-------------------------------------------------- PBeM『VOiCE』第6回リアクション 06-A I'll See You In My Universe -------------------------------------------------- ●Once you have a hope without a fear.  誰もが空を見上げていた。もちろん、ぼくも例外じゃない。最初は何が起きたかさっぱりわからなかったし。もしも、あの三人──ビス・エバンス、葉柴芽路、クリス・グランヤードが、地球からの来訪とは何の関係もなかったら、ぼくはあの日のことをここまで鮮明に覚えているかどうか、ちょっと怪しい。もちろん、世紀の邂逅だったわけだから、忘れることはないと思うんだけど。当事者性ってやつかな?  でも、地球の人は三人が子どもだってことに気づいてなかったみたいで、来たのはいいものの、それで話がちょっとこじれちゃったらしい。うーん、まあ、仕方ないと言えば仕方ないのかな。  *   *   *  地球からやってきた人々──その中には、探検部がMあるいはヘルヴァと呼んでいた者も含まれていた。彼らは当然のなりゆきとして、M/ヘルヴァがこれまでコンタクトをとっていた人物を、会談兼交渉の相手に指名した。すでに何度もコミュニケーションをとっており、友好的な関係が築かれていると判断したからだ。M/ヘルヴァがそのことを知ったとき、内心小躍りするほど喜んだほどだ──ようやく、彼らに会えると。文字ではなく、直接会って、声を交わし、話すことができる、と。  ところが、唯一にして最大の誤算があった。  ビス・エバンス。  葉柴芽路。  クリス・グランヤード。  彼らが指名した人物は、全員十歳の子どもだったのだ。  さらにトラブルは続く。  子どもたちは地球──M/ヘルヴァとの交流を、大人たちには秘密にしていたのだ。唯一知っていた大人であり、彼らの担任教師であるローマン・ジェフリーズも、彼らが何をしているのか知ったのは、地球がふたつの丘に呼びかける直前のことだった。 「あちゃあ、マジかよ」  端的に言えば、ヴィジリオ・ナーゾが思わずもらしたぼやきが、すべてを体現していた。  ふたつの丘の議会は、すぐに地球が指名してきた人物を特定するとともに、本当に地球からやってきたのか、その確認作業に追われた。後者はわりあいあっさりと済んだのだが、問題は前者だ。何度やっても、市民登録データベースからはじき出される結果は同じ──全員、十歳の子ども。 「つーか、全員俺んちの子のクラスメートとかマジどんだけだよ」  ヴィジリオは確認作業の結果を眺めて、再度ぼやいた。 「これはどういうことですかね、ナーゾ議員?」 「息子さんから何も聞いていないとは思えないんですがねぇ……」 「まさか、このことを隠して……?」 「地球との交渉権を手に入れようと? この手のことはお手のものですからなぁ」 「ちょっと待ってください。そんなことあるわけないでしょう」  疑惑の目で見てくる他の議員たちに、ヴィジリオは内心呆れながら、弁明する。実際のところ、何も知らないのだから、ヴィジリオとしては知らぬ存ぜぬで押し通すより他にない。息子のルーチェにそれとなく聞いてみたが、返ってきた答えは「そんなん知るかよ」だった。  地球側がなぜ子どもを指名してきたのかは、当初はわからなかったが、じきにそれも当人たちへの聞き取り調査で判明した。  なかば強引に連れてこられた三人は、難しい顔をした大人たちに囲まれながらも、すでに何度も地球とコンタクトをとっていたとはっきり言った──相手が地球という自分たちの故郷だとは知らなかったようではあるが。 「どうなっちゃうのかな」  クリス・グランヤードはぽつりとつぶやいた。  地球が指名してきた三人のうちのひとり、と確定されるや否や、ほぼ連行に近い形で連れてこられた議事堂の中では、クリスのような子どもはまるで異分子のように見える。クリスたちがいる部屋の窓は分厚いカーテンで遮られ、時計がなければ今が昼なのか夜なのかもわからなくなりそうだ。 「どうなるって?」  ビス・エバンスが心底不思議そうに尋ねた。 「これからのこと全部だよ……」  クリスがため息をつきながら言うと、ビスは朗らかに答えた。 「別に、どうってことないだろ? ヘルヴァが、俺たちにわざわざ会いに来てくれたんだぜ! こんなとこいる暇があったら、パーティの準備しなきゃなんねーってのに」  ビスはいつここを出られるのか、と不機嫌そうに口をとがらす。クリスは二度目のため息をついた──今度は笑いながら。 「それもそうだね……会いにきてくれたんだから、ボクらに」 ●Nothing exsists to keep you away from it.  正しいことってなんだろう。  そのときは正しくても、あとから間違っていたということはよくある。その反対ももちろんあって、間違っていたと思っていたのに、実は正しかった、なんてことも、これもまたよくある話だ。  結局、何が正しくて、何が間違いかなんて、ぼくらにはこれっぽっちもわからないのかもしれない。