらを見ていたようだが、目が合うと、すぐに体の向きごと変えられた。 「ば、馬鹿か。そんな願い事する奴がいるか。もっとまともなことを言ったらどうだ」 「いるぜ、ここに」 「……君は本当に馬鹿だな」  背中を向けたまま、ニアシュタイナーはぽつりと言った。 「んー、だってさ、俺、ニアのやりたいこととか助けてやりたいけど、まだ子どもだからさ。今んとこ、お星さまにお願いするしかねーんだ」 「な、」  ニアシュタイナーはこちらを振り向きかけて、またすぐに背を向けてしまった。アレクセイは、その背中に向かって話しかける。 「俺さ、早く大人になるようにするから。ニアのやりたいこととか、叶えたい夢とか、助けられるような大人になるからさ。待たせて悪いんだけど、もうちょっと待ってて」  アレクセイは言いながら、だんだん自分の頬が暑さではなく、別の理由で火照ってくるのを感じた──あれ、なんか変だな? もしかして風邪かも? 「ニアのことさ、ちゃんと見てるからな。ニアが嫌じゃなければ、ずっと。嫌っていっても、たぶん見てるけど。だからさ、その、あんまり頑張りすぎるなよ」  深呼吸を一回して、付け足す。 「俺が大人になったら、俺がニアのこと助けるから、約束するから。だから、そんなに無理しなくていいよ」  自分でも何言ってるのかわかんなくなってきたな、と思いながら、アレクセイは言い切った。  しばらくの沈黙。どこか遠くでガラスが割れる音がした。誰かがコップでも落としたのだろう。耳が圧迫されているような、妙な息苦しさが、異様に速い自分の鼓動のせいだと気づくのに、そう時間はかからなかった。  やがて、ニアシュタイナーは唐突に振り向くと、アレクセイに指をつきつけて言った。 「だ、誰が待てるか馬鹿! 今すぐ私のために、私の大人になれ!」 ●恋動説  楪雫は、当然のことながら緊張していた。なんとか別のことを考えて紛らわせようとするが、気がつけば結局「これから」のことを考えている。  新入生歓迎会は、たしかに雫にとって変換点だったに違いない。あのとき、勇気を振り絞って歌わなければ、今のこの状況もなかっただろうから。 「はぁ……」  雫は、ため息をつく。その数は、この一時間だけでも、およそ三桁には達しているだろう。だが、引き受けたからにはやらなければならない。ハロウィーン・パーティでのソロコンサート──男子たちの悪戯騒ぎの後では、気が重いとしか言いようがないが、これで一歩、また自分は前に進めるのだから。あと何歩、前に進んだら、あの人に告げられるだろう?  雫の声が響きわたる。最初はやはり緊張していたのだろう、やや音程も震えていたが、すぐにいつもの透き通るような、それでいてしっかりと芯のある歌声を取り戻していた。  ミシェーラ・ベネットは、雫の歌を聴きながら思う。  ──聴いていると、なんだか背中を押してもらってるみたい。  それは、雫自身は意識していないことだったが、雫の歌を聴く者は、みな口々にそう言うのだ。まるで勇気をもらっているようだ、と。  ──きっと、雫ちゃんが自分の勇気をみんなに分けてくれているのね。  いつもおとなしくて、控えめで、自己主張をあまりしない少女だけあって、男子にからかわれて何も言い返せずにただうつむいてしまっている風景は、ミシェーラもたびたび見かけた──そのたびに、委員長こと留乃歌の鉄拳制裁があるのだが。  だが、最近はそれもすっかりなくなった。やはり、新入生歓迎会でのソロが効いているのだろう。「おとなしい女子」という評価こそ変わってはいないが、大勢の前でたったひとりで歌いきる姿に、やんちゃな男子たちも一目置いたらしい。  ミシェーラは、この日のために持ってきた包みを、そっと鞄から取り出した。中身は、前日に焼いたクッキーだ。ハロウィーン・パーティに合わせて、ジャック・オ・ランタンの形だ。味も見た目も、横からつまみ食いした母が、太鼓判を押してくれた。これならきっと、彼も気に入ってくれるだろう。  ミシェーラは意を決して、立ち上がった。