-------------------------------------------------- PBeM『VOiCE』第6回リアクション 06-B バイ・バイ・ホワイトバード -------------------------------------------------- ●Spitfire  正直なところをいえば、ぼくはあんまりキルシ・サロコスキ先生のことを覚えていない。ぼくがふたつの丘に引っ越してきて、ここの学校に通うようになってから、すぐに入院したし。ぼく自身、ふたつの丘にいたのはたった一年だけだったから、どうしても印象は薄い。  そのキルシ先生も、六年前に亡くなった──死因は致死性ルアナ・アルムニア症候群。  今では、致死性の部分は解決してるらしいんだけど、当時はまだ未知の病だったし、原因が異常プリオンだってことくらいしかわかってなかったから、実際には治療と呼べるようなことは何もできなかったらしい。ずっと入院してたから、ぼくはキルシ先生の顔もあまり思い出せない。よくお見舞いに行ってた子なら覚えているだろうけど。  だから、ぼくにとって、ふたつの丘での担任の先生といったら、ローマン・ジェフリーズ先生だ。ローマン先生も、あのあと学校をやめちゃったんだっけ。お別れ会もできなくてさみしかったけど、今日の同窓会には来てくれるって。喜んでる子も多いだろうな、女の子に人気あったし。  あの頃は本当に大変だった。完全に部外者だったぼくでさえ、そういう風に覚えているのだから、当事者だった三人はもうそれどころじゃなかっただろう。街中が毎日ニュースに釘付けで、学校もよく休校になったっけ。試験もうやむやのうちに自宅でやることになって、ラクっていえばラクだったけど。  *   *   *  クロワ・バティーニュは毎日病院に来ている。平日でも、休日でもお構いなしに──というのも、学校はこのところ休校続きだし、休校でなくても自習ばかりだから、行っても行かなくても同じようなものだった。スポーツ大会は楽しみにしている生徒も多いが、状況が状況だけに例年に比べてこじんまりとしそうだ。十二月に入れば、学校側も少しは落ち着くだだろう。  クロワは今日もキルシの病室へ向かう。ノックをすると、しばらくしてから返事があった。 「だぁれ?」 「こんにちは、クロワだよー」  そうおどけて言ってみせるが、当のキルシは曖昧に笑ってみせるだけだった。 「ごめんなさいね、誰だったかしら? わたしのことを知ってる人?」 「そうだよぉ、キルシ先生の家族だよ?」 「そうなの?」 「うん」 「そう」  ここ数週間というもの、必ずいつもこのやり取りだ。キルシの病状は悪化している。それは医療についての知識がないクロワでも、見ればわかるほどだ。キルシの病は、キルシから思い出を奪っていく。過去も未来も現在も、やがて消えていくのだろう。キルシはもう思い出せないし、覚えていられない。 「ごめんなさいね、誰だったかしら?」  きっと明日もあさってもしあさっても、キルシはクロワに尋ねるだろう──きっと、キルシがこの世からいなくなるまで。  病院の医師たちは、治療をしているという。だが、それにいかほどの効果があるのか、クロワにはもはや疑わしい。 「ねえ、見て、先生?」  クロワはバッグから一枚の「紙」を取り出した。先月、地球から来たという船が地上にばらまいたもののひとつだ。 「これね、紙っていうんだぁ」 「かみ?」 「そう、昔はこういうのを本とか手紙とかに使ってたんだってぇ」 「そうなの」 「でね、これにお手紙書こうと思うの。えへへ、昔の人みたいでしょ?」 「昔の人ってだぁれ?」 「うーん、誰だろ? ……少なくとも、わたしじゃないし、キルシ先生でもない人、かなぁ」 「ふぅん」  紙に文字を書くには、ペンが必要なのだということを、キルシは最近知った。おかげで、手紙を書くのにまずペンを入手しなければならなかった。昔の人はずいぶんと面倒なことをしていたものだと思う。 「手紙はね、地球から来た人たちに渡すの」 「ちきゅう?」 「遠いところにあるんだって。ご先祖様とかそこから来たんだって」 「手紙にはね、こう書くの。友だちを助けてくださいって。きっと地球の人なら、病気が治せると思うんだぁ」  クロワは紙をじっと見つめる。あんな大きな宇宙船を作ってやってきたのだ、きっと医学も科学もふたつの丘よりはるかに進歩しているに違いない。