バタフライ効果じゃないけれど、どこで何が結果に影響してくるか、そこまで考えていたら、もう何もできなくなっちゃうし。  つまり、よく考えて、正しいと思ったことをするより他にないんだろう。その結果は、選んだ自分がとらなければならないけれど。  *   *   *    よく眠れない。何度も寝返りを打った。そのたびに、添い寝している飼い猫の不満気な声が聞こえる。背中を撫でてやると、小さな舌で指を舐め返して、しばらくすると猫はまた眠ってしまった。  真っ暗な部屋の中で、このまま朝を迎えるのだろうか。夜明けが近づくころになって、ジズ・フィロソフィアはようやく少しだけまどろんだ。だが、中途半端な睡眠は、かえって疲れを意識させるだけで、一向に身も心も休まらない。 「ジズ、どうしたの?」  朝食のとき、母──はいつもそう尋ねる。だが、ジズはうまく答えられない。いつの頃からか、食事時についていたテレビは必ず消されるようになった。代わりに、静かな音楽が流れている。父が好きなクラシックだ。 「……なんでもない」  それだけ言って、ジズはトーストをかじった。母がジャムをたっぷり塗ってくれたのに、ろくに味がしない。 「学校、今日も休校ですって」  母が紅茶を淹れながら言う。ジズは、そう、とだけ言って自室に戻る。ここ数日は、ほとんど同じ会話を繰り返しているようだ。学校が始まれば、まだ少しは気が晴れるだろうか。ジズは、ベッドの真ん中で毛づくろいをしている猫の横にそっと座る。猫は気にした様子もなく、しばらく背中を舐めていたが、やがてジズの手の甲をざりざりと舐め始めた。ちらりとジズを見あげ、みぃ、と小さく鳴いた。 「ありがとう」  ジズはそれだけ言った。    学校が休校して、一週間が過ぎた。来週には、午前中だけでも授業が再開されるという連絡が来ると、戻りかけていたジズの食欲はまた落ちた。  夕食後、父が書斎へジズを招いた。母も一緒だ。 「おまえは、父さんに似て食が細いな」  父さんも小さい頃は、お前みたいだったんだよ──そう言って、父はジズを自分の正面に座らせた。 「ジズは賢い子だから、父さんがどうしておまえを呼んだか、見当はつくだろう?」 「……うん」  このところずっと元気のないジズを、父は何も言わずに見守っていた。ジズは、つっかえつっかえしながら、話し始める。「古代遺跡」のこと、そこで起きたこと、そして──大人に相談したことを。 「……ボクは、間違ってたのかな」  ジズはうつむいたまま、つぶやいた。 「先生に相談したのは、悪いことだったのかな……秘密を秘密のままにしなかったのは、間違ってたのかな」 「……正しいと思ったことをやりなさい。いつもそう言ってきた。だからジズは、ジズが正しいと思ったことをやった。それは、誰かが責めたりできるものではない。少なくとも父さんも母さんも、おまえがやったことは正しいと思うし、誇りだと思う」 「……本当に?」  ジズの小さな声に、父は深くうなずいた。 「ああ、どんなにがんばっても、自分の手ではどうにもできないことはある。そんな時に、意地を張らずに、最善と思える手段を考えること……それが正しくないのなら、いったい何が正しいんだと思う?」 「……わかんない」 「おまえは、友だちを危険な目には遭わせたくないと思った。事態は自分たちの手には負えないと、正しく判断した。だから行動した。違うかい?」 「……違わない」 「そう、だからおまえは正しいよ。きちんと考えて、やるべきことをできた。父さんと母さんの自慢の子だよ」  父はそう力強く言い、母は黙ってジズを抱きしめた。そのぬくもりは、ジズの涙を静かに受け止めてくれる。  何が正しくて、何が間違っているのか。すべては結果でしかない。あらゆる行為は、それを行うときはほぼ常に正しいのだから。 ●It appears at a field called black death.  地球の人たちは、あの三人のことを大人だと思っていたらしい。それも、政治家みたいに、それなりに偉くて代表者みたいなポジションの。そんな感じで互いに思い違いがあったものだから、あの話はややこしくなってしまったんだと思う。  ぼくが思うに、彼らとM──ヘルヴァは友だちだったんだ。友だちだったら、会って一緒に遊びたくなるのは当然だろう? まあたしかに、それだけの話と言い切るには、ちょっと規模が大きすぎたわけだけど。  *   *   *  地球からの来訪者がもたらしたのは、驚きだけではなかった。 「紙かぁ」  クロワ・バティーニュは、拾った紙をまじまじと見つめた。日に透かせるほど薄い。今日は、学校には行かないと勝手に決めた。親も、諦め顔だ。そもそも学校はこのところ休校続きだし、休校でなくても自習ばかりだから、行っても行かなくても同じようなものだからだ。  クロワは買ったばかりのペンを手にとった。間違えたら最初から書き直しになるため、慎重にしなければならない。取り消しも保存もできず、コピーもできない。なんとも面倒なメディアだが、これなら地球の人にも確実に届くはずだ──クロワはそう信じていた。  書き出しをどうしようかしばらく悩み、まずタブレットで下書きを作ることにした。とんでもなく二度手間だったが、仕方ない。