雫の歌が、ミシェーラに勇気をくれる。懸命に、何気ない素振りを心がけながら、彼女は目的の人物の横まで、静かに歩いていった。 「おや、どうしたんだい?」  ミシェーラが声をかけるより先に、彼──ローマン・ジェフリーズは言った。出鼻をくじかれたような形になって、何度も考えて、何度もシミュレーションまでして、このときのために用意してきた台詞はきれいさっぱり消えていった。 「あ、あの、そういえばですね、えっと焼きました! わたし、クッキー!」  心臓の鼓動に押し出されるように、口から飛び出た言葉は、やや支離滅裂だった。 「その、わたしたちはお菓子がもらえるけど、子どもだから……でも、先生は大人でしょう? 誰からもお菓子もらえないって寂しいかなって、その、だから」  そのまま、ローマンの顔を見ずに、ぐいと包みを押しつける。 「あはは、そうだね」  ローマンの笑顔を見て、ミシェーラの緊張が不意に溶けた。 「大人なのにお菓子をもらってるから、早く食べないとお化けに盗られちゃいますよ?」 「おっと、それは危ない。じゃあ早速いただくことにしよう。お化けに盗られる前にね」  そう言って、おどけてウィンクしながら、ローマンは包みを開く。なぜか、ミシェーラはそのときのローマンの顔を直視できなかった。 「へえ、お化けカボチャの形なんだね」 「ジャック・オ・ランタンっていうんです」 「そんな名前だったんだ。……ん、さすが美味しいね。やっぱりミシェーラはいいお嫁さんになれるよ」 「は、はいっ私なりますっ! あっ、いえ、いえ、違いますとんでもないです!」  思わず大声で返してしまい、周囲の視線がミシェーラに突き刺さる──が、他愛ない教師と教え子の会話だと思ったのだろう、すぐに雫の歌へと戻っていった。雫の歌はそろそろ最後の曲だ。なんでも、入院中の穂刈幸子郎が作曲したものに、雫が歌詞をつけたのだという。誰もが、歌に耳を傾けている。ミシェーラは深く息を吸って、吐き──そして言った。 「……あの、先生」  拍手。  それに気づくのに、雫は数瞬かかった。見れば、雫の歌を聴いていた全ての人が、拍手をしている。中にはアンコールと騒ぐ男子たちもいるほどだ。ふざけているのだろうか、と雫は思ったが、そのアンコールの声があっと言う間に周囲に広がっていくのを見て、かえって呆気にとられてしまった。 「もう一曲!」  拳を振りあげて騒ぐルーチェ・ナーゾの顔には、悪意もいたずら心も見あたらない。 「みんなさぁ、雫の歌、もう一回聴きたいんだよー」  その声に、雫の瞳から、ひとつぶ涙がこぼれ落ちた。  「あっ」 「あっ」 「えっ」 「……あーあールーチェが泣かしたー」 「えっ、ば、ちが、ち、違うよな、雫!?」  雫は何も言えず、ただふるふると首を横に振るだけだった。 「なぐさめなきゃダメじゃん、ルーチェ」 「えっ、ちょ、おま」  ルーチェは慌てて雫の顔をのぞき込む。だが、雫はうつむいたまま、その場を走り去った──なぜそんなことをしたのか、後になっても雫本人にもわからなかった。 「……あ、の、その」 「ん?」 「わ、たし、その、お料理とか、ちょっとできるんです。その、ちょっと。あ、でも、ほかのことはできないってわけじゃなくて、その、お洗濯とか掃除とか、いろんな家事もやったりします。あの、しますっていうか、できます。だ、だから、その……」  ミシェーラは思い切って、ローマンに向き直る。  「……ローマン先生」 「ローマン先生……」 「ん?」 「え?」  自分とは違う声が、ローマンを呼ぶ──振り向くと、なぜか涙を浮かべた雫が立っていた。  シュリー・ジルカは、今日も物語を書くつもりだ。親子懇談会での白鐘鈴香と水無月千鳥の飛び降り騒動や、ハロウィーン・パーティでの男子たちの悪戯騒ぎなど、書きたいことは山ほどある。だが、母親のシャリー・ジルカがいるそばでは、タブレットを出すのはなんだか気後れした。まだ、自分が物語を書いていることを言っていないのだ。