キルシや穂刈幸子郎の病気も、地球ならあっさり治せてしまうかもしれない。  そう考えたのは、クロワだけではなかった。衛宮さつきもまた、地球の医学なら、キルシや幸子郎を治せるかもしれないと思っていた。 「だって、フードビョーだもんね」  病室のベッドの上でも、街で何が起きているのかはわかる。メッセージラインを見れば、ニュースや人々の驚きや焦り、不安が手に取るように伝わってくる。何より、さつきの病室の窓からでも、地球からの船は見えるほどに大きいのだから。  看護士たちは術後の安定を最優先しているのか、なるべく外出を控えるようにと口々に言うが、出歩けなくとも、情報を集める術はあるものだ。  ふたつの丘の風土病──致死性ルアナ・アルムニア症候群は、幸いにもウィルスや病原菌由来のものではない。気をつけてさえいれば、感染すること自体は非常に稀なのだ。風土が変われば、病状の進行も抑えられるかもしれない。クロワからキルシの様子を聞くたびに、そしてこの目で見るたびに、さつきのひらめきは確信に近いものへと変わっていった。もちろん、それが本当に医学的に正しいのかどうかはわからないが。 ●Memphis Belle  そういえば、致死性ルアナ・アルムニア症候群は何人かの遺伝子とか血液とか、なんだかそんなようなものを使って治療方法が確立されたんだっけ? ぼくは医学とかは専門ではないから──風力発電なら、お手のものなんだけどね。難しいことはわからないけど、まあ何にせよ、病気が治るようになってよかったと思う。感染はあんまりしないとはいえ、いつ罹るかどうかわからない病気であることは確かだったから。  *   *   * 「お医者さんも、そういうのは見てるんだ?」  御堂花楓は、何気ない風を装って言った。 「そりゃそうよ、患者さんとの世間話にも必要だからね」  ドクター・ベネットは、相変わらずさらりと答えた。  彼女の口からも、花楓のクラスメート──ライサ・チュルコヴァの話題は出るようになっていた。とはいえ、ドクター・ベネットは他の人々と同様に、ライサの名前までは知らないのだが。 「それにしたって大変でしょう。学校にも記者が押し寄せてるって、娘からも聞いたわ。おかげで休校続きだし」  ドクター・ベネットの言うとおり、先月から続いていたライサ関連の騒動に加えて、地球からの来訪者が指名したのが在校生の子どもたちだったということを受けて、学校は今ではほとんど機能していないも同然だった。勉強は、学校からネットワーク経由で送られてくる課題をこなしたり、自習程度で、直接関係のない子どもたちにとっては、ある意味天国のようではあったが。  しかし、来訪者からの指名を受けた三人──ビス・エバンス、クリス・グランヤード、葉柴芽路に対しては、ごく当然とばかりに自宅にまで報道陣が押しかけていた。おかげで、この三家族は一時的に自宅を離れているらしい。どこへ行ったのかは、花楓たちも知るよしもなかったし、万が一に備えて教えられることもなかった。 「早く騒動が収まればいいわね……患者さんたちにも刺激を与えてしまうし。あなたたちも不愉快な思いばかりでしょう? 正直、同じ大人として恥ずかしいわ」 「うん、まあ……」  花楓の目論見は、花楓自身がなにもしなくても、ある意味では達成できていた。ライサへの取材という名のメディアスクラムは緩和したものの、それは同じクラスメート三人と引き換えに近かった。ましてや、三人はライサと違い、自身の名前も家族も住所も、すべて筒抜けなのだ。友人たちを心配する子どもたちの不安にかこつけて、連絡をとってやると持ちかけては、行き先や彼らのプライベートを根掘り葉掘り聞き出そうとしている記者も続出している。それを画面越しに見ては、ああでもないこうでもないと、顔も見たことがない人々が噂しているのかと思うと、花楓は気分が悪くなった。 「……薬って、いつできそう?」  花楓は、気分を切り替えようと尋ねた。 「そんなに早くできるものでもないわよ」  ドクター・ベネットは、花楓の気持ちを知ってか知らずか、さらっと苦笑いするだけだった。  そっと忍び寄る。猫のように、静かに、鋭く。決して気づかれてはいけない。獲物はすぐ目の前。その油断が命取りになる。  八代青海は、素敵なレディーだ。今までもそうだったし、これからも素敵なレディーであり続ける。