初期情報(1) 通称「古代遺跡」

 その街を遠くから眺めたら、まず誰もがその名と、その光景とを比べて、首をひねることだろう。
 「ふたつの丘」と呼ばれるその街に、実際には丘などないからだ。

 高い建物も少なく、これといって何か目印になるようなものもない。
 強いて特徴的なものを挙げるとするなら、町外れにある発電施設と、「学校」近くにある古い建物のようなもの──「古代遺跡」と呼ぶものも多い──程度だろうか。
 建物といっても、表面は植物や泥に覆われ、「なんだかよくわからないが、なんとなく何かの建物っぽい形をしたもの」くらいにしか見えない。
 「古代遺跡」とは呼ばれているが、かつて発掘作業が行われたこともないし、これからもない。
 そもそも、通称「古代遺跡」が何なのか、誰も知らない。好奇心旺盛な子どもが親に尋ねたところで「お父さんやお母さんの子どもの頃からあったわよ」程度だ。
 誰も知らないが、特にそのことを疑問にも思わない。
 大層な代物なら、すでに発掘なり何なりされるだろうが、されていないということは、つまり「その程度のもの」──それが、大方の意見だ。
 それはそこにある。
 昔から、そしてこれからも。


初期情報(2) 明日から先生はお休みです

「明日から、キルシ・サロコスキ先生はお休みに入ります」

 教師──ローマン・ジェフリーズが告げた瞬間、教室のざわめきが止んだ。
 なんとなく互いに顔を見合わせる。
 こういう時、空気を読んで最初に手を上げるのが彼──片岡春希(かたおか・はるき)の役目だった。
「キルシ先生は、いつ学校に戻れるんですか?」
「それはまだ決まっていないよ。病院にしばらく入院することになったけど、ずっとというわけじゃないからね」
 ローマンは、春希だけでなく、クラス全体に言い聞かせるように答えた。
 誰もが、春希の問いに対する答えにはなっていないということには、気づかなかったふりをする。
「ローマン先生、オレたちお見舞い行ってもいいよねー?」
 春希を追うように、元気よく声を上げたのはルーチェ・ナーゾ。今の教室の中で、彼の役目は春希とは逆に、空気を読まないことだ。
 ルーチェの声に、教室は一気に騒々しさを取り戻した。

「行きたい、行きたーい!」
「みんなでお花を作って持って行こうよ!」
「内緒で行って、先生をびっくりさせちゃおうよ!」

 元気のよい笑顔が全員に戻ってきた頃を見計らって、ローマンは手を叩く。
「はい、静かにー。お見舞いに行ってもいいか、まずは病院の人たちにも確認しなくちゃいけないことだからね」
 えー、という声に、実際にはそれほど不満はこもっていない。
 ライサ・チュルコヴァが、さっと手を上げる。
「でもローマン先生、絶対ダメってわけじゃないですよね」
 しっかり者のライサが、さりげなく教師たちから言質を取るような質問をしてくるのは、いつものことだ。ローマンは内心、苦笑しながら答えた。
「もちろん、ダメということはないさ。キルシ先生はきっととても喜ぶだろうけど、他の人に迷惑をかけてはいけないよ」


初期情報(3) 「学校」からの保護者向け通信より

保護者様 各位
春学期・秋学期の行事が決定しましたので、ご連絡いたします。
3月の合唱祭は、ご父兄の方もぜひおいで下さい。

春学期(1月-5月)
・1月:社会見学(発電所見学)
・2月:バレンタインデー
・3月:合唱祭
・4月:自由研究発表会
・5月:卒業・進級試験

夏休み
・6月:夏期講習
・7月:夏期講習
・8月:サマーキャンプ

秋学期(9月-12月)
・9月:新学期・スクールナイト(学校内での宿泊行事)
・10月:親子懇談会・ハロウィーンパーティ
・11月:スポーツ大会
・12月:期末試験

【ターンと学期の対応は以下のとおりです】
・第1回=1月〜2月
・第2回=3月〜4月
・第3回=5〜6月
・第4回=7〜8月
・第5回=9〜10月
・最終回=11月〜12月


初期情報(4) メッセージライン

「ふたつの丘」に丘はない。 「閉じた扉」に閉じた扉は存在しないし、「12枚の盾」には盾など一枚もない。
 だが、その呼び名に疑問を感じる子供はあまりいない。「それはそういう名前」なのだ。自分の名前がなぜライサなのか、というのと同じくらい、疑問に思ったところで何があるというのか。名付け親の思いやら願いとやらを聞いて、なんとなく納得したような気分になるのが精々だ。

 ライサ・チュルコヴァは、タブレット端末に表示される「社会科見学のお知らせ」と、画面端のメッセージラインをぼんやり眺めながら、取り留めもなく思 考する。
 1月は毎年、学校行事として社会科見学が行われる。行き先は、これもまた毎年おなじみの発電所だ。大きな太陽光発電パネルと、回る風力発電のプロペラを遠くから眺め、あれが生活を支えているのだと確認して帰ってくるだけ。見るべきものは変わらず、ただ説明だけが少しずつ詳細になっていく程度で、今さら何を楽しみにしろというのか。
<内緒でおやついっぱい持ってっちゃおうぜ>
<だめだよ、怒られちゃうよ>
<バレなきゃ大丈夫じゃない?>
<見つかる前に食べちゃえばいいじゃん♪>
<ショーコインメツだね!>
 メッセージラインに、クラスメートたちのおしゃべりが現れては消えていく。
 教室は静かで、先生の話をきちんとおとなしく聞いているように見える。だが、子供たちは声を出さないだけで、タブレット越しのおしゃべりに忙しいのだ。ライサは会話には入らず、ただ眺める。

 後ろから、背中を軽く突かれて、思わず振り返る。
「ねえ、ライサちゃん。今日みんなで一緒に帰ろうよ」
 ライサがいつもメッセージラインに現れないのを見越して、直接話しかけてきたのだろう。
「ああ、ごめんね。今日は図書室に本を返しに行くから。遅くなっちゃったから、ヴィヴィアン先生に怒られちゃう」
「えー別にいいよ、待ってるし」
「悪いからいいわ」
「うーん。分かった、また今度ね」
<ライサちゃん、今日もダメだって>
<じゃあ、あたしたちだけで公園行こうか>
<あいつ、おっぱいちっちゃいから可愛くないよな>
<意味わかんないんだけど……>
<帰れHENTAI>

 ライサは会話を眺める。
 川面に浮かぶ木の葉が流れていくのを、ただ見送るように。