もちろん隠すようなことではないし、知られたからといって何が変わるとも思えないが、なぜだか言い出せない。  親子懇談会とハロウィーン・パーティの帰り道、シュリーはいつものように図書室に寄ることにした。返却期限の迫っている本もあったし、何より母のシャリーに会わせてみたい人がいるのだ。 「あら、ごきげんよう、シュリーさん」  司書教諭のヴィヴィアン・フェイはハロウィーン・パーティの騒動とは無縁かのように、涼し気な顔で挨拶した。シャリーに気づくと、にこやかに会釈した。 「いつも、娘がお世話になっているようで」 「いいえ、こちらこそ。本をよく読んで、感想も聞かせてくれて、とってもいい子ですわ」  母とヴィヴィアンの会話を聞いていると、自分が褒められているのが急に恥ずかしくなる。 「そうそう、この子ったら、最近何か自分でも書いてるみたいですの」 「あら! それは素敵なことですわ!」 「ええっ!?」  思わず上ずった妙な声を上げてしまう。母には話したことはないはずだし、娘のタブレットやモバイルを勝手にチェックするような無粋なことはしないはずなのだが──おずおずと母を見上げると、いつもの優しそうな笑顔を浮かべている。 「あら、だっていつもタブレットに向かって夢中になってるんだもの。それくらいはわかりますよ?」  自宅のリビングなどで書いているのを見られていたのだろうか。なんだか、いつ言い出すべきか、切り出せなかった自分が馬鹿らしいやら、知っているなら言えばいいのにと腹立たしいやらで、シュリーは二の句が告げなかった。 「そ、その……反対とか、しないの?」  恐る恐る、抱えていた不安を口にすると、母はきょとんとした顔でシュリーをまじまじと見つめた。 「あら、どうして? シュリーは本がとっても好きだから、いつか自分でも書いてみようと思うんじゃないかって、そう思ってたのだけど」 「あらあらうふふ」  ヴィヴィアンが母娘の会話を聞きながら、悪戯っぽく笑ってみせる。 「え、あの、だって、まだ、その、人に見せられるものじゃないから、……書いてるなんて、人に言えないし」 「あらあら、いいのよ、シュリーさん。女の子はね、秘密がある方が、ずっと魅力的ですからね」 「そうよ、シュリー。ヴィヴィアン先生のおっしゃるとおりよ」  なぜだか意気投合しているらしい、母とヴィヴィアンを交互に見ながら、なんとなくシュリーはほっと息を吐いた。  ──でも、これでヴィヴィアン先生だけじゃなくて、お母さんも応援してくれる……かな?  帰宅後に、母からそれとなく「ねえ、読ませて」攻撃を、何度も何度も手を変え品を変え食らう羽目になるのだが、このときのシュリーはまだそれを知らない。 ●ライサ・チュルコヴァの無口な席  もともと、この教室には人が欠けていたのだ。衛宮さつき、穂刈幸子郎、そしてキルシ・サロコスキ。  三人も欠けていた。そして、また一人。  エルメル・イコネンは、そっと窓際の席を見やった。秋の日差しは柔らかく、あと二時間もすれば夕暮れの色合いへと移るだろう。午後の陽光が眠りへ誘うその席に、座っていた彼女はいない。  もう一週間。  彼女──ライサ・チュルコヴァの姿が教室から消えて、もう七回も陽は昇り、そして落ちた。  最初は話題にもなったが、やがてそれも消えていった。触れてはいけないと感じ取ったのか、あるいは早くも「日常」として受け入れたのか──エルメルは、そのどちらでもなくて。  エルメルは、彼の言葉を信じるよりほかにない。  エルメルは、じっと自分の両手を見つめる。  その手からこぼれ落ちていくものと、つかんで守れるもの──その違いを、エルメルはまだ考えないようにしている。  希望なら、いつだって、この手とともにあるはずだから。 ●通達(生存者の薔薇園)  最初は、小さな小さな──空をどんなに注意深く見ていても見落としそうな──点に過ぎなかった。  いつもと変わりない、午後の日差しの中で、誰もがいつもと変わりない夕暮れを迎えるものだと思っていた。  