メールを送ろうにも、地球の人のアドレスは知らない。地球から指名された友人たちなら知っているかもしれないが、あいにく連絡がとれない状況が続いている。  何度か書き直し、ようやく自分なりに納得のいく文章ができたクロワは、早速、紙に向かった。念のため多く拾っておいてよかった。  ──地球の人たちへ。  お願いがあります。  わたしの大切な家族と、友だちを助けてください。  ややこしい名前の病気で、長生きできないわけじゃないけど、たぶんできません。  地球の人たちだったら、きっと治せると思います。  きっとこんなふうにお願いするのは本当はダメで、てつづきとかなんかそういうのをやらないといけないんだろうとは思うんだけど、でもやっぱりお願いします。  お返しは、今はまだ何もできないけど、大人になったらちゃんとします。  うんと勉強して、将来は絶対すっごく頭のいい立派な天文学者になるので、それでお返しにします。  よろしくお願いします。  クロワ・バティーニュより。  あとは、この手紙をあの三人に託すだけだ。 「うーん……でも、そこが問題なんだよねぇ……」  葉柴芽路の自宅に行ったときは、わさわさと玄関前に陣取るマスコミ陣をかき分け、イラッ☆としたので気づかれないよう機材を蹴っ飛ばしたら倒れた。悲鳴が上がっていたような気がするが、クロワのいらだちに比べれば些細なことだ。どうにか裏口に回ってみたが、家の中に人の気配はなかった。近所の人にも尋ねてみたが、最近は姿を見ていないという。残るはクリス・グランヤードとビス・エバンスだ。あの二人になんとかして会う手はずを整えなければならない。  衛宮さつきからのメールは、ビス・エバンスにたしかに届いていた。ただ、返信する余裕がない。外部と連絡をとってはいけないとまでは言われていないが、ぴりぴりとした雰囲気のなかで、子どもたちは大人の顔色をうかがうようになっていた。不用意に地雷を踏んで、ろくでもない叱られ方をするのはまっぴらだった。ただでさえ、これまで面倒事が立て続けに起きているのだから。  マスコミ対策として、地球から指名されたビスたちと、その家族は一時措置として市役所地下の宿泊施設に移動していた。セキュリティは高くとも、議事堂ではさすがに長期間滞在は難しいと判断されたためだ。  さすがにホテル並みとはいえないが、施設はそこそこ快適だった。だが、アメニティは完全に大人向けで、子どものものはほとんどない。災害時の防災用品を使うわけにもいかず、職員が日常の買い物のふりをして買い足している。平日の市役所内を子どもが歩きまわるのも不自然なので、部屋から出ない日が続いた。  夜の静けさは、自宅でも宿泊施設でも同じだった。むしろ、こちらの方がビスにとっては非日常だけあって、なかなか寝付けない日も多い。だが、数日過ごすにつれて、慣れてきたのか、最近では家で過ごしているのと同じようにくつろぐこともできる。そんな風に感じているのは子どもたちだけのようで、両親や他の子どもの家族は、みな疲れたような表情を浮かべている。  ビスはベッドに寝転んで、タブレットを見る。メッセージラインはいつものように、他愛ないおしゃべりでいっぱいだ。中にはニュースも混じっているが、それはなんだかひどく遠い場所で起きている出来事のように思えた。 「友だちなんだから、会いに来るのは当然だろ」  ビスのぼやきは、夜の空気に溶けていった。 「まさか、子どもだったとはな……」  上司のため息を聞く度に、ミルドレッド・マージェリー・マクフェイルは胃の辺りがきりきりと痛む。ここ最近ずっとそうだ。 「申し訳ありません……」  ミルドレッドがそう言って頭を下げるのは、もう何度目かわからない。 「見抜けなかったのかね、というつもりはない。だが、文章構造解析にかけるのが早ければ……いや、まあ、いまさら何を言っても手遅れだが」  また、ため息。上司に悪気はないのだ。ただ目の前に降ってきた災難──とでも呼ぶべき現状──への対応に疲れているだけだろう。ミルドレッドもそれはわかっている。だからといって、上司の言葉に痛みを覚えないわけではない。  ミルドレッド自身、最初、そのメッセージは手の込んだ悪戯だと思ったのだ。  かつて、地球からの移民計画の初期段階では、大小さまざまな悲劇が起きた。その中でも、犠牲者の数では上位に入るのが、通称「ケプラー22の悲劇」だ。恒星付近を航行中に、突発的な地場嵐に巻き込まれた移民船のひとつが、近くの惑星──ケプラー22に墜落した。地場嵐の影響で連絡も取れず、また状況から冷凍睡眠中だった移民たちの生命維持装置は破壊されたと見られ、彼らの生命は絶望視された。  ケプラー22は計画初期段階では移住先の候補に上がっていたが、調査によってより適した惑星が見つかったため、テラフォーミングも途中段階で停止していた。おそらく、生存者がいたとしても、そう長くは生きられなかっただろう。ましてや、当初の目的どおり、そこに移住できたとは考えにくい。それが、ミルドレッドをはじめとする、現代の地球人の歴史的認識だ。教科書に必ず載っているが、覚えていなくても暮らしていくのには何の問題もない。先祖に犠牲者がいない限りは、思い出すこともまれだ。  だが、それはあっさり覆された。