-------------------------------------------------- PBeM『VOiCE』第5回リアクション 05-F 踊る猫たち --------------------------------------------------  夜は猫たちの時間だ。公園で、道の脇で、誰かの家の庭先で、ひっそりと猫たちの集会が開かれる。なにをささやくでもなく、ただ静かに猫たちはそこにいる。夜風は冷たく、これから訪れるだろう季節を予感させた。  一匹の猫が、ふと顔を上げる。その視線の先で、流れ星が一筋、空を真横に横切っていった。  夜は猫の時間だ。つまり、ぼく──白戸さぎりのための時間だ。なぜなら、ぼくは猫だから。  そう、ぼくは猫だ。たぶん、生まれた時から。クラスメートも先生も怪訝そうな顔をするが、およそ真実というものはなかなか人の身では理解できないのだ。仕方ないだろう、猫の真実に人間は近づけないのだから。  しんと静まり返った住宅街を、そっと歩く。月の光と街灯の光で、ぼくの影は何重にも重なりあう。水素発電所のおかげで、夜はすっかり明るくなった。無粋といえば無粋だけど、まあ便利といえば便利。光が強ければ強いほど、ひっそりと、それでいて色濃く影は生まれるのだから。猫はその光と影のあいだを行ったり来たり、気ままに歩くだけだ。  やがて、道に影が増えた。魅惑的な丸みを帯びた、柔らかなライン──猫だ。ぼくの友達。ぼくの同胞。  ぼくが声をかけるより先に、彼がぼくに話しかけてきた。 「よぅ来たな、若いの」  猫の集会──世間一般ではそう呼ばれている。チェアマンもいない、議題があるわけでもない、ただ緩慢に流れていく夜の空気を、ぼくはゆっくりと吸って、そして吐いた。  会話は、ない。ただ静かに、時間だけが過ぎていく。  どれくらい時間が経ったのだろうか──それさえ、ぼくらにとっては何の意味もないが──、彼が不意に言った。 「おまえさんも、苦労しているようだな」  その言葉が、どれほど暖かく、ぼくの救いになったか──人間には分かるまい。やれ幽霊を捕まえてこいだの、魂を捕まえてこいだの……無茶ぶりにも程がある。いったい猫をなんだと思っているのだと正座させて説教してやりたいほどだ。 「わしもおまえさんくらいの頃にはな、さんざん追いかけ回されたもんさ。つかまったら最後、厭といっても聞いちゃもらえねぇ」  そう、そうなのだ。  人間。  彼らは、ぼくたちを見かけると、追いかけ回し、ひっつかみ、なで回す。それがどれほどぼくらにとって不快か、考えたこともないだろう。他人の臭いが体にこびりつく、あの感覚を、人間に理解しろというほうが酷だろうか。 「だが、いずれ──いずれ、同胞は立ち上がる。そのときはおまえさんの──さぎり、そう、おまえさんの力が必要だ」  彼は、確かにそう言った。  日々は飛ぶように過ぎていく。相変わらず、人間たちの無茶ぶりは激しい。ねずみ花火であやうくやけどをするところだった。そんな日々の中で、それは唐突にやってきた。けれど、それはあくまでも「ぼく」にとって唐突なだけで──おそらく必然であったのだ。 「さぎり」  お母さんとお父さんが、いつになく静かな声でぼくを呼んだ。叱るでもなく、ほめるでもなく、今までになかった声音だ。  ぼくは宿題から顔を上げた。お母さんもお父さんも静かな──としか言いようがない──顔でぼくを見ている。 「大事な話があるんだ、さぎり」  お父さんが言った。 「驚くかもしれないけど、とても大事な話なの」  お母さんが言った。  いつもだったら、もう寝なさいと言われる時間だ。それなのに、お母さんもお父さんも、寝ろとは言わなかった。そっとぼくを手招きすると、そのままゆっくりと玄関のドアを開けた。 「おいで、さぎり」 「知るべき時が来たのよ」  ぼくは、うなずいた。きっとそれが、正しいことだと思ったから。  右にお母さん、左にお父さん──手をつないで、夜道を歩いていく。しんとした住宅街は、ぼくの吐息すら反響するようで、そっと息を潜めた。内緒話のように。  やがて、いつも集会で見かける彼の姿が視界に入る。いつになく──いや、いつも以上に、その瞳と髭は気高く見えた。 「よぅ来たな」  慈しむような声で、彼は言った。ふわりと髭が夜気にたなびく。 「そろそろ、と思いまして」 「ああ、それでいい」  お父さんの言葉に、彼はゆっくり、深くうなずいた。 「お父さん?」  ぼくの声はなんだかかすれていて──それでも、彼は笑ってくれた。 「さぎり、おまえは猫か?」  不意に問いかける言葉は、まじめに答えるのも馬鹿馬鹿しいほどだった。 「当然だ」  ぼくは、猫だ。  それ以下でも、それ以上でもない。  猫。それが、ぼくだ。  彼は再びうなずいた。 「よかろう」  そして言う。  すべてを教えよう、と。  光は浮かび、沈み──そう、人の言葉を借りるならば、朝と夜は繰り返し訪れ、それはそのまま歴史となった。  