そのためには、これは避けて通ってはいけない道だ。素敵なレディーは困難にも優雅に立ち向かう。スカートの裾を少し上げて、繊細なフリルのように、つま先で軽やかに進んでいくべきなのだ。  あと一歩──青海はゆっくり息を吐きながら、踏み出した。 「わぁああ!?」  素っ頓狂な声とともに、青海の赤いケープのフードが翻る。いつもはフードの下で揺れる髪が、ふわりと外気に触れた。相手は勢いあまってつんのめりかけたが、寸でのところで踏みとどまった。 「青海はね、レディーなの」  そう言って、背中に抱きついた状態で優雅に微笑んでみせる──そう、これこそが淑女の余裕である。 「だからね、お礼だってちゃんとできるの」  そして、まじまじと相手を見つめてから言った。 「短いのも、似合うね」  鏡の中の自分を見て、黒葛野鶫が最初に感じたのは違和感ではなく、懐かしさだった。  そう、たしかにこれは自分の顔だ。妹がこの世を突然去るまでは、この顔だったのだ。  耳に風が直接当たるのが、なんだか不思議だ。動くたびに一緒についてまわってきた髪がないというだけで、こんなに軽やかになるとは──髪を長く伸ばす少女たちの気持ちは、いまいちわからない。  青海は、似合うね、と言ったが、そもそもこっちが本当なのだ。そう返すと、青海は「長いのも、けっこう好きだったよ」とだけ言った。その言葉に、なんとなく救われたような気が、ほんの少しだけした。  だが、問題は、母だ。  彼女はなんというだろう。  自分を見て、どちらの名を口にするだろう──鶫か、雀か。  それはいわば賭けだった。これ以上、妹のふりをするのは、現実的に難しい。鶫は男で、雀は女だ。これから時を経れば経るほど、鶫は雀らしさを失っていく。鶫は生きている。雀のままでいるには、鶫の時を止めるしかないが、それはできない。  母はどうなるのだろう。最近はそればかり考える。 「母さん」  病室でそう呼びかけると、母はゆっくりと鶫を見た。 「鶫だよ」  母の目を見ながら、鶫は言った。それは決別でもあり、宣言でもあった。母を傷つけたくなかっただろうか。それとも自分が傷つきたくなかったのだろうか。 「俺は、鶫だ」  母は何も言わずに手を伸ばし──鶫の髪をそっと撫でた。  穂刈幸子郎は、ふと手を止めた。  ──何を書こうとしていたんだっけ?  文字を入力しようとしていた指は宙をさまよい、やがてタブレットの画面に不時着した。ああ、そうだ、さっきあったことを書こうとしていたんだっけ。  こんなんじゃ、またみんなに笑われちゃうな、と幸子郎は思った。最近どうも忘れっぽい。もともと何かを覚えるのは少し苦手だったのだから、仕方がないと思うのだけれど。だから、幸子郎は日記を毎日書こうと決意した。進級したことだし、何かひとつ「お兄さん」としてやらなくてはいけないような気もした。  そういえば、と幸子郎はふと思う。  ──さっきの子、だれだっけ?  キルシも幸子郎も、目に見えて病状は悪化している。さつきですらそう思うのだから、医師たちはとっくに気づいているだろう。クロワも同意見だったが、だからといって、子どもであるさつきやクロワにできることはあまりに少なかった。 「地球へ行って、病気を治してもらおうよ」  さつきの言葉に、キルシは曖昧に笑うだけだったし──たぶん、意味がわかっていないのだろう──、幸子郎は首を傾げるだけだった。地球が何なのか、その説明をするだけでも四苦八苦だ。徒労感さえ覚えるが、それでもさつきはめげなかった。今、このチャンスを逃したら、最悪の結果が待っている気がしてならない。  さつきが送ったメールに、返信はまだ来ない。エラーで戻ってきてはいないのだから、届いてはいるはずだ。 「……きっと、大変なんだろうな」  さつきは何度も送ったメールの文面を見直す。大人たちは、どこまで子どもの話を聞いてくれるだろうか。 ●You'll Be Under My Wheels  そういえば、お知らせもらってたっけ。あの二人、結婚したんだって。ぼくは研修中だったから行けなかったけど、なんだかどちらもお婿さんみたいな結婚式だったって聞いた。まあたしかに、片方はあんまり花嫁さんのイメージないな、ぼくが覚えている限りでは。  ふたりは、今ではふたりとも、シュトライヒリングの姓を名乗っている。どちらも医療の世界では有名らしい。たしかに、何度かニュースでも名前を見たことがあるな。  