「ケプラー22の悲劇」近くの座標から送られてくるメッセージは、短く、また要領を得ない文面が多かったが、たしかにそこに人類が生存していることを伝えてきたのだ。最初はたしかに救難信号だったが、その後のやり取りは、そこに生きて暮らす人々の息吹があった。  当初は悪戯だろうと思って対応していたミルドレッドも、相手がミルドレッドを「ヘルヴァ」と名づけて呼び始めた時、確信したのだ。  ──彼らは生きている。悲劇を乗り越え、生き残ったのだ。  上司に慌てて報告すると、当然相手にされなかった。だが、送られてきたメッセージを解析し、それが救難対応AIなどによるものではないと判断された時から、ミルドレッドの生活は一変した。  毎日毎日、朝から晩まで尋問会めいた会議に強制参加させられ、質問という名の詰問が続いた。やがて、政府が「ふたつの丘」と名乗るその地域への調査を決断したときも、有無を言わせずミルドレッドの乗船が決定した。そこにミルドレッドの意志と呼べるようなものはなく、ただ命ぜられるままに、口をはさむ余地さえなかった。  先行した無人調査機が、その星にたしかに人類が生存し、しかも文明的で社会的な生活を営んでいると伝えてきたときの熱狂は、ミルドレッドもよく覚えている。歴史は書き換えられ、忘れかけられていた悲劇は一転して奇跡の物語へと変わった。  だが、熱狂もそこまでだった。  ミルドレッドにメッセージを送ってきた三人──ビス・エバンス、クリス・グランヤード、葉柴芽路が、街の代表者でもなんでもない、たった十歳の子どもだと判明するまでの話だ。  熱狂は冷水をかけられたように収まり、そして再び燃え上がったときには、話はどんどんおかしな方向へこじれるばかりだった。ふたつの丘の代表者である市長や市議会議員たちは、三人の子どもたちのことを知らなかった。ましてや古い通信設備を復活させ、地球とやり取りしているなど、まったくの初耳だったという。 「時折、異常な電力使用量の増加と電波は検知していましたが、調査中だったもので……」  煮え切らない回答だったが、相手が把握しているのもその程度で、裏はないとわかると、地球からやってきた先遣隊は一様に暗い表情を見せた。たしかに、悲劇は奇跡へと生まれ変わった。だが、これは物語ではなく現実なのだ。子ども相手に政治的な話などできるはずもないし、事態を互いに把握するところから始めなければならない。そのこと自体に問題はないのだが、それでも徒労感はある。徒労感から生まれるいらだちが、ミルドレッドに矛先を向けるのに、そう時間はかからなかった──なぜ、子どもと見抜けなかったのか、と。 「……仕方ないじゃない」  ひとり取り残されたミルドレッドは、そう小さくつぶやいた。昨日もよく眠れなかった。きっとひどい顔だろう。こんなんじゃ、あの子たちに──ヘルヴァと呼んでくれたあの子たちに、顔向けできない。  地球とふたつの丘との会見は、十二月下旬に決まった。日程が決まっただけで、それ以上のことはミルドレッドにも知らされていない。どこまでいっても蚊帳の外なのだ。もう誰も彼女をヘルヴァとは呼んでくれない。 ●You will face the soul in the underworld.  でも、思い返してみれば、大騒ぎではあったけど、結構みんないつもどおりなところもあったよね。周りに流されないって意味では、それってすごいことだと思う。日常って、そういうものなのかもしれないなぁ。どうあっても変わらないもの、それがなんであれ、ぼくたちは大切にしなきゃいけないし、捨てることもできないんだと思う。  *   *   * 「うわっ、ジェシーちゃん鼻血出てるよ!」 「アラいけない、ついうっかり」 「うっかりで出るものなの?」  自習中の教室が静かなのは、せいぜい最初の十分だけだ。監督する先生もいないのでは、教室は無法地帯に近い。誰かが椅子の足につまづいたらしく、派手に転ぶ音がした。  ジェシー・ジョーンズは、ここ最近、気がつけば「地球」のことを考えている。  未知の大地、星の海を越えていかなければ到達できない、遥か遠くにある星のことを思うと、気持ちが高ぶるのを抑えられない。そうなると、鼻から流血するように人体はプログラムされているのだ。 「それは仕様です」 「あ、知ってるよ、それ。昔のことわざだよね」  ジェシーの体に流れるのは、間違いなく探検家の血なのだ。考古学者である父から、毎日のように読み聞かせられた古代の遺跡や不思議な話は、ジェシーを構成する大事な要素だろう。熱い血潮は、つねに世界の不思議へと、未知の領域へとジェシーを誘う。「古代遺跡」のように歩いて見に行ける不思議から、「地球」のように遠く離れた不思議まで、ジェシーのハートをつかんで離さない。  再生繊維で作られたティッシュペーパー──よく考えたら紙じゃないのになぜペーパーなのだろう、と今さらながらジェシーは不思議に思った──を鼻腔に詰めながら、ジェシーは言う。 「最近、ちょっと興奮気味なの」 「うん、なんか見てればわかる」 「いつか必ず、地球へ行ってみせるワ! それが!」  唐突にジェシーは立ち上がる。 「探検家ジェシー・ジョーンズの!」  なぜか机の上に立つ。 「目指す道! 