数え切れないほどの朝と夜が繰り返され、やがて数の概念すら失われるほどの長い永い時が流れた。昨日は今日のようであり、今日は明日のようであり、明日は昨日のようでもあった。ただゆるやかに、規則性を持った移り変わりを重ねる日々──誰もが、永遠にその時が続くと思っていた。  だが、それはあっけなく終わりを迎えた。  ふと見上げた空に、明るく光る──燃える、尋常ではなく大きな塊を見つけた時に。  彼らは、その多くが死んだ。  地面にたたきつけられ、炎で燃え、過ぎゆく時の中で力つき、最初にこの地に降り立った──より正確に言うならたたきつけられた──瞬間から、減りこそすれ、増えることはなかった。  だが、やがて彼らはこの地で生きていく覚悟を決めたようで、えぐられた大地から少しずつ遠くへ歩き出すようになっていた。 「ねえ、おかあさん、ほら、あそこ」  子どもが、母親の服の裾を強く引いた。 「ねこ。ねこちゃんがいるよ」  本物の「猫」を見るのは、子どもはそれが初めてだった。一緒に来たという動物たちは、そのほとんどが死滅した。人間が生き残るのに必死で、食料となる家畜の育成が最優先され、愛玩動物の命は後回しにされていた。生きるのに直接必要ない命は、今は不要だと判断されたのだ。  犬や猫、インコやハムスター──知育教材の中でしか見たことのない、愛らしい動物たち。社会に余裕が生まれれば、あるいはクローン技術でふたたび生を受けるかもしれなかったが、今はまだそのときではなかった。 「ねこ、ねこちゃんだよ」  子どもは興奮に頬を真っ赤に染めて、指さす。確かにその先には、猫と呼ばれる動物とほぼ同じの、ふわりとした毛並みの生き物がいた。 「それは不幸な出会いだったかもしれない。だが、出会った以上、それは必然だったのだろう」  お父さんが言った。 「そう、人間たちと私たちは出会ってしまった。でも、それは避けられないことだったでしょうね」  お母さんも言った。 「人間は、我々を猫と呼んだ。我々は我々自身を呼称する名を持たなかった──だから、今でも猫と名乗っているわけだが──だが、おそらく彼らの言う猫は、我々と似ているのだろう。我々とは違う存在だろうが」  彼が言った。  この地に降り立った人間は、やがて地に増え、満ちていった。  まるで、この地は最初から人間のものであったかのように振る舞い始めるのに、そう時間はかからなかった。  やがて彼らは、「街」と称して、高い壁で自分たちの住む土地を区切っていった。それはあまりに高く、硬く、もともとこの地に住んでいたものは壁の向こうへと逃れようとしたが、抜け出すことはできなかった。空を飛べるわけでもなく、大地に潜れるわけでもなく、ただ壁を見上げて、これからどうしたらよいのかとため息をつくばかりだ。  だが、不幸中の幸いというものはあるもので、どうやら人間たちが「猫」と呼ぶ愛玩動物たちと、彼らの大部分は非常によく似ているらしかった。見るなり問答無用で蹴り飛ばしてくるような輩や、食事に毒を盛る者も少なからず存在していたが、おおむね人間たちは彼らに対して友好的だった。  人間の家に閉じこめられ、妙なチップを埋め込まれて、しかし、それは彼らにとって「生きながらえる」ことを可能にした。  隷属か、死か。  その二択を迫られたとき、彼らの多くは隷属を選んだ。死ぬよりかは──まだ未来がある、と。    彼らは、この地で生きていくために選んだ。人間たちが呼ぶ「猫」という生き物になりすましていこうと。  長い時を経て、彼らの中から擬態能力を持つ者も生まれ始めた。彼らは考えた末、「猫」以外にもうひとつのかたちを持つことを決めた。  すなわち。 「人間」  ぼくがつぶやくと、お父さんもお母さんも深く、一度だけうなずいた。 「さぎり、お父さんたちはこの地で生まれ、育ってきた。今でこそ人間たちがまるでこの地の主人のようだが、それは違う」 「私たちは、この地に人間が降ってくる前から、ずっとここで生きてきたのよ。それを、今日、さぎりに知ってもらいたかったの」  ぼくはあたりを見回した。    猫。  猫。  猫。  闇の中で、たくさんの目が光る。 「ようこそ」 「ようこそ」 「ようこそ、さぎり」  猫。  猫。  猫。  猫──と呼ばれているもの。 -------------------------------------------------- ■ マスターより -------------------------------------------------- ・このリアクションに書かれている情報を知っているのは、白戸さぎりさんだけです。次回、何を行い、何をしないのか、それはあなたの自由です。 -------------------------------------------------- ■ 登場PC・NPC一覧 -------------------------------------------------- 【PC】 ・白戸さぎり 【NPC】 ・白戸さぎりの両親 ・猫と呼ばれているものたち