今日も来るんだっけ、結婚式のときのこと、聞きたいな。  *   *   *  アレクセイ・アレンスキーは振られたのだと、もっぱらの噂だ。  というのも、今までなら何かとニアシュタイナー・シュトライヒリングと一緒にいたのに、ひとりで何やら調べ物を続けていることが多いからだ。おかげで、ルーチェ・ナーゾにはしたり顔で「おっぱいちっちゃい女はあとあと厄介だから、やめといて正解だぜ。父ちゃんもそう言ってた」とか、明後日の方向に斜め上なことを言われる始末だ。  目に見えるものだけが、真実とは限らない。それはアレクセイもよく知っていた。些細なことでも、データを集め、整理し、分類する。それもまた愛の形なのだ──アレクセイなりに。  ニアシュタイナー・シュトライヒリングは、アレクセイ・アレンスキーを振ったのだというのがもっぱらの噂だったが、真実はまったく違っていた──自分と同じように、いつかキルシたちの病を治そうと医者になる勉強を始めた衛宮さつきにだけは、ある日ぽろりと言ってしまったが。 「……詳しく聞かせてもらいましょうか」 「く、詳しくって、な、なにをだ」 「洗いざらい全部」 「ぜ、全部」 「そう。洗いざらい。全部、オールで」 「わ、忘れろ」 「無理ー」  さつきは徹底抗戦の構えだ。 「……べ、別に、どうということはない。そ、その、アレだ。命令だ」 「命令したの?」  きょとんとするさつきに、ニアシュタイナーは早口でまくし立てるように返した。 「命令だっていうかお願いではあるんだけど、命令に近いお願いだから命令であって、つまりお願いではないんだが、お前がいないと落ち着かないからそばにいろと言ったまでで、それを受けてアレクがどうするかはアレクの自由意志であって、こちらとしてはその命令であってお願いではあるんだが命令的なやつだから従うべきだと思うんだが、アレクの気持ちもあるし断ったら殺すとまではいかないが、わりと傷つくので責任を取らせようと思うがが断らなかったのでアレクは生きているので今に至る以上!」 「……しゃべるの速くて、よくわかんなかったよ?」  さつきの笑顔に、ニアシュタイナーは悪魔を見た思いだった。   ●The Way It Is  もうそろそろ移動しないとな。今日はクラスメートも先生も全員揃うと聞いているけど、あの子も来るのかな。なんていったっけ、そう──ライサ・チュルコヴァ。どうしてあの子が転校していったのか、ぼくはよく知らない。ぼくみたいに、親の仕事の都合なのかな? ある日、不意に消えるみたいにしていなくなった。どうしてるのかな。  *   *   *  プロペラは何も言わずに回り続ける。今はそれがありがたかった。  花楓はライサ・チュルコヴァを風力発電所へと誘った。本人はもうほとんど学校に来なくなっていたし、十一月中は学校自体がほとんど機能していないも同然だったから、メールを送るしかできなかった。返信は来ないままだったが、ライサは何も言わずに、花楓が待ち合わせに指定した場所で、花楓を待っていた。銀髪はさっぱりとしたショートカットに代わり、目深に帽子をかぶっている。  十二月の海風は冷たい。だが、長く歩いてきた身には、その冷たさが心地よい。 「大人ってさぁ」  花楓の言葉に、ライサは一瞬だけ体を震わせた。 「勝手だよね。子どもを保護するとか言うけどさ、ぶっちゃけこっちは振り回されてるだけだっつーの」  ライサの返答も反応も待たず、花楓は話し続ける。黙ったら、このまま何かが途切れてしまいそうだ。 「だからさー、早く大人になりたいなーって、最近ずっと思うよ。子どもだとさ、やりたいことがあってもうまくできないことのが多いし。大人になればさ、自分でやりたいこと、なんでもできるようになるじゃん?」  そう言うと、ライサはほんの少しだけ笑った。 「ん……そうだね」  それからしばらくの沈黙──風だけが、海を越えて、どこか遠くへ向かっていく。 「あのね」  ぽつりと、ライサが言った。 「転校するんだ。引っ越すから」 「え」 「だから……誘ってくれてよかった。何にも言わずにさよならするのは、やっぱり嫌だから」  メールも、メッセージラインもある。連絡を取る手段はいくらでもあるし、物理的・距離的な別離は、今の時代なんの障害でもないのだ。だが──だからといって、それが別れの気持ちを癒すことはない。別れは別れなのだ。