吾、十にして天に志す! 二十くらいを目処にして立つ!」  バン、と勢い良く机を踏み鳴らし、ジェシーは宣言する。世界に向けて、天に向けて。そしてまだ見ぬ地球に向けて。 「待ってなさいよー! 地球ー!」 「ジェシーちゃん、パンツ見えちゃうよ。ていうか、おしり見えてるよ」  ホットパンツといえども、真下から覗けば、そこにあるのはチラリズムである。  ジェシー・ジョーンズは、今日もジェシー・ジョーンズだった。  メールの着信音で、ジズ・フィロソフィアは自分が眠ってしまっていたことに気づいた。起き上がって眼鏡をかけ直し、画面をタップする。 「……ん?」  件名は、《日程が決まった》というものだ。一瞬、意味がわからず、ジズは差出人の名前を確認する──クリス・グランヤード。  その名前を見た瞬間、心臓のあたりが急に冷えていくような感じがして、ジズは息苦しさに数回深呼吸をした。恐る恐るメールを開けると、そこにはいかにもクリスらしい、要件だけを丁寧にまとめた──素っ気ないといえば素っ気ない──文章が数行あった。  いわく、M/ヘルヴァたち地球の人々との会談日程が決まったという。最初は、そうか、とだけ思って、ジズはあわててもう一度メールの文面を読み返す。 「……会談日時は以上のとおり、場所はふたつの丘議事堂。ジズも来るだろ。待ってるから、来ないと寂しい。とか言うと思ったか! い、言うわけないだろ、ばーかばーか! ……って、なんだコレ」  ジズはもう一度、メールを読む。クリスがなぜか顔を真赤にしながら言っているのが想像できて、思わずジズは吹き出した。すると、またメールが一通──件名は《メール見たとか、返事くらいしろ! べ、別に待ってなんかいないけどな!》。おそらく、件名にすべてを注ぎ込んだパターンのメールだ。 「……クリスらしいや」  笑いながら、気がついたらジズは泣いていた。泣きながら笑って、笑いながら泣いた。猫がなぜか満足そうな顔でジズを見上げたあと、膝の上で丸くなる。その柔らかい毛並みの上に涙が落ちた。 《おー。ようやく通話できるようになったか》 《アレクじゃん、すげー久しぶりだなー》  アレクセイ・アレンスキーが、数十回のトライの末に、ビス・エバンスと連絡がついたのは、夜も更けてからだった。メールを送ったり、ダメ元で電話をかけてみたりするのも、もはや毎日の習慣にすらなりつつあった。 《つーか、今って時間とか大丈夫?》 《んー、まあ平気。やっと電話とかメールとかしやすい雰囲気になってきてさー。すげーメールとかたまってんの、ウケる》  お前からの通知もすげー来てる、とビスは笑った。どうやら元気そうで、アレクセイはほっとした。 《で、どしたん? ていうかさ、学校とか今どうなってんの? 何げに山ほど宿題出されてんだけど、俺ら》 《休校続くし、自習も多いけど、わりと普通に戻ってきたぜ。こんな時でもテストはちゃんとやるとか、ふざけんなって感じ》 《げぇ、マジかよ》  ひとしきり、気楽な会話を続けて、そろそろ頃合いだと、アレクセイは話を切り出した。 《アレだろ、地球の人と会うんだろ?》  何気ない風を装って尋ねる。案の定、ビスはいつもと変わらぬ様子であっさり応えた。 《うん。まあ、なんかまだ話しちゃいけないらしいけど》 《あ、あのさあ、ちょっと頼みたいことあるんだけど》 《なに、サイン?》 《うわ、欲しい。じゃなくて。いや欲しいんだけどさ》 《どっちだよ》 《欲しい。あともう一個っつーか、こっちが本命なんだけど。医療技術とか薬とか……そんな話が聞けたら聞いてほしいんだ》 《イリョーギジュツ? あ、ああ、病気とかそっちのやつか。何かと思った》 《まあ、その、なんていうか》  途端にごにょごにょと口ごもりだすアレクセイの声を聞いて、ビスは察しがついた。 《よし、俺が助けてやろう。すぐにそういう話ができるかは、わかんないけどさ、聞いとくよ。そしたらすぐ連絡するから》 《ありがとう! すげー助かるよ!》  またしばらく他愛のない話を続けて、通話を終える頃にはもう一時間以上過ぎていた。  ビスは、ベッドに寝転がり、天井をじっと見つめる。そして、なぜか菩薩のような笑顔でつぶやいた。 「あいつ、貧乳派かー」 ●When you never fear the death of yourself.  あの頃のぼくたちは子どもで、世界を変えるのは難しかった。やってやれないことはないんだろうけど、変えられる範囲は狭いし、与えられる影響もそんなに大きくない。だから、あの三人や、探検部の子たちが地球の人と会って話をするって聞いたときは、なんだか自分のことみたいに誇らしかった。大人のびっくりしてる顔見てるの、ちょっと楽しかったっていうのもあるけど。  実際には、いろいろ難しい話は大人たちが進めていて、三人や探検部が入り込めるところはあんまりなかったらしいんだけど……でも、それでいいと思うんだ。だって彼らはヘルヴァと友だちだったんだから。友だちと話すのに、難しい話やつまんない話したって、しょうがないよね。    *   *   *    クリス・グランヤードは再三にわたって主張していた──地球と、ヘルヴァと会うのなら、探検部全員で、と。  当初、その主張は子どもの話としてまったく相手にされていなかった。