猫たちが、じっと空を見上げている。その髭はピンと前を向いていた。  空を普段から見上げる習慣があったなら、それに気づくこともできたかもしれない。だが、それは最初はあまりにささやかすぎた。  ふと落ちた影に、太陽──と便宜的に呼ばれているもの──が雲に隠れたのだと思ったときには、それは地表近くまで降り立っていたのだ。何気なく空を見上げ、そして息をのむ。  大きな。  あまりに大きな、影。  それが何であるかを認識するのに、時間がかかったのも無理はなかった。かつて、この星に強制的に降りざるを得なかったあの船のことを、リアルタイムで覚えているものはもういなかったのだから。 「あれ、なぁに?」  ティベリス通りで、その影を指さす子どもの無邪気な声が、やけに透き通って響いた。  地上の人々の視線を一身に浴びながら、その影はやがて言った──最初は音声で。次に紙という貴重なメディアを、惜しげもなく地表にばらまいた。そこに書かれていた文字は、日頃使っているものとよく似通っていたので、解読するのは容易だった。  ──そして、その内容は、瞬く間にネットワークの海にも広がっていった。 「我々は太陽系の第三惑星、あなたたちの故郷である地球からやってきた。我々は、あなたたちに危害を加えることはない。我々は、あなたたちと再び出会えた奇跡を、この宇宙のすべてに感謝する。我々は、同じ地球から生まれた者として、あなたたちの生存を心から喜び、そしてこれまであなたたちが味わったであろう様々な辛苦を分かちあいたい。それがたとえ罪滅ぼしにさえならないとしても」  そして、大きな影──それが地球生まれの恒星間用駆逐艦だと知る者は、この星にはいなかった──は言った。 「ビス・エバンス、クリス・グランヤード、葉柴芽路──どうか、我々と会ってほしい。この星で生きることを決意した勇敢なあなたたちと、地球に生きる我々とを、どうかつないでほしい。ヘルヴァの名をもらった彼女も、あなたたちに会えるのを心から待っている」 「お父さん、ヘルヴァだよ! ヘルヴァが会いに来てくれたんだ!」  エルシリアはそう叫んだ。  お互いに忘れないために、手を伸ばし合って、それはきっといつか届くと願った。その日は、思っていたより早かったらしい──エルシリアの足もとに、はらりと紙が一枚落ちた。 -------------------------------------------------- ■ マスターより -------------------------------------------------- ・次回で最終回です。リアクション発行が遅れ、大変申し訳ございません死ぬ。 ・今回のリアは、もうお前ら結婚しちゃえよ! の提供でお送りしました。 ・十歳だけど愛さえあれば修羅場でもいいよねっ! とかほんの少ししか思ってません本当です。 ・ところで話は変わりますが、なんか来ちゃいました。関わるも関わらないも、みなさんの自由です。 -------------------------------------------------- ■ 登場PC・NPC一覧 -------------------------------------------------- 【PC】 ・陳宝花 ・瀬木戸鈴夏 ・シュリー・ジルカ ・ジャンヌ・ツェペリ ・御手留乃歌 ・ジャンゴ・リーボリック ・百日紅メリサ ・エルシリア・ソラ ・白鐘鈴香 ・水無月千鳥 ・クラウディオ・トーレス ・アレクセイ・アレンスキー ・ニアシュタイナー・シュトライヒリング ・楪雫 ・ミシェーラ・ベネット 【チラリズム系PC】 ・穂刈幸子郎 ・ビス・エバンス ・クリス・グランヤード ・葉柴芽路 【NPC】 ・片岡春希 ・ライサ・チュルコヴァ ・ドクター・ベネット ・ケント・マクナマラ ・ローマン・ジェフリーズ ・ヴィヴィアン・フェイ ・父兄の皆さま 【チラリズム系NPC】 ・キルシ・サロコスキ ・M/ヘルヴァ