それも、かなり最悪で理不尽な部類の。 「もしも、もしもだよ?」  ライサは笑いながら言った。泣いていたのかもしれない。 「また会えるときに、名前が違ってても、驚かないでよ」  それが、御堂花楓がライサ・チュルコヴァに会った最後だ。 ●Always Outnumbered, Never Outgunned  そうそう、そういえば、あの曲──結局誰もタイトルをつけないままで、「幸子郎くんの曲」って呼んでるけど、久々に聞いたんだ。懐かしいなぁ。彼も入院してたから、ぼくはほとんど会ったことはないけれど。彼もまたキルシ先生と同じ病気だ。幸い、彼の方は治療が間に合ったそうだけど、でもそれは、病期の進行を止めるだけに過ぎなかったそうだ。異常プリオンで受けた損傷はそのままで──つまり、彼はいまでも十歳のままなんだ。  他にもそういう人はたくさんいる。クローン技術で生まれたもうひとりのぼくは、記憶や経験もコピーしない限りは、「遺伝的に」ぼくと同じ個体なだけで、ぼくではないのと同じように、致死性ルアナ・アルムニア症候群が進行していた人たちは、発症以前には戻れない。ぼくたちも、そして地球の人たちも神様ではないから、奇跡は起こせなかったんだ。  *   *   *    クリスマス──かつてこの地に、なかば強制的に移住せざるを得なかった祖先たちは、不用意なトラブルを避けるために、できるだけ宗教的な儀式や風習を大々的に行うのを避けていた。それ自体はあまり意味のある行為ではなかったが、救援どころか地球との連絡も絶望的だった状況下において、特定の神や価値観に傾倒するのは、危険なように思われていたのだ──事実、カルトめいた小集団が生まれては消え、中には集団自殺や暴行事件といったトラブルを起こしていたこともあったのだから。  だが、それさえも今では昔のできごととして、すっかり忘れられている。人々の思いは、語り継ぐものがいなければ消えていくのだから。  幸子郎からのクリスマスプレゼントは、音楽だった。病室を回っては、得意の電子リコーダーで曲を奏でている。途中でメロディがわからなくなったら、そこから先はすべてアドリブだ。そのため、同じ曲を聞いた人の方が稀かもしれない。 「まるで、音楽のサンタクロースね」  誰かが、幸子郎が演奏する姿を見ながら、そう言ったのだろう。いつの間にか、幸子郎は八代青海の赤いケープを着せられていた。サイズが合わず──何しろ青海は十歳だが、幸子郎は十六歳なのだ──、着ているというより、肩に載せられているのに近かったが。 「そうだ、あのさ、言っておこうと思うことがあったんだ」 「なぁに?」  昼食のおやつに出たケーキのいちごを先に食べるべきか否かで悩んでいたさつきは、不意に鶫に言われて顔を上げた。遠くで、幸子郎のリコーダーの音色が聞こえる。 「どうしたの?」 「俺さ、おまえのことが好きみたいだ。これから俺のことを好きになってくれたら、その、つまり、俺が、嬉しい」  クッキーといちごをトレードしないか、というノリでさらっと言うものだから、さつきがその言葉の意味を理解するのに、だいたい三分ほどの時間を要し、そして鶫は鶫で、耳まで赤くなるって本当なんだな、と思った。 ●Wake Up Call  ちょっと早すぎたかと思ったけど、そうでもないみたいだ。何人か、見覚えのある顔がちらほら見える。あれからもう十年経ったなんて、全然ぴんと来ない。  なんていって、声をかけようか。 -------------------------------------------------- ■ マスターより -------------------------------------------------- ・ご参加いただきありがとうございました。 -------------------------------------------------- ■ 登場PC・NPC一覧 -------------------------------------------------- ・山野ニコ=トポ ・クロワ・バティーニュ ・衛宮さつき ・御堂花楓 ・八代青海 ・黒葛野鶫 ・穂刈幸子郎 ・アレクセイ・アレンスキー ・ニアシュタイナー・シュトライヒリング 【NPC】 ・キルシ・サロコスキ ・ローマン・ジェフリーズ ・ドクター・ベネット ・ライサ・チュルコヴァ