だが、大人たちが地球と交渉を進めていくにあたり、クリスたちをどういう位置づけの存在にするかということも、また問題になりつつあるようだった。  探検部たちとM/ヘルヴァが最初にコンタクトを取ったのは、突発的な事故に近いものだったとしても、その後の交流は探検部たちがいなければなかったからだ。もしも、どこで話がこじれたり、あるいは対立でもしていたら、現状はなかっただろう。この話に力を入れているのは、地球側だった。奇跡の物語の主人公として、子どもたちはいい宣伝材料になると判断したのだろう。最初は子ども相手と渋っていたのが、いつの間にか態度が一変している。当然、ふたつの丘側もそれには気づいていた。今後の進展のために、お互いに落とし所を探りあう──それは子どもたちのあずかり知らぬところで進められていた。  だが、結果として、事態はクリスの思い通りになったともいえる。今回の件で中心的存在になっていたクリスの主張は、「政治の話は大人に」というものでもあったから。  何度目かの会議の末に出た結論は、探検部一同を「友好親善大使」と任命することだった。議員たちはどこかほっとしているようだ。地位の定まらないものを扱うのは苦手なのかもしれないな、とクリスはなんとなく思った。 「呼ばれたから行く。ただ、それだけのことです。政治とか駆け引きとか、そういうことは大人がやればいいんです」  凛とした声で話すクリスだが、言っている内容は子どもの論理そのものだ──難しいことは知らない、と。 「あれか、政治はわからぬ、ってやつか」 「は?」 「古典だ、いずれ読む」  ヴィジリオ・ナーゾが笑るのを、どこか釈然としない気持ちでクリスは見ていたが、早々に部屋へ戻った。大人の相手をするのに、そろそろ疲れてきたし、急遽、会談直前に「壮行会」とやらが決まったからだ。立場が決まった途端に、VIP扱い──クリスはうんざりしていたが、対照的にビスは久々に気晴らしができると楽しそうだ。  会議室に一人になったとき、ヴィジリオはつぶやく。 「笛を吹き、羊と遊んで暮して来た──ってな」  ──余計なことはせず、ガキはガキらしく遊んでりゃいいんだ。  役割分担は決まった。あとは、大人たちが大人の判断で決める。子どもが口を挟む余地はないし、その権利もない。ヴィジリオたちにとって、クリスたちを始め、探検部の面々が「難しいことは知らない」「聞き分けのいい」子どもであったことは、実に都合のいいことだった。  壮行会には、当事者の家族と親しい友人が呼ばれた。クラス全員を呼べると思ったのに、とビスがぼやいたが、大人たちは耳を貸さなかった。会場では、泣いているのは、クリス・グランヤードの兄二人だけだった。弟の勇姿にいたく感動したらしい。その様子を見て、なんとなく周りは「あ、自分は泣いちゃいけないっぽい」となぜか遠慮がちになっている。 「……お前んちの兄ちゃん、良い人なんだけど。その、わりと鬱陶しいな」  ビスが、それでも全力で気遣って言葉を選んでいるのがわかるだけに、クリスはますます真っ赤になってうつむくのだった。 「はい、これ」 「何、手紙っていうやつ?」  クロワ・バティーニュが渡した紙──きれいに折りたたまれたそれを広げようとしたビスは、クロワから顔面チョップを食らった。 「いってぇ!」 「だめ! 乙女の秘密だから!」  クロワは一度渡した手紙を奪い返すと、クリスに渡した。 「開けたらダメだし、絶対、絶対に地球の人に渡してね? 約束だよ〜?」  温和な口調と裏腹に、鋭い刃のようなチョップを見た後では、クリスは黙って何度もうなずくしかない。 「手紙はね、読んでくれる人以外にはね、開けたら爆発するんだよ。あとね、読んだ後は、ショーコを消すために、自動的に爆発するんだって〜」 「マジで!? すげぇ!」 「ボクが知ってる手紙と違う」  子どもたちのじゃれ合いを制するように、ヴィジリオ・ナーゾが割って入る。 「ほれ、もう時間だ。行くぞ」 「……じゃあ、行ってくるね」 「うん、気をつけて」 「死にに行くんじゃあるめーし、なんだ、その辛気臭ぇツラは。おー、目の怪我治ったのか、良かったな」  クリスの顔をちらりと見て、ヴィジリオは言った。  そういうわけじゃないけど、とはクリスは言わなかった。 ●It's the time to come.  あの日は一日中、みんなテレビやネットに張り付いてたんじゃないかな。ぼくらは残念ながら学校があったけど……もう、ほんとに余計なときにはきちんと授業するんだもんなぁ。とはいえ、中継はされなくて、あとから記者会見しかやらなかったんだけど。  でもいいなぁ、探検部の子たち。本物のヘルヴァに、友だちに、ようやく会えたんだもんね。    *   *   * 「人を三人飲み込むと、落ち着くらしいよ」  エルシリア・ソラがいたって真面目な顔で、ジズ・フィロソフィアに話している。 「ず、ずいぶん猟奇的だね……」 「ていうか飲めるのか?」  緊張した面持ちのクリスやジズと違い、ビス・エバンスはいたって普段どおりだ。むしろ、ネクタイをはずしたくて仕方がないといった面持ちだ。 「大事な席なんだから、ちゃんとしたカッコすんだよ」  ヴィジリオ・ナーゾもそう言うが、やはり彼もどこか緊張しているようだ。 「何を話すの?」 「とりあえず、おめーらは前に話したとおり、友好大使ってことだからな、テキトーに話して、イイ感じに仲良くなれ」 「雑だなぁ」 「相手も喧嘩腰じゃねぇんだから、普通にしとけ。あんまり失礼なこと言うんじゃねーぞ」 「おじさんじゃあるまいし」 「なんか言ったか」 「いいえ、何も」  クリスは、手首につけたミサンガをじっと見る。クラスメートの瀬木戸鈴夏が作った、お手製のものだ。なんでもクラスメート全員分作ったという。途中で糸が足りなくなったのか、かなり強引な色変更がされているのは、ご愛嬌といったところか。 「だいじょうぶか?」  目を押さえたクリスに、ビスが声をかける。 「ん、平気」  両目で見るのは、まだ少し苦手だ。左目だけ極端に視力が低いため、あまり細かいものは見ていると、めまいがしてくる。事故のせいで、と言っていたが、怪我はとっくに治っている。それでもなお、クリスが眼帯をしていたのは、目を見られるのが嫌だからだ。事故の後遺症で、左目だけ視力が下がっただけでなく、色まで変わってしまったのだ。それでいじめられたこともある。 「猫でね、ときどきいるんだよ。オッドアイっていってね。両目の色が違うんだ」 「へー。白戸くん以外にも猫がいたんだね、ウチのクラス」  ジズの何気ない言葉に、エルシリアが興味深そうに、クリスの目を覗きこむ。 「いいなぁ、珍しくて」  エルシリアの吐息が顔にかかるほど近くて、クリスは頬が急に熱くなるのを感じた。  会談の場は、議事堂内の貴賓室だ。高い天井と、足が沈み込みそうなほど毛足の深い絨毯は、ただそれだけで子どもたちを威圧する。重い扉が開かれると、ソファに小柄な女性が座っていた。子どもたちの姿を見ると、あわてて立ち上がり、そして同じようにあわてて座った。 「ミルドレッド・マージェリー・マクフェイルさん──いや、君たちはヘルヴァと呼んでいた人だ」  おもむろに口調を変えて、ヴィジリオが女性を紹介した。途端に、この場は「公式」な場であり、日常の延長線上にあるものではないのだと、本能的に子どもたちは悟った。  対して、ミルドレッドと呼ばれた女性はまた立ち上がると、子どもたちの顔をまじまじと見つめた。 「えっと、」  クリスが声をあげたが、言葉が続かない。  目の前の女性は、小柄で、クリスたちよりも十歳以上は年上だろう。長い金髪をきれいに結いあげて、品のいいワンピースを着ていた。着ているものも見た目も、ワタシたちとは変わらないのね、とジェシー・ジョーンズは思った。  言葉が出ないのは、彼女も同様のようで、口を開きかけては、閉じる。もう何度もやり取りはしているはずなのに、実体を伴って出会うとなると、なぜだか気後れする。 「おっす、ヘルヴァ。立ってんのもなんだし、座ろうぜ」  どこか気まずい沈黙をぶち破ったのは、ビスだった。まったく普段と変わらない面持ちで、そそくさとソファに座る。 「うおっ、すっげぇ、これふわふわ!」  無邪気に何度も飛び跳ねる。 「ちょ、ちょっと」  エルシリアがあわてて止めようとするが、それはミルドレッドの笑い声で遮られた。 「あは、あはは、なんだろ、あはは、思いつめてたあたしが馬鹿みたい」  ひとしきり笑うと、ミルドレッドは言った。 「そうだね、座ろうか。このソファね、ふかふかすぎてね、一度座ったら立つの意外と大変よ」  ころころと笑う声は、子どもたちの耳にはどこか心地よく響いた。 「ヘルヴァって、ほんとにいたんだね」  誰かがつぶやいた。  会談という名こそついてはいたが、実際には子どもたちとミルドレッドの顔合わせ程度の代物だった。主要な政治家もおらず、お目付け役的にヴィジリオや地球の役人が数人いたが、特に議題があるわけでもなく、話の輪に入るでもない。それだけ、ヘルヴァことミルドレッドと、子どもたちは、政治的に価値のある存在ではなくなっていたのだ。あとは、「物語」の登場人物として消費されていくだけ──それを知っていても、「大人」たちは誰もそれを口にしない。ミルドレッドも、もう自分は重要な場面で必要とされることはないと自覚している。それだけに、場を盛り上げようと、務めて気さくに、明るく振舞った──これから先のことを考えずに済むように。 「ごめんなさいね、びっくりしちゃって。うん、ほんとに子どもなのね。会うまでどんな人たちなんだろと思ってたんだけど、意外に普通なのね。あ、気を悪くしたらごめんなさいね。あたしったらついうっかり」  一度話し始めると、ミルドレッドはとめどもなく話し続ける。 「ヘ……ミルドレッドさんは」 「ヘルヴァでいいわ、そっちの方が呼びやすいでしょ」 「えっと、じゃあヘルヴァ。……会いに来てくれて、ありがとう」 「どういたしまして。えっと……」 「エルシリア、エルシリア・ソラだよ。……今日はね、クリスくんが一緒に行こうって誘ってくれて、だから来れたの」  緊張しているのか、つっかえつつも、エルシリアは話す。 「みんなね、自慢の友だちなんだ。一生懸命考えて、行動して……だから、これからもわたしたちと仲良くしてください」 「ええ、もちろんよ」  ミルドレッドが笑顔でうなずくと、ようやく子どもたちはほっとした表情になった。 「ごめんなさいね……その、びっくりさせちゃったでしょう?」 「いいのよ、気にシナイデ。今度はこっちから会いに行くワ」  そう言ったのは、ジェシー・ジョーンズだ。 「ワタシも、ヘルヴァみたいなサプライズ訪問の方法、考えておかなくちゃネ!」  その言葉に、思わずミルドレッドはまた笑い出したのだった。  会談は一時間程度で終わった。次の日程をそそくさと決めると、早々と議事堂から追い出されるように出ていく。 「なんかもっと自由に会えないの? 友だちなのにさー」  ビスが言うと、ヴィジリオが苦笑する。 「肩書き考えろ。記者会見で何言われるかわかんねーぞ。楽しかったです、くらいしか言えないっつーのも、アレだぜ。かっこつかねーし」  そうはいっても、とヴィジリオは付け足す。 「いずれ、自由な交流も始まる。ロケット技術と材料さえ調達できりゃあ、地球にだって行けるだろうさ。そん時までな、話したいことはとっとけ。時間はたっぷりある」    *   *   *  騒乱めいた日々が過ぎ、地球の駆逐艦が帰る日がやってきた。とはいえ、一時帰投らしく、やってきた人々の半数はふたつの丘に残るらしい。ヘルヴァことミルドレッドは今回帰るというが、いずれすぐ戻ってくると約束してくれた。  出発は夕暮れどきだ。日は沈み、やがて空は宇宙の色を取り戻す。そんな時間帯に、学校に多くの人が集まっていた。ジェシーが呼びかけた「挨拶」のために、ひとり、またひとり、校庭にやってくる。  見えるかどうかはわからない。でも、見えると信じて、届くと信じて、彼らはやってきたのだ。あちこちで、懐中電灯のスイッチを入れる音が響く。ひとつひとつの明かりは、それほど大きくはない。けれど、たしかに灯っている。  ──マタ アイマショウ  地上からはわからなくても、空高くから見れば、そう見えたことだろう。  あっという間に、船は小さな点になる。星にまぎれ、もう区別がつかない。  見えただろうか。  いや、見えたはずだ。  見えなくても、伝わったはずだ。  それが、「友だち」というものだから。  直接会って、声を交わして、手を握り合って、地球とジェシーはもう友だちなのだから。 「星の海を越えて、またいつでも会いましょう」  風に、ジェシーの羽織った簡易マントが舞う。ついでにスカートの裾も舞う。わりと豪快に舞った。灯された懐中電灯の明かりの中に、それがふわりと浮かび上がる。 「……縞パン……だと……!」  誰かが低い声で言った。いわゆるパンチラである。  夜風は、どこか春の匂いがした。 ●Wake Up Call  ぼくたちは全然ぴんと来なかったけど、ローマン先生は相当ストレスとか責任感とか感じてたんだろう。なにせ、地球からの来訪者に指名された三人の担任だったから。子どもたちが地球とコンタクトを取っていたのを知っていたのか、あるいは知らなかったのか。知らなかったのなら、教師としてどうなんだ、指導力不足じゃないのか──まあ、そんなようなつまらない話。  全然わかってないよね。  だって地球とのコンタクトだなんて、そんなの、大人に話すわけないじゃないか。  大人たちには内緒にして、ぼくらだけの秘密にするんだ。ぼくがあの三人だったとしたら──確証はないけど、それに近いことはしたと思う。  ぼくらの、ぼくらだけの秘密。「古代遺跡」はそういう場所だったんだから。  でも、ローマン先生は、そう思うわけにはいかなかったんだろう。  だって、大人だったから。  後から聞いた話だけど、子どもたちが自分を信頼できる大人だとは思わなかったから──つまり、自分の教師としての資質と指導力不足も騒動の一因だ、と言って先生を辞めたんだそうだ。  それは全然違うって、ぼくらは知ってる。地球の人たちが来る前に、先生に相談した子もいたって聞いた。そもそも、自分たちの秘密を秘密のままにしておきたいのは、誰だってそう思って当然なんだから、気にすることはなかったのに。  でも、先生は学校を辞めた。  誰のものでもない責任をとって。  ……ああ、もうこんな時間か。つまらない話はもうやめよう。  ちょっと早すぎたかと思ったけど、そうでもないみたいだ。何人か、見覚えのある顔がちらほら見える。あれからもう十年経ったなんて、全然ぴんと来ない。  なんていって、声をかけようか。 -------------------------------------------------- ■ マスターより -------------------------------------------------- ・ご参加いただきありがとうございました。 -------------------------------------------------- ■ 登場PC・NPC一覧 -------------------------------------------------- 【PC】 ・山野ニコ=トポ ・ビス・エバンス ・クリス・グランヤード ・ジズ・フィロソフィア ・クロワ・バティーニュ ・ジェシー・ジョーンズ ・アレクセイ・アレンスキー ・エルシリア・ソラ 【NPC】 ・ヴィジリオ・ナーゾ ・ミルドレッド・マージェリー・マクフェイル